ゴミ出しデモ考える必要がある
今朝も同じように ”燃えるごみ” を出す。そこで、近所の先輩に顔を合わせた。「おはようございます」、ありきたりの挨拶だ。その先輩が置いたごみに被せたネットを見る。ネットがキチンとごみにかかっておらず、このままだと、また、カラスに食い荒らされ、片づけをする羽目になる。ネットを掛けやすいように、ネットに工夫を重ねたつもりなのに・・、とブツブツ、心で独り言を言いながらネットをきちんと被せ直す。
前にも書いたが、資源物の新聞紙やカン・ビンの袋にもネットを掛ける御仁までいる。ネットを掛ける意味を考えていないのだ。
共通問題に手を出す御仁が少ない
ラジオ体操に行った。そういえば、昨日・・・さんがお墓の周りの草取りをしていたが・・・。「綺麗になりましたか?」と声をかけた。その後、「どうして、・・・さんが、周りの草取りをすることになったの?」と尋ねた。すると、「自分のお墓の周りだけは綺麗にするが、墓地全体をきれいにする人はいないんだよね」と言う。誰が、周りを綺麗にしているかも知らないだろう、周りは自然に綺麗になっていると思っていると言う。そんなことに興味がないし、そんなことも考えないのである。
コロナ感染者のデータインプット
昼の時間は、テレビで定番のコロナの話だ。コロナ患者を診ている病院から、患者一人一人のデータをパソコンにインプットし、報告する業務に時間と人がかかるという。そしてそれらのデータをインプットすることを止めて治療に専念しないと、患者を診る人が足りないともいう。今後はデータを取らなくてもいいじゃないか、という議論が中央官庁でも出ているらしい。「そうだ、そうだ」と賛成する医療関係者もいる。背に腹は代えられないのだ。
定年者の労力は使えないのか
このような話を聞くにつけ、毎回思うことは、データ投入の人出が足りなければ、元気な老人を使えばいいじゃないか。老人には外出制限をかけるという自治体もあるようだが、そんな老人だけじゃなかろう。いきなり、貴重なデータを取らなくする前に、やれることをやったらどうなのかと思ってしまう。データ投入程度なら、若い老人ならできるだろう。
私で良けりゃー、手伝えるが・・・
私で良けりゃ―いつでもお手伝いするよ、と言いたいものだ。田舎は幸いにしてそんなに人力が足りないこともないらしいが、都会だって、毎日、何をやろうかって考えている老人は、ごまんといるはずである。そんな老人に手伝わせればいい。
一億総身勝手国民
冒頭書いたように、興味がない老人は多いし、自分が手伝えるとも思わないし、何か手伝えないかと考える人が少ないのだ。小学生・中学生が考えなようになったと思ったら、大人・老人まで考えない、一億総身勝手国民が出来上がっているようである。
国民総動員
こんな時こそ、国民総動員である。つまらない趣味も一時的に中止して、若者のコロナ感染防止に、老人たちも立ち上がってはどうだろう。まずは65歳で定年を迎えた、老若年層から始めてはいかがか。そして、70過ぎの老中年層、75歳過ぎの老老年層だって、いざとなれば、何かの役には立つはずだ。
見捨てたもんじゃない。