ミドさんのブログ

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断じて容認できぬ!

断じて容認できぬ

 「断じて容認できぬ」。このセリフ何度聞いたことか。何度このセリフを発しようが、一向に改善されない北朝鮮の態度。今回も日本の排他的経済水域内に大陸間弾道弾らしきものが落下したという。そういう事件が起こるたびに、東北・北海道の漁業者は大変だ。どこへ落ちてくるか分からないものが飛んでくるのだから当たり前の話だ。

 「何とかしてくれ」と叫ぶ気持ちも良く分かる。

 

点けっぱなしの外灯

 今朝、起きて食事を済ませ、門のところにある郵便受けの中の朝刊を取りに行く。その朝刊トップに書かれていたのが冒頭の記事である。そして、ふと玄関の電気を見ると点いたままになっている。そうだ!センサーが故障して電気屋さんに頼んでいるが直っていないのである。家の中に入り改めて玄関の電気のスイッチを消した。

 そういえば、昔、午前中、他所の家に行くと、こうした電気が点いたままになっている家庭が良くあった。そういった家は家族の起きる時間が遅い家庭だった。

 

自動化で便利になった

 我が家は、何でも自動化にするのが大好きな女房の影響で、何でもセンサー付きの器具を買う。トイレの電灯、玄関の電灯、今書いた外灯の電灯。外灯などはいくつかあるが全部こうしたものに切り替えている。そして、主の選択とは別に、そういうものしか売っていない世の中になった。ウォシュレット。人が近づくと水が流れ、用を足せば水が流れ、席を立てば水が流れる。ガスレンジを電気に変えたら、「電源が入りました」「火力は・・・です」「・・・は熱いですから気をつけて下さい」と大きな声でアナウンスする。他人が近づけば・・・と思ったら、そうでもなさそうだ。うるさくて仕方ない。

 点けっぱなしの外灯      ウォシュレット        電気レンジ   

自動化が引き起こす被害

 究極はオートマの車だ。ブレーキを踏んでエンジンをかければ、エンジンがかかるが、その代わりというか、シフトをドライブやバックに入れて、ブレーキを離せば自動的に車が動き出す。アクセルを踏まないのに動き出す。ここで年寄りは勘違いして慌てる。するとブレーキでなくアクセルを踏んでしまう。そして巷よくある民家に突っ込んだり、店に突っ込んだりする事故が起きるのである。

 

感性や常識に影響が・・・

 便利と不便の境目が分からなくなってきた。何でも自動を喜ぶ人間と喜ばない人間がいることは確かである。自分で良いと思うから自動にしたがる。明るくなったから電気を消す、という動作は人間に必要なセンサーではないのか。トイレで用を足したら、次に入る人のために水で流すという行為や感性は、人間のあるべき姿ではないのか。

 どんどん人間の個性や感性が便利になった世の中で、消えていくような気がしてならない。こうした便利さが「普通」になった現代っ子は、「常識」というものがどうなってしまうのか、非常に興味深い。

 

お尻、ピンピン

 チョット乱暴な話かもしれないが、北朝鮮の「お坊ちゃま」は、自分の世界だけで世の中の常識が分かっていない。他の国の漁民の心情、国民感情など念頭にあるはずもない。こんなわがままな「お坊ちゃま」には、どうしてお仕置きをしたら良いのか。

 お尻が真っ赤になるほど「ピンピン」しないと駄目だ。