ミドさんのブログ

日頃思いつくことを書いてます

亭主元気で留守がいい

かっての工業都市

 地域の役員連中と飲んだ。そこで昔の話に花が咲いた。私たちの町の近隣の大きな町と言えば、工業都市日立市だった。日立製作所のグループ企業に勤めていた私は、会社が日立市内にあり、方向は家に帰る方向とは逆だったが、日立市まで足を延ばし、飲んで最終電車で帰ってくるなどということもよくやった。前にも書いたように、毎日、3.5時間、それ以上の残業なども多かったので、前もって、何曜日は日立へ行こうなどと若者で示し合わせて、出掛けたものだった。

 

懐かしい、飲み屋

 その街も、今ではかっての活気がなく、シャッターの閉めてある店や飲み屋も多くなった。その中に、通称だったか、正式名称だったか忘れたが、”コンパ” というパブのようなお店もあった。この店は地下にある店で、先日、技能実習生を教えるのを日立市でやっていたので、ついでに、この界隈を歩いたら、この地下のお店の特徴ある入り口を見つけた。懐かしかったが、もう、半世紀も過ぎているので、中に入ってみる気もなく通り過ぎたが、恐らく、立入禁止になっていたのでは思う。

 

家のおじいさん、おばあさん

 そして、それぞれの家にいた、おじいさんやおばあさんの話になった。中には年老いた父の話にまで及んだ。

 昔、我が家でも、母方のおばあさんがしょっちゅう泊まりに来ていた。このおばあさんにはよく叱られた。当時は、運動靴など買えなくて、サンダルを履いて、学校から帰ると遊びあるっていた。道路も舗装などしていないので、そこらじゅうを掛け歩くと足が真っ黒になる。それで、家に上がろうとすると、「カラスの足のよう真っ黒の足で上がるんじゃないよ」と何度も叱られた経験がある。

 

一番風呂は、年寄り。すると、、、

 そんな中、風呂に入るのは、一番先が年老いたおじいさんやおばあさんたちだった。そして、子どもたちはその後だった。2番目に風呂に入ると、湯船に「垢(あか)」が浮いているのだ。すると、仕方なく洗面器でそれらを取り除き、お風呂に入ったものだった。そして、上がると、母親に「また、おばあちゃんの垢が浮いてたよ」などと報告した。実の母親でも、母親はおばあちゃんに言うことが出来なかったらしく、何度も続いた。

 

もっととんでもないことが、、、

 すると、一緒に話していた役員の一人が、とんでもないことを言い出した。歳を取ると、年寄りはお漏らしをするようになる。肛門の線が鈍くなるのだ。そして、その父親の話になった。どんな状況でそのようになったのか、よく経緯が分からぬが、家の中でお漏らしをしてしまったという。そこで、畳にこぼれるので、それを手で受けた話だった。匂いと汚いという感情とが入り混じって、大変な思いをしたと言っていた。しかし、この役員は、それでも、年寄りと一緒に住むのは、今考えれば、すごく良い経験になったと言う。

76歳の老人が、重機を使っての農作業

 

日曜日の農作業

 出席者全員が70歳超えだから、こういう話にもなるし、結論にもなる。昨日の日曜日、小さな田んぼを大きな田んぼと一緒にしてしまう(1枚にするという)、作業を見学した。作業は、重機を使ってする作業だが、76歳のベテランである。日曜日なので、息子たちもいるが、一人での作業となった。朝・昼・晩と顔を出し、写真を撮っていたが、夕方になって、この奥様が現場に見えた。そこでの立ち話。「お父さんが、日曜日に働くのを息子たちが嫌がるんだよ」という。そして、「お父さんは、俺がやった、俺がやった」と息子たちの前で自慢するという。それを、息子たちも良しとはしないという。

田植えが無事終わった新しい田んぼ。 最後は、息子・奥さんが駆け付けた。

父の日プレゼント

 昨日、父の日のプレゼントが届いた。酒のつまみである。ありがたいと感謝しながら、これを肴にお酒を飲んだ。飲みながら、息子のこと、嫁さんのこと、孫のことを想った。コロナ騒ぎでもう2年位顔を合わせていない。わざわざ、こんな田舎に、年老いた親と会うために来る気にもなれないだろう。自分の若い時を想えば、容易に想像がつく。健康的に何事かあれば、駆け付けることはあるだろうが、元気に過ごしていることが分かれば、「亭主元気で・・・」どころか、「親は元気で・・・」であろう。

 元気で毎日活動しているので、仕方ないとはいえ、でも、ちょっと寂しい。