ミドさんのブログ

日頃思いつくことを書いてます

福祉って、そういうもんです!!

杉良太郎の特集番組

 最近は、日付の前後が分からなくなってきている。3日前だったか4日前だったかである。俳優であり、歌手でもある杉良太郎の特集番組だった。多分、再放送だろう。何度も聞いたことがある。

 でも改めて見てみると、凄い!と思う。自分がちっぽけに見えてくる。「売名行為ではないか」という声に、「そうですよ。でも、自分の名前を売りたいと思ったら、数十億円の自分のお金を使ってやったら良い」と返す余裕である。全くその通りだ。

 

3歳の慈善活動

 番組の中でも出てくるが、貧乏家庭で育った杉は、3歳の時にあった出来事を話す。昔は、戦争で体が不自由になった人が道ばたで缶詰の空缶を目の前において、お金を恵んで欲しいと通行人に訴えていたモノである。

 その姿を見て、3歳の杉は、母親にお金をあげてやってくれとせがんだそうだ。それが慈善に目覚めた最初だったようだ。貧乏であった母親は子どもの杉の要望に(仕方なく、)硬貨をチャリンと缶の中に入れてくれたそうだ。

 

寄付活動

 そして、俳優になってからも、そこそこの給料が取れるようになっても、その給料から寄付をして、自分は安アパート暮らしをしていたそうだ。根っからの慈善事業家なのだろう。こういう心情は、どうして生まれるのだろうか。生まれてから3歳までの間に育つのだろうか。余程母親の気持ちや心情が乗り移ったとしか思えない。幼心に感じ、そんな心情が芽生えたのだろう。

東日本大震災      ベトナムの孤児          数々の褒章     

 

福祉とは、、、

 ここから先の活動は、皆さんが見聞きしているとおりである。東日本大震災の時にはトラック15台で支援に駆けつけた。

 そして、ベトナムの孤児院の孤児を81人も養子として迎え入れていることも有名な事実。冒頭のお金があればこそですが、お金があれば出来る、すると言うことではありません。お金があってもそういうことには全く興味を示さない人だっています。別の形で支援する人も一杯います。

 

杉良太郎の名言

 流石、杉さんです。福祉に対する名言です。「お金」「時間」「心」を、人それぞれの環境のよって、使って福祉に努めたら良いと。 

 「福祉をやるには確かに時間とお金がかかる。特にお金がないと

  見栄えのいい福祉はできません。

  でも、お金がない人は時間を寄付すればいい。

  お金も時間もない人は、福祉に対する理解を示し、実際に

  活動をしている人に拍手を送るだけで十分。

  それでもう立派な福祉家なんです。

                福祉ってそういうもんです。」

”黒子野球” の勝利!

世界一! 侍ジャパン

 ついにやった! 全員がヒーローの ”侍ジャパン”。

歓喜に沸く、侍ジャパン

 昨日は、朝早くから出かけた。テレビを見る時間も無かったが、車の中で、日本のようなチーム、即ち、「皆が助け合い、皆がヒーローになる、監督までがヒーローになる日本の野球が、一流選手を擁するを、皆が憧れとする選手を並べたアメリカに負けたら、野球という競技の魅力が半減するなァー」と漠然と考えていた。

 

「やきもき」した終盤

 しかし、アメリカの強力打線にどう立ち向かうかが勝負だろうと。そうはいっても、公平に考えて、アメリカの方が6対4位で有利かな、なんて考えていた。

 ところがである。テレビを見る暇も無かったが、途中経過を携帯で見てみると、3:1で日本が勝っているではないか。何度も携帯の画面を見る内に、3:2になった。なかなか最終結果が出ない。やきもき。「逆転されたのでは」と、こうなると、人間、良くない方へ良くない方へと考えを巡らす。

 

ついにやった!侍ジャパン

 ついに出た! 「侍ジャパン、世界一!」の文字。本当に良かった。大袈裟に言えば、これからの日本の野球界にとっても、日本の子ども達にとっても良い、大事業をやてのけた。

 私と言えば、今シーズンと言わず、ここ数年は、演歌に明け暮れ、夜のテレビと言えば歌謡番組一筋だった。そして翌日の新聞も、スポーツ記事は、見るのを通り過ぎ、1面、3面記事に目が向いていた。そんな中でもスポーツ関係のニュースと言えば、大谷翔平ダルビッシュ有が目立っていたくらいは分かっていた。

 たまに大きく報じられたのは、村神様の三冠王、そして巨人の4番、岡本。

 

陰?の一流選手が活躍

 侍ジャパンが稼働始めた頃、私のような野球音痴は、ヌートバーって誰? 近藤って? 吉田って? と分からなかった。日本の野球はセリーグが有名で、パリーグの近藤は知らない。そして、大リーグでも、大谷・ダルビッシュの陰で、ニュートバーや吉田は分からない、という一般人の野球界なのである。

 そんな中、序盤は、そのヌートバー、近藤、吉田が大活躍。不振に喘いだのが村上だった。つまり、日頃よく知られない選手が侍ジャパンのために大活躍したのだ。

近藤選手         ヌートバー選手       吉田選手

全員野球の神髄

 そして、準々決勝・準決勝・決勝と進む内に、本来の人気選手、村上や岡本などが活躍し出した。

 日本は全員野球と言う。全員野球とは、自己を押し殺し、皆のためにプレーする野球である。高校野球が正にそれだ。大谷がセーフティバンドをしてランナーを進塁させた。あれが全員野球の典型である。

 

黒子野球の勝利

 そして、一番のヒーローは、なんと言っても、栗山監督。準決勝の9回裏。ランナー1,2塁(1塁:大谷、2塁:吉田)の場面で、同点延長も考えられたが、ここで、吉田に代え足の速い周東にランナーを変えた場面。ここで村上が二塁打を打った。大谷は帰ってきた、同点。ここでもし吉田だったら残って、ランナー2,3塁になったかもしれない。そうなったら、その後の展開はどうなったか分からない。

 そして、次のヒーローは、ダルビッシュだろう。目立つことをやることは出来たはずだが、若いチームのために黒子に徹した。アメリカ野球は、歌舞伎に例えれば ”大見得野球”。 ”黒子野球”(=全員野球)が ”大見得野球” に勝ったのだ。

 そして、それが日本野球だ。

 

 

 

 

 

ああ、無人駅!

 記事にするか悩んだが、やっぱり書くことにしよう。年寄り男のくだらない話も面白いかと思った次第。

 

常磐線無人駅に

 昨日は隔週でやっている、地域の気の置けない仲間たち6人で作るカラオケ会。隣町で行なうので、電車に一駅乗る。

 駅に行って切符を買おうとすると、どこにも券売機が無い! すると、電車を待っていた待合室のおばさんが、「券売機が無くなっちゃったか ら、乗車証明書を取って乗るんだって!」と教えてくれた。よく見ると、確かに橙色の乗車証明書の発行機械。

お知らせ      券売機のなくなった壁       昔の佇まいの駅舎

茨城県では初めて!

 子どもの頃から変わらない昔の駅舎に不釣り合いのハイカラな券売機があったが、その券売機がなくなり、駅員もいない無人駅となったのだ。早速ネットで調べてみた。何と常磐線では3つ目の無人駅。そして、東京都、千葉県、茨城県福島県宮城県の5県を通過する常磐線では無人駅が2つあるが、いずれも福島県。そして、その三つ目が我が南中郷駅となったのだ。

 

昔懐かしい

 そんな思いを胸に、隣町のカラオケ店へ。カラオケと言いつつ、3時間のカラオケの時間で毎度のことながら、半分はくだらない話に終始する。とは言え、地域のことや最近の世相など真面目な話も一杯するが、この時ばかりは汚い話に終始した。ブログに書くような話ではないことは承知しているが、「昔懐かしい話」なのでお許し頂こう。

 

鰻が捕れた黒い川

 我々の地域は、かって常磐炭鉱があった地域だった。写真で目にする”ぼた山”と称する粉炭の山があり、その粉炭が川に流れ出し黒い川となって地域を流れていた。その真っ黒な川で水遊びもしたし、魚やウナギも捕ったりした。その鰻取りで使われた手法が ”ひやし針” という手法。ネットで調べても出てこなかったが、別名 ”置き針” と言うらしい。参考までのネットの図・説明を下記する。

置き針(通称:ひやし針) や 鰻筒(通称:ウツボ

”ひやしばり”や”うつぼ”の手法

 我々の鰻取りに使われた手法は、普通の釣りでもやったが、上図の "ひやし針” や ”ウツボ” を使った手法だった。どちらも餌は、ミミズ。ミミズの大きいのを”きょろかん”と呼び、この ”きょろかん” を ひやし針の針に付けたり、ウツボの中に入れたりしてミミズの餌としたのである。

 

マッチ箱の検便

 話が大分長くなったが、このミミズから回虫の話に飛び、”検便"の話にまで発展したのである。

 学校で「明日は検便を持ってきてください」と先生に言われた。小学校時代である。すると家に帰り、庭などに新聞紙を広げそこに大便をして、その便から少量便を取り、大きいマッチ箱と言っても今は殆ど出回ってないが、そのマッチ箱に便を入れ、翌日学校へ持って行くのである。ところが、この便を取るときに、便の中に時々、回虫が潜んでいたりして、ニョロニョロと白い頭を出すのである。

 こんな話をしていると、汚い話に終始してしまうので、この辺でお開きとする。

 

点数の違うカラオケ機械

 そして、そこからは通常の下手なカラオケに熱中した。今月の課題曲は”どんこ坂”。普通なら90点台を出す御仁が現れるのが普通だが、なぜか80点台後半しか出ない。すると、カラオケ機械がおかしいと言い出す始末。確かに、カラオケ機械はカラオケ店には2,3種混じっているが、機械によって採点が違うようなのだ。そんな訳で、くだらない話をして、歌って、3時間過ごすのも、たまには悪くはない。

ポジテブに生きよう!

送別会

 一寸前になるが、土曜日(3/18)の話だ。ボランテアでやっている日本語指導の仲間が退会するというので、送別会をやった。退会理由は、孫の世話で長男の家に行くという。孫の世話も大変ということで結構本人も心を決めるのが大変だったらしい。

 好きな酒を持ち寄り結構飲んだ。本人は、そんなに飲んだつもりもなかったが、心が高揚していたのだろう。そこからが大変だった。

 

中学校の同級生

 こうなると歩くのも苦にならない。かって中学で越境入学した地であったこともあり、同級生があちこちにいるのである。その一つ、居酒屋の一軒に行った。まだ4時前だったこともあり店はまだ開いていない。そこで、店の前に張ってあるビラを見たら携帯番号の連絡先。早速電話すると同級生の主が出た。すると「・・・君?」と懐かしく言うではないか。声で相手が分かるのは凄いことだと感心しながら電話していると、店の戸が開いて、同級生が顔を出した。

 

近所の・・・ちゃんが・・・

 開店前だというのに、入り込んで、お酒を出してもらい話し込む。すると、女将(奥様)が顔を出した。「・・・ちゃんだよね?」と言うではないか。「なぜ?」と思い、聞くと、子どもの頃一緒に遊んだと言う。そういえば、マスクはしているが、目元に面影がある。

 

会えずじまいの昔の憧れの君

 昔話に花を咲かせた後、中学校時代の話に戻り、誰が好きだったのと女の子(今ではおばあちゃん)の話に。「そういえば、・・・が、店をやっていたね。行ってみようかな。」となり、同級生の居酒屋を後にし、その店を目指す。目と鼻の先の数分で行ける場所である。行ってみると、またもや、店は閉まっている。

 ここまで来たら、酔った勢いもあり、隣の店に。そこで、動静を伺う。彼女を知っている人がいる店があるという話で、次の店に。結局、今日は店を休むということらしく会えずじまいでの帰宅となった。ボランテアの仲間が辞めることで、感傷的になったのか、半世紀以上前の同級生を思い出したのである。

しばらくぶりに訪れた同級生の居酒屋                越塚勇人氏の ”五つの誓い”    

 

”五つの誓い”

 次の日の回覧板。地元小学校関係の地元住民向けの機関誌記事。「命の授業」という講演をしている、越塚勇人氏の講演が小学校で行なわれたようで、教頭先生が記事の中で講演の「五つの誓い」が紹介されていた。

    口は、 人を励ます言葉や感謝の言葉を言うために使おう

    耳は、 人の言葉を最後まで聴いてあげるために使おう

    目は、 人のよいところ見るために使おう

    手足は、人を助けるために使おう

    心は、 人の痛みが分かるために使おう

 口では、良いようなことを言っても、陰口をたたく。自分の言うことを人が何を言おうが強調する。人のあら探しをして非難したり、とさまざまな人たちがいる。そういう心の貧しい人にだけはなりたくない、と75歳になり強く思う。

 ネガテブな発想でなく、何時までも、ポジテブな心でいたいモノだ。

 

やったー、侍ジャパン! 逆転勝ち、決勝進出!

 

よーい、ドン!

引っ越し手伝い

 大分、ブログを書くのが空いてしまった。言い訳もしたくはないが、先週3日ほど息子夫婦の転勤に伴う引っ越しの手伝いで家を留守にしたのだ。浦安市から福島市への引っ越しである。第1日目は、浦安市で引っ越し荷物出し。2日目は孫の卒園式があることで、子ども夫婦は浦安市、私たち夫婦は、その荷物の受け取りで福島市へと言うわけで、2夫婦が必要になるわけである。

 

茨城から福島へ

 実は、コロナの始まる3年前は息子夫婦は孫と一緒に福島市に住んでいたが、転勤で千葉に移り住んだ。その当時、行ったり来たりしていたので、ある程度道も分かっている。変わったのは我が輩が3年、歳を取ったと言うことである。若い方にはなかなか理解できないが、70歳過ぎての3年は大分違う。記憶力も運動能力も根気力も、・・・力も何もかもである。

 

安達太良の山並みが

 常磐自動車道路から磐越自動車道に入る。三春を過ぎて磐城から郡山までの中間点あたりに来ると、安達太良山系の山々が見え出す。

安達太良山系の山々(ネットから)

まだ雪が被り、実に綺麗だ(写真を撮るのを忘れたのでネットで探した同じような写真)。自分の写真でないので、綺麗にとれていないのが残念。毎回、福島までの途中、この風景が見え出すと、中間点に来たと感じるのである。そういえば、若い頃会社の同僚と猪苗代のスキー場に行った時もこの風景をよく見た。

 

福島市の息子たちの住居へ

 福島市の息子たちの家は、3年前に住んでいた家から歩いて10分ほどの距離にある近くだそうである。土地勘もあり、車のナビもあるのですぐ分かった。前はアパートだったが今度は、"貸家”として建てた一軒家である。不動産やさんを探して挨拶にと向かったが、水曜日は生憎の定休日。仕方なく、早いがホテルにチェクイン。息子が予約してくれたいつものホテルである(費用も出してくれて、息子夫婦に感謝)。

 

引っ越しに持つ到着

 そして翌日、9時半。荷物が到着。2トン車に一杯積んで引っ越し専門業者がやってきた。基本的には業者が全てやってはくれるものの、「この荷物どこの部屋ですか?」「この荷物どこへ置きますか?」等々、質問が飛び交う。前もって、息子に配置図をもらってはいたモノの、梱包されたものの姿形が分からないことや、一つの荷物を開けて見たら表示と中身が全く違うなんてことが次々と明らかになった。

 次々と到着する引っ越しに持つ。「あと何台??」に「6,7台くらいかな?!」なんて、いい加減な返事。業者も正確な量が分からないのだ。

 

子どもたち、孫たちと再会

 夕方になって、子ども夫婦と孫たちがやってきた。家の中は梱包された箱だらけ。老夫婦2人では、箱を空けるにしても、箱を運ぶにしても、パワー不足である。疲れてしまい途中休憩も何度もして、分かるものから片付けが始まってはいたが、ともかく、そこら中、箱だらけの様相。

 そして、初めての(孫)娘も到着。皆、小さい孫娘にお母さんもおばあちゃんもかかりきりである。息子は仕事があるとかで夜の便で浦安市に帰って行った。明日夕方また帰って来るという。我々も同じだったが、サラリーマンは辛い稼業である。

 

寂しがる長男孫

 翌日も片付け。そして、嫁は、朝から市役所・銀行・学校と、金曜日でないと出来ない手続きなどに出回る。その間、孫娘は女房が子守する。私は出来るモノからと片付け継続。そうなると寂しいのが卒園したばかりの孫息子である。

 「散歩の行こう、散歩に行こう?!」とせがむ。「運動不足かも、よし、行こう」と決心して、孫に同行。「危ない!」「危ない!」と手をつなごうとすると、手を振りほどいて駆け出す。この時期は、どこの子どももそうだ。

 

ふたつやま公園で

ふたつやま公園で遊ぶ孫

 すると、「ここ、前に来たことある!」「ふたつやま公園って言うんだよ」と教えてくれる。「えッ!」「前とは?3歳の時?よく覚えているなァー」と感心しきり。もうとっくの昔、3歳の頃の記憶なんてないものだと思っていたら、しっかり覚えていたのだ。これにはビックリした。次々と「ここで、前に遊んだよ」なんて言うのである。

 やはり年寄りとは違う。「よし!あそこまでどっちが早いか競争しよう!」「よーいドン」「今度は、あの山のてっぺんまで競争だ!」「いくぞ!」などとやったが、もう、孫にも叶わない」。

 孫の不満が解消できたかなァー。

 

 

 

 

こうやって、食べるんですよ!

情報満載!!

 今日は、色々な記事が満載だった朝刊。

色々な記事満載

 扇千景さんが亡くなった。綺麗だったので、もう90歳近くになるのかとビックリ。我々が現役の頃、女優としても活躍していた方でファンの一人だった。

 そして、大江健三郎さん。ノーベル文学賞の受賞者である。障害を抱えた息子さんを持つことや原発に反対だったことでも有名である。

 上の写真に揚げた5つの事件で、殆ど知らなかったのが袴田事件である。もっとも、高校生の頃の事件であり、受験勉強で忙しかった身には余り興味が沸かなかった事件なのかもしれなかった。

 

時代が変わった!

 そして、藤井聡太竜王が、王将の初防衛に成功したという記事。我々の時代は羽生善治九段だった。将棋と言えば ”羽生名人” 。何時しか時代も変わり、羽生から藤井へと移り、今や5冠で6冠さえ見えてきた藤井竜王である。

 昔を偲び、なんとか羽生さんに勝って欲しいという気持ちもあったが、時代はいつか変わるのである。その変化を認め、期待するのも良い送り方だろう。でも、私にとっては、いつまで経っても ”羽生善治名人” である。

 

「個人の判断」って?

 3年目にしてやっと「新型コロナのマスク着用は、『個人の判断』に任せる」というお触れが出た。結局、第八波まで続いた新型コロナは、やっと落ち着いてきた感がある。「個人判断」という言葉が出てきた途端、”専門家” と言われる人たちがマスコミに登場。判断基準を示すのである。

 ・屋外は原則不要  ・医療機関、ラッシュ時など人が多く集まる場所では着用

 ・そして、病気に弱い老人施設などでは着用

などと呼びかけている。よく考えて見れば、「個人判断」だから、インフルエンザや風邪の時の対応と同じであり、判断基準を示さなくてもある程度分かる。風邪にかかって、「こういう場合は、こうしなさい」なんていう判断基準は存在しない。各自が適切に判断するのである。

 

各個人の常識

 最近の世の中、こういう「個人に任せる」という判断は、個人の常識に任せると言うことなのだろうと思うが、その常識が常識でなくなってしまっている。もっと言えば、「常識というモノが、何なのかが分かっていない人たち」が増えているということなのだろう。

 

常識不足の世界

 家庭や学校で、「常識とはこうなんですよ」と教え、一世代前に流行った「おもてなし」などという、人の気持ちを考えることの重要さを再教育する世の中になったのではないか、という気がしてならない。

 昔から若者は常識が分からなかった。でも、それは「分からない振り」をしていただけであって、本当は分かった上で、色々なことをしていた。しかし、今は、教えられなければ、常識が分からない人たちの時代に入ったのだ。

 それにしても「個人の判断」とは、良い言葉だ。

モシモシ電話の文化

東日本大震災、12年目

 昨日は、東日本大震災の12年目の日である。

いろいろな所で黙祷

 色々なところで黙祷が捧げられた。5、6年前位までは地域でも防災訓練などがなされてきたが、最近はコロナの影響もあって、そうした行事もなされていない。

 

12年前を紐解くのも悪くない

 そこで、その昔、当時作った資料などを紐解いてみた。自分で作った地域の人たちへの教育資料、地域の子どもために作った他人の資料、そして地域の防災訓練をビデオ作りの専門の人に頼んで作ったビデオ資料などが出てきた。

 5年前のビデオを1時間かけて見てみた。避難ばかりではなく、避難先で消防団員による消火器のの扱い方訓練の様子、人工呼吸の訓練など、ビデオを見るだけでも参考になることが多かった。そして更に面白かったのは、今は亡き近所のおばさん、おじさんが登場していることである。また、当時小学校の3年生だって、今や中学校2年生。高校生はもう会社員になっている。5年とは、60歳過ぎた高齢者にはたった5年ではあまり変わらないかもしれないが、子どもたちには大きな違いがあるのだ。

        携帯の画面               満開の我が家の紅梅

若者文化

 さて、最近、イライラすることがある。若い人との連絡方法である。人によって連絡手段が違うのである。携帯の画面を載せたが、ブログなどをやっていると知らない人から突然連絡が入ったりする。かと思えば、ラインで連絡が付くはずと思っていた人が、いくら送信しても「既読」にもならなければ、当然返事ももらえない。「なんで?」と思い尋ねると、「ラインは見ていない」という。「えっ! 若い人は皆、見ているんじゃないの?」

 

期待しない返事

 果ては、SMSなどでメールしても返事が来ない、なんてことはザラ。そんなことから最近は連絡しても返事は期待しないことにした。期待していたら神経がイライラしてしまい体調まで悪くなるからである。

 いろんな連絡方法があるので、その使い方はもちろん、使っている媒体まで知らなきゃーならないなんて!!!と、困った世の中になったものである。

 

オコガマシイ携帯文化

 若い者の向こうを張って、最近の携帯に慣れようなんてオコガマシイ。高齢者は高齢者らしく、パソコンメールなどで連絡を取ればいいのだ。画面も大きいし、文字も大きく見えるし、打つボタンも大きく打ちやすいのだ。そして、メールでなければ電話で連絡すればいい。

 4,5日前は4,5個の花が咲いたばかりだった我が家の紅梅も、今日は満開になった。そろそろ桜も咲き始める。時期が来れば、多少の差があっても花は咲く。

 「携帯」という文明の利器が出来、それを所有したからと言って、「携帯の文化」まで所有したわけではない。未だに、心は、「モシモシ電話の文化」なのである。