ミドさんのブログ

日頃思いつくことを書いてます

年寄りの自己満足

コロナ感染者の現状

 今朝の新聞に、「ダイヤモンド・プリンセス」の文字と写真。あれからもう三年が経った。「新型コロナ」の始まりだった。以降、現在では、まだ第八波が続行中で、それ

第六波から第八波

でもやっと下火になりつつある。お陰で、コロナ発生以降、新聞の感染者数を毎日記録し上記のグラフを作るのが日課となっている。

 

嫌なニュース続々

 それにしても嫌なニュースが後を絶たない。ウクライナへのロシアの侵攻は言うに及ばず、国内と海外が絡んだ、強盗事件。留置場内から犯行の指示を出していたという。フィリピンに長く滞在した人間としては「さもありなん」と言う事件でもある。そうかと思えば、回転寿司店やうどん店での若者の不清潔な行為のネット拡散事件などである。

 

夫のスーツで孫が・・・

 その中でほのぼのとした記事を見つけた。「夫のスーツで孫が成人式」という記事。タイトルを見ただけで思わず顔がほころぶ。我が家では、子供たちの結婚が遅かったのでこういったタイミングはなかろうと思うが、子供が私のスーツを持って行ったことはある。現役の頃、スーツをたくさん作ったが、定年になり着るのも年に一回あれば良い方でタンスの肥やしになっていたもの。自分の体型もいろいろ変わるので、ウエストが太いもの細いものいろいろある中で子供が好きなものを持って行くのである。これは何とも嬉しいものである。それが孫となれば尚更のことだろう。

ネットから(成人式の晴れ着姿)

“じいじ”の話

 いつしかそうした服も子供たちの体型とともに廃棄される運命をたどる。このブログを始めたきっかけは、孫たちに伝えることは?という観点からだった。私が生まれたときには、祖父も祖母もこの世にいなかった。両親から祖父のことはよく聞かされた。直接祖父の思いを聞きたかったと何度思ったことか。話を、人づてに聞くのと直接聞くのでは大きく違うし、直接聞かないまでも祖父が書いた文章を読むことでも大分印象が違うに違いないとの思いからだった。

 

年寄りの自己満足

 ある種、自己満足かもしれない。「そんなことに興味ないよ」と振り向きもしないかもしれないからである。それはそれで良い。是非見てほしい、是非読んでほしいというものでもない。読みたいとき、思い出したいときに手元にあるとないでは違うからだ。

 そんな訳で、毎日が忙しい。やってもやらなくても良いことに時間をかける。そしてそれに更に一手間をかける。それが、老化防止ににもなると信じている。

 それにしても、忘れる機会が多くなったと感じる今日この頃でもある。

 今から、「日本語支援を考える会」の講座をzoomで受ける。午前・午後2時間ずつである。お陰で今日も忙しい。

泡盛

泡盛

 泡盛は、沖縄のお酒である。何度となく訪れていた沖縄でその都度飲んでいた泡盛。今度の旅行で、石垣島へ行き川平湾でたまたま通りかかった泡盛製造所。3種類の小瓶(100ml)が入った箱を買ってきた。

 持ち帰ってそれらを飲み比べてみた。すると、今回の旅行で飲んだ泡盛(30度)と違った香りと味がした。そこで、小瓶に書かれている製造所に電話し、2,3日前にオーダーした。その泡盛が昨日届いたのである。購入代金を郵便局で払い込み、早速開梱である。

今回購入した ”おもと” の3年古酒と8年古酒    旅行先で購入した3本セット

 早速荷を解いた。見慣れた3年古酒だったが、オーダー時、8年古酒もあると聞いて、いささか高額ではあったが、これも1本入れてもらった。3年古酒であの香りと味なので、8年古酒ならさぞかし・・・と、今から味わうのが楽しみである。

 

”おもと” も仲間入り

 荷を解いたら、瓶の箱の中に下記のようなカタログが入っていた。

製造過程や泡盛の種類が載ったカタログ

 旅行時、たまたま午前中に川平湾を見学するので通りかかった酒造所だったが、製造過程を見学させてくれた。

 それまで、泡盛はサトウキビから造るものと勝手に思い込んでいたが、”タイ米” が原料と聞いてビックリ。日本酒の仕込みと言えば、冬に決まっているが、泡盛は1年中造れると聞き、2度ビックリ。それまで、泡盛と言えば”久米仙”と、かっての思い込んでいたが、今度は、”おもと” も私の泡盛の銘柄に仲間入りである。

 

泡盛の語源

 嘘か誠か知らぬが、ネットで泡盛の語源を調べてみたら、アルコール度を調べるのに昔は、できた泡盛を高いところから垂らし、泡の出来具合、盛り上がり具合で判断したことから ”泡盛” の語源がついた由。なんとも楽しい語源である。

 

泡盛の飲み方

 ちなみに、飲み方であるが、人それぞれだろう。古酒は、43度と高アルコール度であることから、私は、オンザロックで一口嘗めるように味と香りを楽しむ。そしてその後、今ならお湯割りで飲む。かなりのお湯で薄めても、香りは結構持続するので、流石古酒という気がする。

 そして飲んべえに良い最大の特徴は、悪酔いをしないことである。今回、5本も購入したので、結構、沖縄を楽しめそうだ。

 

今まで好きだった久米仙

 後で、飲み比べてみようと思い、ついでに久米仙もネットで買ってみた。2本買い、一緒に旅行した久米仙ファンの一人に、1本をプレゼントした。

 みんな年寄りなので、少しずつ、味を楽しみ、香りを楽しみたいものだ。

久米仙の古酒

 

自動車免許更新に伴う、高齢者講習

認知機能検査と高齢者講習

 昨年末から、自動車免許に伴う高齢者講習を受けた。1回目は認知機能検査と言われるもの。費用は1100円。続いて、2回目は高齢者講習と言われるもの。費用は6600円と高額である。

 認知機能検査というのは、例えば、いくつかの絵を見せられて、その後、関係ない質問を受け、気をそらさせた後に、どんな絵があったか覚えているものを書きなさい、といった記憶力を測る検査である。

 

免許更新に必要な書類

 そして数日前に受けた「高齢者講習」。視力と視野の測定を受け、その後、実際の運転をする講習である。

最初に来るお知らせ(受ける順番が記載)      最終的に取得する書類 

 上の写真は、最初に75歳の誕生日が近づくと左の通知が公安委員会から届く。真ん中の手続きの流れがポイント。受ける場所は近くの自動車学校(教習所)。

 つまり、認知機能検査と高齢者講習を受け、その結果の証明書を受けた自動車学校から受け取り、警察署に提出し、今まで免許更新時にやる検査を更に警察で受け、免許更新を受けるということである。つまり、75歳以上になるとこの二つの書類が必要になると言うことなのだ。左:高齢者講習修了証明書 右:認定認知機能検査結果通知書

 

高齢者講習の重要性

 視力と視野の検査は、免許更新には関係ないという。結果がどうあれ、その結果が警察へ行くわけでもないし参考までにやるのだそうで、”誰のために?”という疑問が残る。しかし、「高齢者講習修了証明書」にあるように、こういった教育が必要ということなのだろう。それと、あえて良く言えば、高齢の運転者に、「視野とか視力というものが重要なんですよ」と再認識させることが必要なんだろう。

 

実車運転技術

 一番疑問に思ったのは、試験官が同乗しての自動車の運転である。僅か5分程度の運転だった。自動車学校のコースを2週ほど回るコース。信号と一時停止しかなく、s字コースやクランク、車庫入れ、坂道発進縦列駐車などの基本の運転技能検査は皆無だった。

 これもいいように解釈すれば、試験官の方が受講者との会話内容やちょっとした仕草などで、異常がなければ由とする試験なのだろう。

視野・視力の検査結果             配られた参考書       

 

配られた検査結果と参考書

 上記の写真で、左の2枚(重なっている)が「視力測定結果票」と「視野測定委結果票」である。これは免許更新には必要ない結果票である。そして右側は小冊子である。

 その現場で同じ講習受講者と話した。「こんな小冊子もらっても、ここでパラパラめくり、家に帰ればどこかに置いて、そのうち捨ててしまうもんね」。

 

相変わらずの日本社会

 つまり、5分の実車運転検査も悪く言えば、”規則があるからやる” という悪癖に相当するような気がしてならない。6600円という講習代にしても、5,6人の講習受講者を相手に、1人で2時間では高すぎやしないか、恐らく、自動車学校も国なり公安委員会から一人頭いくらという入金もあるのだろう。結局、こうした規則を作り、利益を得る人たちがいることになるのかと、相変わらずの日本社会だと変に納得した一日だった。                                     

沖縄旅行(続き2)

 昨日は、2日目の夜の話だけで終わってしまったので、今日は残りの話を書く。

 

3日目の観光スポット

 空港で借りたレンタカー2台で、最初の訪問地 ”桃林寺”へ。 八重山諸島最古の寺院だそうだ。そして、石垣市公設市場である。旅行会社の人に、ここで買い物をしたらよいと教えられた。ところが、細い路地を入ったところにあるアーケード街のような場所である。太い路地から両方の入り口は見えるものの、近づけない。駐車場も見当たらないので、仕方なくパスすることにし、次の ”石垣市鍾乳洞” へ向かった。

 桃林寺(八重山諸島最古の寺)         石垣市鍾乳洞         

 今までいろいろな鍾乳洞を見てきたが、普通の鍾乳洞である。ただ観光用に、照明を配置し、歩く道も整備されていた。

 

素晴らしい眺望!

 そしていよいよ、石垣島最後の観光スポット、”川平湾” である。3,40分程度であるが、途中海岸線で休憩を入れた。

途中立ち寄った海岸       川平湾          昼食(カビラガーデン)        

 その立ち寄った海岸の透明度が素晴らしい。参加者の一人が靴を脱いで海に入った。勿論遠浅である。それから訪れた川平湾の眺望は「素晴らしい!」の一言だった。写真ではよく分からないが、広角で広がる海の水の色彩には、現地へ行った者でしか分からない眺望の素晴らしさである。ここでは、釜飯の食事を美味しく食べた。当然、生ビール付きである。

 

空から見る沖縄

 いよいよ、旅行も終盤。新石垣空港へ向かい、那覇で今日は最後の夜を過ごす。

八重山諸島の海岸線      宮古島らしき島        沖縄本島   

 今回の旅行で綺麗に晴れたのは、今日、3日目だけだった。飛行機に乗って雲の切れ目から海が見える。一番右の写真は、恐らく、沖縄本島。そして真ん中は宮古島であろう。そして左端の写真は、八重山諸島の島々はみんなこんな見え方をするが、海岸線が二つある。つまり沖に波が立つ海岸線が見えるのである。遠浅で珊瑚がある透明度の高い海であり、手前が本当の陸地、内地で言う海岸線である。一方、沖縄本島の右側の写真を見ると海岸線が一つしか見えない。

 

午前様の最後の夜

 那覇の食事は、コンパニオン付きで最後の夜である。国際通りにほど近い普通の居酒屋だった。写真を誰も撮った人がいなかったので、掲載できない。最初、泡盛の1本の1/3位まで減るのは遅かったが、そこからが酔うほどに早くなった。あっという間に2本も空けてしまった。そして、延長である。更に、3人のコンパニオンを連れ立って、国際通りのカラオケ店へ。なんと午前様になった。

 

3度の火災にあった首里城

 いよいよ最終日。

モノレール                  首里城           

 昨日、那覇空港からホテルのある安里駅までモノレールに乗った。もう20年位経つだろうか。出張で沖縄へ行った時、空港の前でモノレール建設の工事をしていたのを思い出した。今や、沖縄の人たちの足になっているのである。それまで鉄道もなく車社会だった那覇市(沖縄)に鉄道ではなくモノレールができたのである。

 最終日の今日は、そのモノレールに乗って、首里駅まで行き、首里城見学である。首里城は2度の火災に遭い、今、再建中だった。焼失を免れたところを見て回り、最上部から海まで見える町の風景は圧巻で素晴らしかった。

 

沖縄の印象

 そして、無事、羽田に着いた。我が町は雪だった。

 いろいろ紙面の関係で書き漏らしたところもある。何十年も前の沖縄と印象は同じである。建物が石造りやブロック作りの家がそうさせるのかもしれないが、明らかに内地とは違う。観光の人がよく通る場所などの風景は変わらないものの一歩町並みへ足を踏み入れると違和感を感じるのである。ホテル内の部屋の作りもそうだった。

 これは、なぜなのか。もっともっと、沖縄振興に政府は力を入れる必要があるように感じられた旅行だった。

 それにしても同世代の人たちとの旅行は楽しい。今回、みんながよく間違うフレーズがあった。「日本では・・・」と言うフレーズである。沖縄は日本である。ここでも

「『では』の神」が登場した。沖縄の人は、「内地では」という言葉を使うのである。 

 



 

沖縄旅行(続き1)

 昨日、免許証更新に当たっての昨年末の「認知機能検査」に引き続き、「高齢者講習」を受けてきた。思うところもあるので、明日にでもブログに投稿することにしたい。

 今日は、沖縄旅行の続きである。3日目からである。八重山諸島のいくつかを回り、今日は石垣島巡りをして午後には沖縄本島那覇へ移動する。その前に、昨日(2日目)の夜の出来事を報告したい。

 

二日目の夜、誕生祝い

 八重山諸島巡りを終わり、石垣港に戻ってきた我々一行は、ホテルに一端戻りその後夕食のレストランという段取りだったが、港から近いということもあり、「やいま家庭料理、さつき」というレストランまで地図を頼りに歩いた。5分ほどだった。そこでは極普通の食べ物と飲み放題・食べ放題の夕食だったが、12人の最年長者83歳が、今日が誕生日と言うではないか。急遽、出席者の一人がケーキはないかと誕生日に相応しいものを買いに外に出て、コンビニで小さなケーキとロウソクを調達してきた。「ハッピーバースディ」をみんなで歌い急遽誕生祝いパーティになった。

 

「はるちゃん」でも誕生祝い

 そして、更に有志だけでホテルまで歩いて帰る途中「はるちゃん」という食事処で飲もうとなったらしく、既にホテルに帰っていた私に電話がかかってきた。行くと、そこで、お酒を飲みながら、うどんをみんなで食べていた。

居酒屋での誕生祝い   日本一?小さな蝉       沖縄三線奏者に再会   

 ここでも、経営者の「はるちゃん」がケーキとロウソクを準備してくれ、再度誕生祝い。83歳の先輩も気分よく大分酔いが回っている様子。

 そこのご主人が教えてくれた小さな蝉。葉っぱに止まっているハエのような昆虫の写真を携帯で撮って大きく拡大してみろという。やってみるとなんと蝉だった。恐らく1cmあるかないかの小さな蝉だ。

 

こんな偶然ある?

 皆は酔いが回りホテルに戻った。ホテルは石垣市のはずれのような場所だったが、周りに何かないかと一人でぶらっと外に出た。もう夜中の10時を回っている。10分、15分と歩いていると明かりが見えた。外からガラス越しに中を見ると、1日目の夜に「舟倉の宿」で三線を演奏してくれた人たちが小さな舞台でやっている。しかも横笛奏者まで付き3人体制だ。ホテルに電話してさっきうどん屋で一緒だった一人に来ないかと打診。中へ入ると、懐かしい三線の調べ。これが最後の演奏だという。そこへさっき電話した仲間がやってきた。すると、特別に延長して演奏をしてくれるという。結局、いろいろな「謂れ」など男性の奏者が説明を加えながらの演奏だったので、沖縄のうんちくも教えて頂いた。

 

一生に一度あるかないか

 石垣島に何件もある飲み屋さんで、たまたま探した1軒目。そこに同じ奏者がいたという偶然、こんな偶然はそんなにないだろうと思った。ラッキーである。

 3日目、4日目のことを書こうとしたが、もう、1000字を超えてしまった。明日にしよう。

 

おまけ

 この奏者に教えてもらった知識。八重山諸島先島諸島。どちらも天気予報などでも聞くし、沖縄へ来てからどちらも言葉として見たり聞いたりしていた。ちゃんと、線引きがあるという。八重山諸島と言うのは、石垣島から台湾寄り、南側を言うのだそうだ。そして先島諸島とは、これに沖縄本島寄りの島、宮古島を入れた諸島を言うのだそうだ。聞いた話なので真偽のほどは分からない。後で調べてみたい。

 

 

 

 

 

 

 

沖縄旅行

農業委員旅行

 今回、ブログを書くのが10日空いてしまった。これには事情がある。現在活動している農業委員の仲間たち12人で3泊4日の沖縄旅行をしたからである。この旅行は農業委員の行事にも位置づけられていて、委員としての僅かな報酬から月1万円を旅行代金として積み立て、3年に一回旅行をするのである。

 3年前はタイへの旅行だったが、私は、あまり興味もないことからパスさせて頂いた。農業委員を2期6年の終盤にさしかかり、委員の皆さんと旅行する初めての経験だった。

 

観光旅行は別物!

 今回の旅行は、沖縄と言っても石垣島西表島竹富島などの八重山諸島中心の旅行だった。何せ、83歳の最高齢を筆頭に70歳前後の方々が多く、無理も利かないことから夕方の食事・宴会を中心にした移動距離も短い楽し旅行だった。

 沖縄の島々は、仕事で特に海底ケーブルの仕事で現地を何度も訪れていたが、観光地は皆無で、そういう意味では観光地を回るのは初めてで興味深かった。

 

一路、石垣島へ(1日目)

 羽田を午前中発ち、午後石垣島に、そしてレンタカーを借りて、博物館や唐人墓を見て回ったが、内地の天候が悪いのと同時に、石垣島も悪く、小雨交じりの強風に見舞われ、寒く、観光地見学どころではなかった。

石垣島博物館        三線の調べ        沖縄料理メニュー

 いよいよ楽しみの宴会・食事である。石垣市中心街を外れた西部にある”舟倉の宿”という食事処で沖縄料理に舌鼓。沖縄三線の調べと民謡の歌に、泡盛、実によく合うものだと感心。上品な女将さんの料理一つ一つの講釈を聞きながら美味しく頂いた。

 

八重山諸島、島巡り(2日目)

 2日目が本格的な観光地ツアーである。石垣港を出港して西表島へ向かう。イリオモテヤマネコが有名なあの島である。しかし我らは、近くの仲間川という川を舟で遡り、両岸に繁茂すマングローブの群生を見ながら島の大自然を楽しむ。この舟の操縦兼案内役のお兄さんが面白かった。マングローブという木はないという話から始まり、木の種類や干満の差など一つ一つが面白い話だった。

 

水牛の荷台に乗り、由布島

 そしていよいよバスで移動し牛車に乗り、対岸にある由布島へ渡るのである。バスののろうとしたらさっきの案内のお兄さんがバスも運転するという。またも軽快な案内を聞きながら10分ほどバスに乗り、牛車に乗り込む。牛の爪が隠れるか隠れないかの10

案内板       マングローブ        由布島へ牛車で  

センチほどの水深だ。帰りに見ていたら、なんと、人も車も歩いたり走ったりして渡っているではないか。橋もないのでこうして渡るしかないのだ。

 

竹富島の沖縄の古い町並み

 そして、先の港へ戻り、今度は竹富島である。ここでは古い沖縄の村の建物を見て回った。よく写真などで見る赤瓦の屋根と木造の家である。

海岸で見つけた”星の砂”      沖縄家屋          竹富島の町並み   

 途中、道路から外れて海岸に出て、砂浜の砂を指に付けると星の形をした、いわゆる”星の砂”がいくらでもとれる。古い町並みの中でも袋に入れて”星の砂”が100円で売っていた。 

 こうして、石垣港に戻り、1日の島巡りツアーが終わった。長くなるので、3日目以降は次回とする。


 

人生を変える言葉

箱根駅伝” の記憶

 お正月と言えば ”箱根駅伝” である。いつからこのファンになったかは定かではない。一番古い記憶は、品川に住んでいる頃だから、昭和50年(1975年)か51年(1976年)頃だと思う。品川の御殿山に住んでいて、テレビで駅伝を観戦していて、先頭が品川駅を過ぎて、八ツ山橋にかかる頃、慌てて家から飛び出し京浜急行北品川駅前の第三京浜の道路に飛び出し、通り過ぎる選手たちを街頭で応援した記憶がある。もう半世紀も前の話だ。以降、東京にいる間は街頭で、茨城に戻ってからはもっぱらテレビ観戦である。

箱根駅伝(読売新聞より) 瀬古選手と競う宗兄弟の姿      瀬古選手の記録    

活躍した選手たち

 まさに見始めの頃、早稲田の瀬古選手の全盛だった。そして瀬古選手が箱根に出なくなっても、マラソンで活躍し、一方の早稲田大学箱根駅伝での全盛時代が続いた。そして当時の選手たちは、今、実業団の監督として、そして箱根駅伝の出場校の監督として活躍している人たちも多い。元日に走る実業団駅伝、2日、3日に走る箱根駅伝では、昔懐かしかっての選手たちの姿を見ることも多い。

 

瀬古利彦選手

 今日の読売新聞には、来年100回大会を迎える箱根駅伝で活躍した選手たちを取り上げ、瀬古選手を取り上げていた。

 元々中距離選手からスタートしたらしい。当時の早稲田大学の監督、中村清氏に「瀬古、おまえはマラソンをやれ、マラソンで世界一になれる」と言われ、長距離、マラソン選手になっていったらしい。

 

選手と監督

 当時は、早稲田全盛時代であり中村監督も有名だが、その後、青学、つまり青山学院大学も有名になった。原 晋監督であり、今年の箱根駅伝を制した、駒大の大八木弘明監督である。三大大学駅伝と言われている、出雲駅伝全日本大学駅伝を加えた三つであるが、駒大は昨年からのこの三つを制し、今年で大八木監督は退任するという。

 大学駅伝ばかりではないが、人生の中で印象に残る、そして考え方を変える契機となる言葉があるものである。「やったね!やったよ、お前男だ!」「やっぱり大作戦」など監督の性格などが表れる言葉によっても勇気づけられるものである。

 

人生を変える言葉

 前にもブログで書いたような気がするが・・・。私にも今でも覚えている上司の言葉というのがある。「難しい案件から逃げようとしているね」という言葉である。自分ではそのつもりは全くなかったが、傍から見ているとそう見えたのだろう。物事を片付ける場合、早く終わらせようとすると、難しく考えるより簡単に考えた方が手っ取り早い。つまり、表面ずらで片付けようとするのである。すると、何でも深く考えないような処理の仕方になる。それを捉えてアドバイスしてくれたものだった。

 

100回記念大会に期待

 話が逸れてしまったが、来年の100回記念大会は楽しみである。早稲田、青学、駒大続いた優勝チームも、新しい大学が現れるのか、実に興味深い。

今年上位だったチーム、2位の中央、更に、青学、國學院、順天堂、早稲田など強豪がひしめいている。来年の記念大会は全国の大学が集まるらしい。

 また、来年のお正月は今から楽しみである。