ミドさんのブログ

日頃思いつくことを書いてます

失われた29日間

 今日も読売の「編集手帳」からネタを頂く。太陽暦太陰暦という言葉や意味は、誰しもご存じだろう。しかし、それがいつ変わったのかということはご存じない方が多くいるだろうと思う。

 

太陽暦の始まり

 私の愛する「編集手帳」によれば、明治5年12月2日が太陰暦の最後で、12月3日という日が突然、明治6年1月1日に変わったのだそうだ。つまり日本には、明治5年12月3日~12月31日まではないことになる。この間に生まれた人も亡くなった人もいないことになる。西暦という記帳の仕方があったかどうかは定かではないが、明治時代のことだから、西暦併記などはやっていなかっただろうと思うからだ。

 

地域防災、交流会議

 さて、一昨日行われた「ICT活用による地域防災」に係る交流会議の様子について話してみたい。

県北生涯学習センターで行われた「ICT活用による地域防災」に係る交流会議

 概要としては、県の防災危機管理部の防災ICT推進担当リーダーからのオンラインでの講和があり、続いて、「地域防災に果たすICTの役割と地域連携」という仮題で茨城大教授の講和があった。

 

コロナ下でも様々な訓練方法

 それに引き続き行われたのが、「交流会議」と称して行われた、ブレーンストーミング形式で行われた意見交流である。主催者側の計らい何だろうが、色々な年代の方々、立場の方々がテーブルに集まり、地域防災の問題点は何だろうかと課題と解決法について意見を交わすのである。

 

7,8年前の地域防災訓練

 私たちの地域では、私が地域役員時代に「自主防災会」を立ち上げた。そして、年々防災委員の会議も行ってきたし、防災訓練なども地域で行ってきた。私自身も防災士の資格を取った。

7,8年前の防災訓練の様子 (避難、消火訓練)

7,8年前の防災訓練の様子(緊急担架の制作、人口呼吸法、炊き出しを味わう住民)

コロナ理由の元に忘れた防災

 ところがである。私が役員を引退すると同時にコロナが流行し出した。自治体も市の防災訓練さえも延期になった。それから3年。今では、地域の防災訓練はコロナという理由の元に行われていない。コロナが ”やらない理由付け” になっているのである。「自分の身は自分で守る」と言われたキャッチフレーズはどこへ行ったのか。極めて悲しいことではあるが、これが現実なのである。

 

工夫して始めよう地域防災

 そして、この会議では、どうして訓練は出来ないのか、どうして避難しないのか、などなどの課題と共に素晴らしい解決方法の意見も出た。こうした意見は現在の役員の人たちにこの会議の内容報告と共に、コロナの状況下であっても防災訓練のやり方はたくさんあることを説明してあげたいと思っている。

 

災害は忘れないでも、またやってくる

 災害で亡くなる人が出たときだけ訓練しても始まらない。災害は忘れた頃にやってくる、災害は忘れないでも、またやってくる、である。