耕作放棄地
毎週土曜日は、外国人に日本語を教える日。しかし、今日は忙しい。午前中、外国人との付き合いが終わると、家にとって帰し、田んぼに向かった。農業委員としての耕作放棄地解消作業である。
毎年、自分の管轄エリアの耕作状況を調査するためエリアを調査して歩いているが、今回対象になっている田んぼは私が農業委員になった5年前から「耕作放棄地」になっていた田んぼである。
放棄地になる理由と解消方法
耕作放棄地になっている田んぼの所有者は高齢化で、しかも子どもたちは農業をやる意思がないという方々が殆どである。そこで、耕作者を見つける作業が必要になる。そして幸い耕作者が見つかると、次にやることは、新たな耕作者に耕作放棄地の状態で渡して耕作してもらうことであるが、大多数は耕作地の状態にして渡さないことには、耕作してもらえない。そこで、今回のような作業が必要になる。つまり、農業委員で耕作放棄地を耕作できる状態にしてあげることである。勿論、無償作業である。
放棄地解消作業
推進委員2名と農業委員3名で重機を使い、大きな木を根ごと取り除き、石やコンクリート、缶、瓶などを取り除きうねる作業をして、田んぼに戻すのである。
結局、1日半かけて、2反歩5畝の田んぼが復活した。
そして、復活した田んぼは、下記のような状態になった。
今回は、耕作者が決まり、放棄地解消の作業も農業委員他の助けを借りて復活できた。この田んぼは、広い耕作地の片隅にあった、平地の耕作放棄地だったことが幸いした。しかも、隣の耕作者が耕作してくれることまで決まっていたのでスムーズにいった。
耕作放棄地政策は闇の中
しかし、こんな放棄地ばかりではない。場所は山間部、しかも、耕作者が見つからない農地など一杯転がっている。それらの農地をどうやって復活させ、農地として維持させてゆくかが問題である。根本的な問題は、稲作経営では15町歩も20町歩も耕作しないことには経営が成り立たないことに問題がある。しかも、山間部となれば尚更である。耕作機械が高すぎる、米価が安すぎるという問題を解消しないと、こうした葛藤は続くことになる。食料米でなく飼料米で経営を成り立たせるような農業政策では旨く行くはずがない。農林省・農業族の政治家は、今後どう運営してゆくのだろうか。
こういう議論は、何十年も続いているが、何時まで経っても結論が出ないままである。