ミドさんのブログ

日頃思いつくことを書いてます

ビルマの竪琴

ビルマ絶望の戦場

 70歳代からそれ以上の人なら、「ビルマの竪琴」の映画を見たはずだ。子どもの頃だったので、映画のタイトルだけは覚えていても、あらすじなどは全く覚えていない。しばらくぶりに、その ”あらすじ” に巡り合った。

 と言うのも、昨日見たNHKドクメンタリー番組「ビルマ絶望の戦場」(初回8/15放送)の再放送を途中から見だして、引き込まれたので、最初から見直そうと、ネットで調べたら、懐かしいタイトルが出てきたので開いて見た。

 

インパール作戦

 「インパール作戦」が出てくる。私は、この作戦の中身は知らないが、激戦だった話

インド・インパールの位置とインパール作戦

は聞いたことがある。ネット記事をチョットかじってみると、東南アジアの国々の攻略を目指した旧日本軍は、ビルマの攻略そしてインドに駐留する連合軍の英軍を攻略するために、そしてビルマからのルート確保にインドの東側にあるインパール・コヒマを目指した作戦だったらしい。ところが英軍に追い詰められ、それが失敗に終わった。それが終戦1年前だった。

 

終戦前1年間のビルマでの悲劇

 その後終戦までの1年間については、戦後あまり語られなかった。その状況をその後発見された資料などを使い、惨状をまとめたのが、「ビルマ最後の戦場」だったのである。ビルマの竪琴の逸話もこういう状況下で登場するようだ。

 しかし考えてみると、日本軍は、日本本土ではなく他所の国々で戦争をした。焦土と化したのは全て東南アジアの諸国だった。また、ウクライナ戦争も、ロシアがロシア国内で戦っているのではなくウクライナ国内で戦い、ウクライナの国を焦土化している。

 

他国侵略の末路

 当時の日本国民は、現地での戦勝だけを頼りに、詳細を分からぬまま見過ごしてきた。今のロシアとそっくりである。ただ、日本の場合は、沖縄が激戦地になり、そして最後に原爆を日本本土に落とされて終戦を迎えた。

 ロシアには、そんな時は来ないかも知れないが、国民を欺き、他国を侵略しようとする国の末路は哀れだ。

 

逃げ出す将兵

 この番組では、インパール作戦当初は意気盛んだったが、その後、終戦までの1年間は退却戦となり、前線の指揮官兵士は悲惨だったことが分かる。何万という将兵が命を落とした。その中に、部隊から逃げ出した日本兵がいた。その後、ビルマで結婚し子供もできその後は平穏に生活していたらしいが、もし帰れるものなら日本に帰りたいと言い続けていたようだ。そのお墓に番組の関係者が墓参りをした、墓石には日本語で名前が刻まれていた。ビルマの竪琴の実情版である。

 

中間管理職の悲劇

 今回のウクライナでの戦争で、ウクライナ・ロシア双方に同じような悲劇があるに違いない。当時の日本軍の部隊長たちの言ったことが、番組で紹介された。

 「作戦本部で指揮を執る指揮官は早々に逃げ出し、現場で指揮を執る人間は、兵士のことを思い必死で活路を見出す。なんてバカなことをしているんだ!」

 現役時代、会社でも中間管理職は哀れだと言われてきた。重役たちは指示を出し、中間管理職が一番苦労して社員と一体になり会社を盛り上げる。その構図は、どこへ行っても同じだが、戦争の場合は、命を懸けているのと懸けていないの、の差である。

 

どうなるのかウクライナ

 ウクライナだって同じだ。若い経験不足の兵士を最前線に送り出し、「ウクライナは町を破壊している。ウクライナは・・・している。」と言う、ロシア指揮官、プーチン。自分が始めた戦争で、よくもまあ「ウクライナが・・・」とはよく言ったものだ。始めなければこうはならなかったはずである。

 プーチンの末路はどうなるのか。状況は、恐ろしいほどよく似ている。