ミドさんのブログ

日頃思いつくことを書いてます

生き生き職場

夜遅く開催するZoom講座

 ここのところ、毎週金曜日は、「日本語支援を考える会」というZoomによる講習があり、それを受けている。夕方の晩酌も食事も終わった19時半から始まる講座である。21時半まで続くので、高齢者にとってはつらい時間帯。

 昨日は「気持ちを伝えたい!わかりたい!(歩み寄りのための方策)」という副題がついているように、日本語が不自由な外国人の気持ちを分かるためにどうするか、という講座だった。

 

ばりばり職場

 昨夜は、Zoomをつなぐのにモタモタしたが、2時間の講座中面白く聞けた。そして、2時間の講座が終わり、疲れてベッドに入る。いつもの癖でテレビを点け眺めると、何やら面白いことを話しているようだ。

 「高度成長期は、『ばりばり職場』だった」という言葉で、「そうだったなぁー」と昔を思い起こし、面白そうだと思った。「働きがい」とは何か、ということを話していた。

 

「働きがい」とは

 司会者も話していたし、私もこの放送を聞くまでそう思っていたが、「働きがい=生きがい」という構図を思い描いていた。しかし、「働きがい=働きやすさ+やりがい」だという。言われてみればその通りだと気付いた。

 なぜこんな議論が出てくるかと言えば、人材不足、途中退職者の増加などに起因しているらしい。「働きやすさ」は、外部的要因、言ってみれば会社側が努力しそこで働く人が感じること。一方「やりがい」は、内部的要因で、自分がどう感じるかということである。

 

いきいき職場

 理想や目標は、上記の映像の「生き生き職場=働きやすく、やりがいもある職場」を目指すことにもなるし、会社側はそういった環境・雰囲気作りを考え、働く側はそうした会社を求めることになるというのである。

 かっては、会社上位だったが、今は働き手上位。昔は、「いやなら辞めてもらってもいいんだよ」なんて言葉が聞かれた時代。そんな中家族のためにと、歯を食いしばって働き、現役を終えた。その当時生まれた子供たち、孫たちは、裏を返すように、その恨みを晴らすかのように、「こんな会社にはいられない」と言って転職する時代になったということである。変われば変わるものである。

 

「働きやすさ」は自分で作るもの

 しかし、私の場合、決して、いやいやながら働いていたわけではない。働き甲斐を感じて働いてもいた。上司は別としても、良い先輩に恵まれ、良い同僚に恵まれ、良い仕事に恵まれて、働きがいのある仕事・職場だった。

 考えが古いのかもしれない。しかし人間、十人十色である。百人の人を満足させる職場環境なんて出来る訳がない。「やりがい」は勿論のこと、「働きやすさ」だって、自分で切り開き、働きやすくすることが重要だ。

 

「生きがい」も自分で見つけるもの

 何でも便利な電気製品がやってくれる、環境は自治体が考えてくれる。不満足なものは全て避けて通るような生き方が本当にいいのだろうか。

 転じて、「生きがい」とは何か。同じ理屈で行けば、「生きやすさ(=生活しやすさ)+やりがい」ということになる。生活しやすさを他人に、自治体に求めても仕方ない。他人のせいにせず、自分で切り開く生き方をしたいもんだと、既に高齢者になっている自分は思った。