ミドさんのブログ

日頃思いつくことを書いてます

何が、正しいのか?

嫌な事件が続く

 全く嫌な記事が新聞には載る。同様に、テレビでは、あちらの局でも、こちらの局でも、次々と同じ事件やニュースを取り上げる。こんなことしかニュースにならない事件はないのかと言いたくなるほどの多さである。

 年寄りの「昔は・・・」のフレーズ。いつの間にか自分も使うようになった。

 

2歳の男の子が置き去り

 2歳の男の子が家の保護柵の中に入れられて、1日以上も置き去りにされたらしい。結局、熱中症で亡くなった。この子をの面倒を見ていた(かどうかは知らないが)祖母とその連れ合いは、泊りがけで遊びに出かけていたらしい。可哀そうで、記事を読む気にもならない。他人の子だってそんなむごいことはしない。

 

携帯で子どもを監視する親

 かと思えば、同じような小さな子を家に置き去りにし、パチンコに行っていたという若い夫婦。夫婦が言う。「携帯で子どもの様子を監視していたから」。コメンテーターとして出席した芸能人は、このニュースを一緒に聞いていて、憤る。「監視していれば良いというもんじゃないだろう!何か、危険なことでもして、危ない! と思っても、すぐに駆け付けられないじゃないか!」。

 

「共稼ぎ」は、貧乏の代名詞だった

 昭和の時代の母親。暮らしが楽ではなく、亭主も働いたが母親も働いた。「共稼ぎ」は、貧乏人の代名詞だった。一方で、「専業主婦」は、亭主が稼ぐ家庭の主婦の代名詞だった。「共稼ぎで大変ねー」が、主婦の挨拶だったのである。

 家で、家庭を守るのが主婦の役目という考え方の延長線上でそうなったのである。

 

時代は変わった。女の権利

 ところが時代が変わり、結婚した女性が「女の権利」を主張し出した。「なぜ、男は外で働き、女は家にいなければならないのかと」。”家にいることが大変なこと”と、女性は思い出したということだ。そして、時代は変わった。「共稼ぎ」は、平和の代名詞になった。そして、保育園の不足が叫ばれた。保育園が無くて子供を預けられない。子供のいる女性は働けない。子供いない方がよい。そして、少子化になった。

 かっては、子どもは平和な家庭のシンボル、家庭の宝、そして、今は、厄介者。そんな時代になりつつある。

 

世界の強盗団のボスが苦情

 G20の外相会談があるという。それに先立って、中露の外相会談があり、それがニュースになった。そこでのロシア外相の発言。「国連の承認も受けていない制裁はとても承服しかねる」という趣旨だ。そして、それを良しとしているかどうかは分からぬが、会談をする中国の外相。言ってみれば、私にすれば、ロシアは、他国を侵略する「強盗」であり、主犯がプーチンそして、第一の部下がロシア外相である。そして、そうした強盗犯と公然と会談を重ねるのが、中国政府。そんな強盗団が、「国連の承認」を持ち出すか? おかしな世の中だ。

 

何が正しい? 

 こうなってくると、世の中、何が正しくて、何が正しくないのか、全くわからない。自分なりの正悪の判断基準を持っていないと、と感じる。一体、学校ではどう教えるのか、先生方に聞いてみたい気もする。

 昔、親は、小さな子供ために働いた。子供は子供だけで遊ぶので、色々な事故も起きた。昼間、子供の面倒を『労働』のために見られない親達だったからだ。今は違う。子供の面倒を「遊び」のために見られないと言う親がいるということだ。親、祖母、親類、近所の人、みんな子供は可愛いはずだ。それが、「遊び」の誘惑に負けてしまう。そうじゃないのかもしれない。ひょっとして、そんなことじゃ、熱中症になんかならない、という「知識不足」がそうさせているのかもしれない。