ミドさんのブログ

日頃思いつくことを書いてます

捨てる神あれば拾う神あり

名曲にっぽん!

 歌謡番組に、「名曲にっぽん」という徳光和夫おかゆが司会する番組がある。2,3日前、その番組のゲストとして、山内惠介という若手歌手が出演した。親が、歌が好きで、子どもの頃から母親の歌声を聞いて育ったらしく、いつか歌手になると思っていたそうである。そして、ある作詞家か作曲家の先生に出会い、歌手の道に進み、デビューしたそうだ。

 

思い悩む、山内惠介

 そして、そこまで順調だった歌手の道もそれほど甘くはなかった。数年経つと、当初の人気はどこへやら、すっかりファンにも忘れ去られるようになり、自信を無くした。そこで、お世話になった先生に、「私は歌手を辞めた方が良いのか」と相談に行ったという。そんな子どもを見て、両親は、「あんなこと言っているが、本人は、歌手を続けたいんです。何とか、続けられるようにアドバイスしてあげてくれ」と先生に懇願したという。

 

復帰の「風連湖」、両親に感謝

 その甲斐あって、いまや、若手の中では押しも押されぬ大歌手に成長した。毎回、彼の話を聞くが、実に感じの良い青年であり、考え方もしっかりしていて、常に周りを気遣う好青年である。

 「風連湖」という再出発を誓った歌も番組で披露した。大ヒットとなった曲だそうで、それ以来、風連湖のある北海道が好きになり、第二の故郷だそうである。

 お世話になった先生、そして、悩んでいた時期に先生に懇願してくれた両親には感謝しているとしみじみ語っていた。そんな苦労人、山内惠介だった。

 

人生いろいろ

 人生には、人それぞれいろいろある。まさに「人生いろいろ」である。私も、入社以来順調に社内の出世街道を歩んでいたと思っていた。設計部門配属だったが、国内はもとより海外もあちこち出張させられた。当時は、同期の中でもトップクラスを歩んでいたと思っている。そして、38歳で、海外の工事事務所長の任を、当時50歳だった前所長に代わりまかされた時が絶頂期の頃だったろうと思われる。40歳を過ぎて日本へ戻り、出身部署の部長を任された。

 

無我夢中の人生街道

 ここまで、全く自分の出世のことなど眼中になかった。ただただ無我夢中で自分のできることを誠実に一生懸命こなしてきただけだった。しかし、部長になった途端、風向きが変わった。周りの人たちが、出世を考え、上司の顔色を窺うような連中ばかりだったのである。正反対の性格の私には苦痛だった。その部長の中に古株の部長がいた。実に上司に受けの良い、口先で何を言うか分からない得体のしれない人間がいたのである。

 

おべんちゃら人間

 こうした人間は、どこの世界にもいるが、面と向かっては良いような話をするが、陰に回ったら何を言うか分からないような「おべんちゃらを言う、おべっか使いの達人」である。当時の上司たちもこのおべんちゃら人間に騙され彼を昇格させた。それまで部長同士で適当にお相手したものが、今度は自分の上司になったから堪らない。ここからは昇格どころか、ランクダウンされなかった方が不思議なくらい陽の目を見なくなった。どこの世界にも、こういうことはよくある。

 

感謝の上司、常務・副社長

 その境遇を救ってくれたのは、当時の常務だった。彼はこの「おべんちゃら人間」の本性を以前よりよくご存じで、私の境遇も察してくれたいたらしい。そして、工事部門から資材部門への転出、更には、海外関係会社の社長へと導いてくれたのである。

 この常務はその後副社長にまでなり退任された。私のお世話になった思い出の人と言えば、この常務・副社長である。

 

捨てる神あれば拾う神あり

 私の信条として「おべっかやおべんちゃらは大嫌い」である。誠実と一所懸命を自分のモットーとしてきた。そして、今人生の終わりに近づき、それで良かったと思っている。

 人生は、「捨てる神あれば拾う神あり」である。その為には、誠実と一生懸命さが必要と思っている。