ブログの間隔があいた
最近、ブログの間隔があいている。期待はしていないかもしれないが、もう少しお待ちいただきたい。自分の能力の限界を感じている。何でも頼まれれば引き受けてしまう性格で、しかも、引き受けたら自分が満足するまでのめりこむ性格故、余裕がなくなってしまう。現在そんな状況で、この状況も6月には終わるらしい。そこから、前の状態に戻れば良いがと思っている。困った性格である。適当に済ますことが出来ないのだ。
50年前の想い
さて、その依頼された仕事にも関係している。週に3回ほど、近くの工業都市まで車で出かける。40分から50分の運転である。その途中に、かって我が女房と若かりし頃、まだ、結婚をしていない時期だが、よく歩いた道筋がある。その運転の時に、毎回、あの頃は、将来、我が嫁になるかどうか分からないが、何も考えず、夢中だった記憶がある。それを毎回思い出す。
3年ぶりに復活した「嫁入り船」
日曜日だったか、下の写真の「嫁入り船」の復活の潮来の写真が、読売新聞に掲載された。そういえば、「親の反対を押し切って結婚したんだよなー」と思い出す。
この夫婦も、あと、50年後はどういう運命をたどっているやらである。人間の感情は変わる、というより、色々な側面を覗かせる。恋愛感情の時は、そういった感情を見せる。そのほかの感情は見せないようにしているのか、自然と見せなくなるのかである。ところが、子どもを育てる頃は、それに関係した感情が現れ、「この人にそんな感情があったんだー」などと、我が女房、我が亭主の一面を見た思いをするものである。そして、専業主婦として生活していれば、いたで、その感情が出る。
10年大事に育てた、マツ
そして、写真右側の物語である。この写真は、誰もが「アヤメ」の花を撮ったと思うだろう。違うのである。「何! あと何が写っているんだ?」と思う方々ばかりだろう。この写真は、その右に移っている「マツ」を撮ったのです。
この松は、私が、定年後、毎年、素人剪定をして育ててきたものである。2,3日前にも、芽が吹き出して見栄えが良くなくなって、その芽を切り取って、その後、要らない枝でも切り剪定するか、と考えていた矢先であった。その折も、下に「アヤメ」が咲き出しているのは知っていた。
一瞬のうちに切られた、マツ
そして、突然、左にも広がっていた枝が、左側を全部、無残にも切り取られていた。全体が2/3ほどに小さくなってしまった。女房の仕業である。10年以上、大事に育ててきた(育ってきた)枝木を、普段、草も引かない、庭のことなど何もやらない女房が、ノコギリを持ち出し、切ってしまったのである。
足が痛い、どこが痛いと、毎日、病院通いしている彼女がである。
言い訳が得意な?我が女房サマ
意識して切ったとは思いたくないが、炊事・洗濯など、私のことなど何もやらない彼女が、私が10年もかけて育ててきた「たかが、松」を切ってしまったのである。
責めると、「下のアヤメがきれいだったので、見えるようにした」、だと。「何を考えているんだ、このアマ!」である。アヤメの見ごろは、高々、2週間位だろう。
アヤメの世話などやったこともないクセに。周りの草などひいたこともないクセに。それが「アヤメが見たい」一心で、10年松を切ってしまった、だとー!。
何時まで続く、感情
女性を愛する気持ちなんてそんなもんだ。男を「愛している」気持ちなんてそんなもんだ、と言ったら言い過ぎだろうか。もちろん、分かりあえる夫婦だってある。
3年ぶりに復活した「嫁入り船」で、結婚した夫婦は、50年後、相手の気持ちや感情を分かり続けることが出来るだろうか。
老婆心ながら、期待したいものだ。