ミドさんのブログ

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リーダーの器

  英国、エリザベス女王が亡くなって、19日に国葬が営まれるという。一方日本では、安倍元首相の国葬問題で揺れ動いている。この両国の違いは何なのだろう。

 

安倍元首相の国葬是非論

 安倍元首相の在任期間が長いとか、色々な国葬にする理由を岸田首相は並べ立てているが、明らかに間違いを犯した。自民党政権閣議決定国葬が決まるなんてことがあってはいけないと思われる。決めるなら、各党の国民の代表者がいる国会で決めるべきであって、ましてや費用を国民の税金を使って賄うなんてことがあっては、尚更、国民が反対するのも無理はないと思われる。

 

自民党員の元首相

 確かに、安倍元首相は日本の国に大きな功績を残した。長い間、首相を務めたのだから当然と言えば当然でもある。自民党という党に在籍しながらその総裁を務めながらである。途中で、安倍さんに代わる人材が出てきたら、こんなに長く首相を続けられなかったかもしれない。そうなったら、岸田首相の大きな理由の一つ、長い間首相として、という理由は崩れるはずである。つまり、自民党という党があって初めて言えることなのである。

 

昔の事例は特殊事情

 昔の軍事政権下や明治時代などの特殊な環境にあっての国葬は過去の事例としては同列に並べることはできないだろうし、戦後の吉田茂氏の国葬も、混乱期の日本にあってのものと理解すべきと思われる。

 

自民党葬では、なぜいけない

 なぜ、自民党葬ではいけないのか理解に苦しむ。そういう判断がなぜ出来ないのか、一国の首相である岸田首相が、である。そうでなければ、普通に考えたら国会で審議し決めるというのが当たり前のやり方ではないのか。自民党以外の他党員は、政治信条で争ってきた人たちである。安倍元首相だって例外ではない。自民党のしかも一部の閣僚だけしかいない、いわば密室の閣議で決められたと言って、国民に押し付けられても困る、と誰しも考えることだろう。今、反対デモをしている人たちはそういう思いなのだろう。

 そんな理屈も分からない首相が、日本の首相だというから、全く困ったものである。

 

リーダーの器

 一方イギリスでは、亡くなってすぐ国葬の日取りが決められ、19日には早々と営まれるという。バタバタしている日本とは大違いである。リーダーがしっかりしないとこんなことになる。

 国葬は、日本では、憲法で定められているように、皇室だけに限って営まれることにしてはどうかと思われる。生活費自体が税金であり、選挙でも何でもなく、次期天皇が決められるという特殊性から考えても、それが一番妥当な結論のような気がする。

 所詮、首相は、自分の主義主張があり、営利でもあり、国ためとは言いながら、党があり、の世界である。

 リーダーは、リーダーの器であって欲しい。