ミドさんのブログ

日頃思いつくことを書いてます

気流

 今日の投書欄「気流」のお題は、”カレー” だった。小学生のクラスにカレーが嫌いな子がいて、急遽話題を変えた担任の先生の話とか、家庭科の授業でカレールーの担当になった子が買ったカレールーを家に忘れて困った話とか、今は何処でも黒いカレーだが、その昔はどこの家庭も黄色いカレーだったというような、いろいろな話題が載っていた。昭和生れの私にはどの話題もニヤニヤしながら見るようなモノばかりだった。

 私の家は、昔、田舎の小売店を営んでおり、母親が全てを取り仕切っていた。その関係で、決して裕福な家庭ではなかったが、夕ご飯や掃除洗濯などは、近所の奥さんが家でお手伝いさんとして手伝ってくれていた。小学生の頃、カレーとなると所謂 ”黄色いカレー” が出てきた。これが抜群に旨く大好きだった。小麦粉とカレー粉だけを混ぜたカレーである。

カレーの話題の”気流”  ”ミスや過ち、お客様は神様”の話   庭に咲いたのアヤメや花

 編集手帳には、誰にでもある”ミスや過ち”の話。ミスや過ちと言えば、最近物忘れが酷くと言うより、物忘れが酷くなったとの思い込みも含まれているようだ。こんなことぐらい昔は忘れなかったという思いが、ヒョンなきっかけで判明すると、何もかも「また忘れてしまった」と思い込むようになり、「物忘れが酷い」と思い込むような気がする。また、それに、耳が遠くなり、人の話が声の質によって聞きにくいことも「物忘れ」に加わり、より一層「高齢感」が出てしまうのだ。対面で話を聞くことが苦手になってきている。

 そんな中、昨日はいつもの外国人に日本語指導。ジャマイカ人とカナダ人相手の指導である。片言の会話は出来るモノの、ひらがな・カタカナは読めず、通常使用している教科書が使えないのである。殆どがつたない英語での会話である。今まで相手にしてきた学習者は、殆どがベトナム人などの技能実習生。彼らは、母国を離れる前に、ひらがな・カタカナを勉強し、全員が覚えてきているので、教科書を読むことは早い遅いの差こそあれ出来る。

 ところがこの2人は全く読めないのだ。勿論漢字も出来ない。そこで教科書をひらがな・カタカナで書き直し、更に、ローマ字を加え、そこに英訳を付け加えるのである。この作業が多くの労力を使う。しかし、だれとも会話しない作業なので、聞き取りにくいことは何もない。むしろ得意分野でさえある。

 そして、今度はどうやって、ひらがな・カタカナを彼らに覚えさせるかの手法である。こういった方法を考えるのが実に面白い。この方法ではダメか、今度はどうだ、といろいろな方法を試し、思い巡らすのである。

 英語はアルファベットは重要だが、単語で覚える。「s(エス)」の発音には何の意味も持たないが「school(スクール)」という組み合わせは意味を持つ。日本語の「がっこう(gakkou)」は当然意味を持つが、「が」「っ」「こ」「う」の一つ一つが読めないことには意味が理解できない。つまり、「あいうえお」の51音が読めないことには文章は読めないし、意味も分らないことになる。これを覚えないとダメだということを理解させることが重要なのだ。

 今日も、25課ある教科書のローマ字変換に精を出す。やっと3課まで終わった。ふと庭に目を移すと、ツツジ(サツキ)が2輪ほど咲き出した。その手前には紫のアヤメが綺麗に咲いている。これから庭の沢山あるツツジの季節である。