昨年末の頃、昨年亡くなった有名な女性の話題を取り上げていた。写真家、笹本恒子さんと服飾デザイナーの森英恵さんだった。
昭和40年の頃の「男と女」
最近は、団塊の世代が75歳以上になるのがここ1,2年だそうで、そうなると日本の人口の1/4位が75歳以上になるらしい。この年代が高校生・大学生、社会人になった頃、女性の台頭は目覚ましかった。
私もその中の一人だが、そうしたこれから社会へという時代、前の時代の人たちが親たちでいた。「女だてらに」とか「女のくせに」というような言葉が流行り、一方で母親たちも「女性らしくしなさい」とか、女性は家に入ってご主人の世話をしてあげられるよう「料理・生け花」などの習い事をしなさいと言われたものだった。
男に負けないように
しかし、我々の年代、つまり、団塊の世代に入り、「女性は男に負けないように」とか「男にできることで女に出来ないことはない」などと女性たちがこぞって言い始めた時代でもあった。冒頭にあげた笹本さんにしろ森さんにしろ、そうした女性の先駆者だったのだろう。
お茶汲み女性の存在
私たちが会社に入社した頃、配属された課や部には、必ず「秘書」と言われた女性がおり、部・課にはお湯の魔法瓶・急須・茶碗がお盆に載せられ、職場の一角に置いてあった。男は、随時、このお茶をついで飲み、そうした茶碗を洗うのは秘書の役目、つまり女性の役目だった。こうした「お茶汲み作業」をするのは女性の役目だったが、10年もするとそうした作業を女性がするのはおかしいと言われ始め、その役目も消えていった。
男勝りの女性
そうして時代が進み、ダンプの運転手やコックなど男の職場と言われた職場にも女性が進出していった。冒頭の女性たちは、「肩肘張らなくていい」「男に出来るもので女に出来ないことはないなどと言わなくていい」と言う。世界に羽ばたいた女性の言葉である。そして、「つまらない生活は嫌」「楽しまなくちゃ」とも言う。
そうした時代背景で育った身として、「その通りだ」と思うが、そうは言っても、「男上位」で育てられた身としては、どこかでそうした経験などが顔を出す。
男女の適性
考えが古いと言われてしまえばそれまでだが、孫が来て、孫の相手や世話をするのは女性(妻)が圧倒的に上手である。相手を思う細やかな気遣いも女性にかなわない。我々の年代の男に「しろ!」と言われても出来ないだろう。「女に出来るもので男に出来ないものは一杯ある」のである。
思春期を迎え、男が女性を恋しがり、女が若い男を恋しがる。考えてみれば、すごく不思議である。年取った男が、年取った女が、そんなに異性を恋しがることはない。一部の例外を除いて。これが、動物の本能という訳だろう。
女と男の適性
元々、男にはやるべきこと、出来ることがあり、一方、女にもやるべきこと、やれることがある。言葉を変えれば、男にも女にも性別によって適したことがある、というのは言い過ぎだろうか。
遠くで、妻が、「お父さん!・・・早くやって!」という声が聞こえる。