武田数宏所長の話
何度も、このブログでお世話になっている ”テレビ寺子屋” である。今日は、「しあわせは心が決める」というタイトルの武田数宏氏(公益財団法人修養団 伊勢青少年研修センター所長)の話だった。
武田さんの話は、自分の生き方に通じる部分もあり、今日の話は眠気眼での聴講だったが、講義が終わる頃には、目がすっきりしてきた。
不幸せの幸せ
講義の中で、体が不自由な小学生か中学生が作った詩が朗読された。慌てて携帯で撮ったので順不同になるかもしれないがご容赦いただきたい。
みんなが不幸せだということを
僕がひとり幸せに感じている
歩けない幸せ 話せない幸せ 食べられない幸せ
みんな幸せがあることを
世の中の人は みんな知らない
幸せは 満ち足りた物の中にあるのではなく
足りない物の中にあることを
僕たちは ひそかに気付いている
小さい時から 幸せを 追い求めてきたけど
幸せは この僕のこの体の中にある
感謝するから幸せになれる
最後に、黒板を使って綺麗な文字で書いた。
幸せだから感謝するのではなく
感謝するから幸せになれる
福祉やボランテアといった行動・動きは正にこの精神だろう。
(ここまで、6/4記載)
地域の一斉清掃
昨日は地域の一斉清掃だった。私が、この地に戻って来るまで、親の代からずっと続けてきた一斉清掃。そして私が役員になってからも続けていて、辞めたあとも続いている。今年は、小さな常会の常会長なので、ゴミ袋を配ったり、お茶を配ったりと朝から何かと忙しかったが、綺麗になった後の地域を歩くのは楽しい。道路際が綺麗になっているからだ。
なぜ、道路脇を清掃する?
この一斉清掃は、道路の脇の草やゴミなどを取り除き、両脇の下水が滞っていればそれを流れるように掃除したりする清掃である。今の時代で言えば、本来、自治体がする作業と言うことになろうか。
しかし、これも昔の人たちが、国、県や市が地元のために道路を作ってくれた、その感謝を込めて年に一回程度、地元の人たちが道路や下水を掃除してお返しをする、そんな行事なんだろうと位置づけている。
常会(町内会)入会者数の減少
ところが、最近、私たちの常会入会世帯数が、23軒から10軒に徐々に減った。そうなると、家の前を掃除することで、道路脇全てが綺麗になった昔に比べ、常会を抜けた家の前、家が取り壊された脇そして空き地の脇など、草が生え、ゴミは残ったままになるのである。
昨日も常会に入っている人たちが集まって話していた。空き地の脇の道路脇は誰がどうやって掃除する?という問題である。
そろそろ、自治体にお任せしても良い時期なんだろうか。
感謝すること
冒頭の武田数宏所長をネットで調べさせて頂いた。立派な方である。そこに書いてあった文章。
生きるとは 誰かにお世話になること
それをお返しするのが 生きてゆくということ
感謝(お返し)することが出来なるのも寂しい。