ミドさんのブログ

日頃思いつくことを書いてます

心・技・態

休みがちなブログ

 最近は、体が自分の思うままに動かなくなったせいか、何をするにも億劫になってきた。ただ、座って何かするのは問題なく、好奇心もしっかりあるのはありがたい。それも無くなったら、廃人一歩手前だ。そういう訳で、昨日も、ブログを休んだ。書こうと思っていたいたのを、これから書くことにした。

 

伏見工業高校ラグビー

 時々、視る「プロジェクトX」という、NHKの番組だ。それと言うのも、チャンネルを回していたら(古い表現で失礼!)、「伏見工業高校ラグビー」という文字が引っ掛かったからだ。

 高校サッカーと言えば、花園高校と伏見工業高校が有名(ただし、今は、どこの高校が有名かは知らない)だが、そこにはドラマがあったという話である。”フーテンの寅さん” 並みのドラマである。タイトル「つっぱり生徒と泣き虫先生」。

 

元日本代表、山口良治さん、赴任

 大学ラグビー界、日本代表選手で鳴らした山口(良治)先生。現役を引退した山口さんは、指導者として、伏見工業高校の体育教師(1974年)となり、ラグビー部監督として再起しようと考えていた。当時の伏見工業高校ラグビー部は荒れていた。つまり、不良高校生のたまり場のようだった。そこへ、日本でも指折り数えるような有名な元日本代表選手が赴任し、ラグビー部監督になった。

ホームページからのメンバー写真(当時の写真かどうかは不明、山口先生は中央)

 

花園高校に、0-112の大敗
 そこで、迎えた高校の日本一を決める大会に出た。監督になって、初の晴れ舞台での試合である。そこで、なんと0-112で1点も取れず、しかも大差での敗退となった。それまで、選手たちには、強くなるために、色々アドバイスもし、不良たちの集まりである選手たちも、それに応えて頑張ってきた。それが何と0-112という大差での負けであった。山口先生も悔し涙を流したが、それ以上に、選手の一人が山口先生の前に跪き、「悔しい!、先生!、何とか勝てるようにしてください!」と懇願したことだった。

左:伏見工業高校(現在は、高校名が変わった)ホームページから 右:山口良治先生

「心・技・体」から「心・技・態」へ

 そして、その試合後、山口先生は「俺は、このチームのために、何をしたんだろうか?」と自問自答したという。「選手たちに練習させただけで、俺は、何をしたんだろう。何もしていなかったのではないか」という反省だった、という。

 つまり、指示を出すだけで、選手たちと一緒にモノを考えるという姿勢、心の通いがなかったことに気付いたという。そこからの1年が、違った。選手も、悔しさをばねに、努力もするが、この泣き虫先生も、心の通った指導をする。

 

京都一の不良生徒も・・・

 その間、京都の繁華街で鳴らした不良が、入学してきた。その生徒も「ラグビー部へ入れ!」と誘ったという。そのツッパリ生徒も、段々、ラグビー部の雰囲気に溶け込む。泣き虫先生の指導についてきたのである。

 そして、迎えた昨年負けた大会。なんと、決勝で花園高校とぶつかった。昨年1勝もできず花園に負けた伏見工業高校が、決勝までコマを進め、因縁の花園高校と当たることになったのである。

 

ついに、花園高校に勝ち、優勝!

 昨年の悔し涙で1年間必死に頑張ってきた。その涙を流させたのが、花園高校だった。生徒たちは燃えた。そして、同点で頑張ってきた試合も、ついに決勝トライを伏見工業高校にもたらしたのである。

 歓喜に沸く、伏見工業高校の生徒たち、泣き虫先生の周りにその生徒たちが集まり、歓喜の雄たけびを上げた。

 

選手時代に求められる「心・技・体」

 こうして、書いてみると、文章が稚拙で番組を見ていた時の感動が伝えられないもどかしさがある。泣き虫先生どころか、こちらの方が涙を流しながら番組を見た。指導者は、技術の指導だけでは旨くいかないもの。よく、「心・技・体」とはよくいう言葉だ。これは、選手側の訓練の仕方だ。一流選手に「心」が備わっていない選手はいない位、一流選手の考え方・言葉には感動するものである。

 

指導者に求められる「心・技・態」

 しかし、指導者には、「心・技・態」が備わっていないと駄目だ、と改めて考えさせられた。「選手は頑張った。でも、私は何をしたのだろうか」という態度・姿勢である。そこが出発点だ。「他の人は頑張った、でも、私は頑張ったのか?」という疑問である。同時に、「技(わざ)」から「技能」へとも変わる。

 「自分は頑張った、でも、あいつらがやらないから、出来なかった」という態度を見せる人たちは多くはないだろうか。自分もいい歳になった。改めて考えさせられた。