ミドさんのブログ

日頃思いつくことを書いてます

元赤軍派、幹部出所

孫は、理屈なしに可愛い

 知り合いの方の、ほのぼのとした、お孫さんの記事をFBで眺めた。1歳の誕生日に、ケーキを作ってあげた、そのケーキの写真やお孫さんの喜ぶ姿がアップされていた。誰も、理屈なしに、孫は可愛いもの。孫のために一肌脱ぐのは当たり前のようになっている。私も人並みに孫は可愛い。

 今朝の読売新聞に、ウクライナで孫がロシアに連れ去られようとしていたのを救い出したおじいさんの話が掲載された。この孫は、親を亡くし、おじいさんが唯一の頼りだったらしい。古今東西、孫に対する思い入れは、同じようである。

 

20年の刑期を終え、釈放された、赤軍派元幹部

 さて、新聞記事から、今日は、元赤軍派重信房子・元幹部の話題。

 今朝の新聞に載った、当時の色々な事件の数々と重信房子・元最高幹部の記事である。当時ベトナム戦争があり、私たちの大学時代に、大学生が政府や当時あったベトナム戦争に反対した政治活動が活発だった。そうした世の流れの時に ”赤軍派” が台頭した。元赤軍派、重信・元幹部が出国したのが1971年で、その前から日本国内では、暴れまわっていたわけだから、かれこれ10年は、赤軍派の話題で、新聞紙上を沸かしていたことになる。別な意味で、今のロシア・プーチンウクライナ侵攻より、長い間世の中の話題だった。

 

あの行動は、間違っていた

 その重信元幹部が、20年の刑期を終え出所し、「あの行動は間違っていた」と総括した。このような人は、刑期を終えても、まだ、「私たちの行動は正しかった」と言うのかと思っていたら、間違いを認めたのである。

 そして、今朝のテレビである。元赤軍派らしい男の人が登場した。その人も、同様に、あの時の行動の過ちを認めていた。そして、これから、同じような行動をとることは絶対にありえないと言う。

 

能力があった、元赤軍派

 当時大学生だった素人たちが、銃を持ち、世界各国で暴れまわっていたのである。よく考えてみれば、同じ時代に生きた私は、初めての海外で悪戦苦闘していた。それなのに、同じ時代、彼らは、英語圏ばかりではなく、仏語圏でも独語圏でも活動をしていたのだ。語学も達者だし、そうした外国人と世の中を動かすような事件を起こすわけだから、人的交流もあったということだろう。つまり、能力が卓越していたということでもある。

 

能力は、使い方ひとつ

 人間、こうしてみると、能力の使い方で、刑務所に入るようにもなれば、世の中から称賛されるような人間にもなり得るということでもある。重信元幹部は、赤軍派活動は恐らく20年にも満たない。そして、逃亡生活が同じく20年、獄中生活が20年くらいだろう。そして、あの時の行動は間違っていた、である。彼女の人生は、何だったのか。気の毒に思えて来た。

 

 それも人生、今の自分の人生も一つの人生である。どちらが良いか、モノは考えようだ。平凡な家庭で、孫を可愛がり、孫の喜ぶ顔を見て、一喜一憂する、そんな家庭の方が、私にはどう考えても、よい人生である。