ミドさんのブログ

日頃思いつくことを書いてます

日本は平和だけれど、同時に孤独

かっての、日本語学習者

 かって、日本語を教えたベトナム人茨城県の各地に散っていった。その中の一人が

時々、フェースブックに写真付きで投稿してくる。当然ベトナム語である。すると、知り合いなのか、フェースブックの愛読者なのか分からないが、ベトナム語で誰か必ず反応する。

 今日も彼が、投稿してきた。彼は農業の技能実習生である。日本の田舎の風景を自転車に乗って撮影し、音楽を付け送ってきたのだ。そこにある文章を読んだ。と言ってもベトナム語なので、翻訳された文章を読んだのだ。

農業のベトナム人技能実習生から送られるフェースブックの写真



日本は平和、だけど孤独

 「悲しい人、現場は決して幸せではない。日本はとても平和だけれど、同時に孤独」

 悲しそうな音楽に合わせ撮影された田園風景、綺麗な花々の映像が流れる。なんか可哀そうになってきた。異国の地で家族のために働き、周りの人と話も満足にできない日常。この翻訳文の意味が良く分かる。外国人が日本で暮らすことは、容易なことじゃーないと分かった。ただ、日本は他の国々に比べ、平和なので危険が少ないという点では、比較的安心はできるが、、、。

 

各国で起こる、国民の分断

 アメリカのトランプ氏が大統領になってから、「国民の分断」と言う言葉が、世界各国に使われるようになってきた。勿論、それに拍車をかけたのはコロナである。みんながマスクをかけ、沢山人がいるところでは話さないように心掛け、会社には行かず家で仕事をする生活である。当然、飲み会などの懇親会も控え、たまのカラオケなどもご法度である。こんな状態では、「都会の砂漠」ではないが「平和孤独」になってしまうのも無理はない。「誰とも話さず、顔を合わせず」なのだから、平和で孤独であるのは当然だ。

 

理由はコロナばかりでない

 そんなコロナのせいにしなくても、大分前から、日本社会は、人々との接触を避け、たくさんの人が集まって何かをすることをしなくなっていた。私たちが、現役最後の頃(20年も)には、それまで続いていた会社の運動会がなくなった。これは、当時若い人たち、現在50代くらいの人たちだろう、が自分の時間を大事にしたいと、会社の同僚たちと一緒の時間に費やすことを嫌った結果でもある。

 

便利な社会の運命?

 世の中が便利になり、他人の助けを借りなくても何でも一人でできるようになった。会社などは良い例である。

 昔、何かのプレゼンをするとなれば、資料作り、ビラ作りに多くの人たちが一人の発表者のためにみんなが協力して仕上げたものだった。しかし、パソコンが普及し、何人もの作業が不要になった。みんなから、会話なしに資料をメールで受け取り、それを発表者がまとめ、プロジェクターを使って発表すれば良いのである。

 分からないことがあれば、ネットで調べれば、大抵のことは分かる。これとて、誰かと会話せずに済む。

 

ないない」づくしの社会

 家庭での作業だって一緒だ。電化製品が発達し、子どもに手伝わせなくても、何でもこなせてしまう。昔は、「・・・ちゃん! 手伝って!」などと母親の声が聞こえたものだ。そして、いやいやながらも手伝ったものである。

 ところが、子どもの頃から自分のことは自分でやるものと躾けられた子どもたちが、大きくなった。他人に「話をしない、相談しない、やってもらわない」そういう社会が出来上がった。つまり、誰かが悩んでいたとしても、それは「自分で解決すること」なのである。最近、不登校の小中学生が増えたそうである。その理由の一つかもしれない。

 つまり、みんなが「孤独」になったのある。