ミドさんのブログ

日頃思いつくことを書いてます

雁風呂

日本語学習者からの誘い

 今日は、嬉しい日だ。日本語を教えているベトナム人の学習者が食事に誘ってくれた。近くの都市にあるベトナム料理店だそうである。どんな料理が食べられるのか楽しみである。

 今まで、色々な国の人たちに日本語を教えてきた。中学生から主婦まで年齢層も職業もまちまちである。しかしこんなことは初めてだ。それにはきっかけがあった。一人の学習者の日本語発表会だ。この娘のためにみんなが協力して発表会の原稿の手直しを手伝ったり、当日はみんなで応援に出かけ、発表後は、当日の写真やらビデオを皆で視た。そして、みんなで、「ああだ、こうだ」とワイワイ言い合った。

 

心の繋がりに国境はない

 こういった行為が、彼女をはじめベトナムの仲間たちの心を掴んだのかもしれない。日本人でも一緒だ。こういった感情に国境はない。昔、中東へ家族で赴任していた時のこと、パレスチア人との交流があった。彼の家族が、ある日、砂漠での食事に誘ってくれた。彼の家族と私の家族だけでの食事会である。砂漠に夕日が落ちるまで、薪が無くなるまで話をした。あの光景は今でも忘れられない。子どもたちはお互い言葉は通じないのだろうがそれでも遊び続けていた。心が通じるとはこんなものである。

    砂漠の夕日        砂漠での食事    食事を楽しむ砂漠地方の人たち

 

雁風呂の伝説

 70を大分過ぎても、まだまだ知らないことばかりである。今日も新聞から「雁風呂」という言葉を教わった。もちろんご存じの方も多いだろう。砂漠での食事時の焚火から浜辺で流木を拾い集めた焚火を思い出し、それから、なるほど「雁風呂か」と思い至っ

た。三遊亭圓生の落語にも出てくるし、歳時記にも登場する言葉だそうだ。

海辺の流木を拾い焚火       雁風呂          雁風呂の俳句   

 

昔の風呂場

 昨日、隣の家から大きな音がする。何事かと見に行くと、私が生まれ育った時からあった小屋が今取り壊されようとしていた。この小屋は、隣に住んでいたおじいさんの家のお風呂場だった小屋だ。我々の子どもの頃は、どこの家でも風呂場は外にあった。“火”を使うことから火事を警戒してのことだろう。そしてその薪は、山から拾ってきたものだった。私の家では、商売をやっていたことで、酒木箱が一杯出て、その木が薪になったので、余り、山で木を集めることはしなかったが、それでも、マツカサなどを集めた経験はある。

 

日本人の心

 雁風呂の物語を聞けば分かるが、海岸に落ちている木々は、雁が不要になった木々だそうで、なぜ不要になったかといえば、その雁が死んだことで不要になった。そして、その供養として風呂で燃やしたということらしい。

 何とも日本的な話があるものだと感心した。だから落語の題材にもなるのだろう。

 今日のベトナム人との食事会にこの話をして聞かせたら、日本人の心が少しは分かってもらえるだろうか。