ミドさんのブログ

日頃思いつくことを書いてます

新型コロナ蔓延

ワクチン(二回目)の副反応

 新型コロナのワクチン2回目を一昨日打ってきた。朝打ったが、その当日は、何の副反応もなかった。ところが、翌日になったら、体がけだるいのである。ひょっとして、疲れているのかな、寝不足なのかな、それとも、これがワクチンの倦怠感というものかと思いながら、一眠りしたら、すっかり通常に戻った。恐らくそうした諸々の原因で、起きた気だるさなんだろうと思った。いづれにしても、大した副反応でなくて良かった。

 

茨城県のコロナの蔓延状況

 ここへきて、コロナの感染が止まらない。第三波、第四波をしのぐ勢いで蔓延している。茨城県は、今までの感染でも、東京に近い県南地域、県西地域、鹿行地域そして県央地域と徐々に感染が広がっていく。そして、我々の住んでいる県北地域は、ほとんど影響を受けないというのが今までのパターンだった。先週金曜日発表の数値で並べると、10万人当りの人数で、東京47.4人、全国14.8人、茨城県8.8人に対し、県南16.5人、県西5.5人、県央5.3人、県北1.7人、鹿行1.1人という数値である。つまり、県南地域は、千葉・埼玉・神奈川などと同じレベルに近いということである一方で、県北・鹿行地域は、全国平均の1/10という感染状況にある、二極性を持つ。

 

首都圏のコロナ蔓延状況

 関東圏にいると、テレビの報道、新聞の報道などのマスコミが首都圏の状況を中心に報道するため、どうしてもそうした首都圏の状況に流される傾向にある。ニュースを見れば、高速道路下り線が混んでいる。海水浴場では立錐の余地がないほど混んでいる。そして、その砂浜ではお酒を飲んで楽しんでいる姿がある。山手線内のどこかの駅の近くで、そこを歩いている人にインタビュー。「コロナ禍でこれだけの人出がありますがどうですか」「本当に多いですねー、これではなかなかコロナも収まりそうにありませんね」といった塩梅である。毎回、この街頭インタビューを聞くと、他人事で第三者的に発言する人たちが気になって仕方がない。

 

田舎の蔓延状況

 我々、田舎の人たちは、隣の人が気になる。今朝もお盆の時期に実施する新盆回りを、今年は誰と誰が亡くなったのかと調べ、ご近所の人たちと話し合った。常に気にするのがご近所さんである。私も、東京にも住んだこともあり、東京の生活は知っているつもりだが、ご近所さんとの交流がない。あっても、せいぜい向こう三軒両隣程度であり、田舎のように10分も歩いたご近所付き合いはないに等しい。従って、田舎の場合、そうした人たちの目も気になるし、そうした人たちに迷惑を掛けたくないという心理も働く。都会の他人事とは大違いである。

 

自治体の長

 マスコミで放送される姿しか見ていないので、実情は違うのかもしれないが、東京都知事などを見ていると、カッコばかりつけて、実務が伴っていない気がしてならない。「ステイホーム」と言おうが「三密」とキャッチフレーズをいくつ作っても、カッコは良いが、実施されているのかというと今一つであり、その結果が今の東京の現状に出ている。PDCA(PlanDoCheckAction)をしっかり勉強してもらいたいと思う。”Plan”をいくら示しても”Do”がなければ、実現しないし、”Check”をしなければ、時間が解決してくれるというものではない。10万人当りの感染者数の少ない県の実態を調べるとかといった努力を当然しているんだろう。大分前には、お酒を出す飲食店がいくつもある現実の紹介があった。ああいったお店がなぜ存在するのか、自治体の怠慢そのものではないのか。都民・県民の安心・安全を謳うのであれば、カッコばかりつけずに、”きちん”として欲しいものである。東京都の影響で、近隣県が蔓延している現実を考えて欲しい。

            (つづく、・・・)

     

 

 

 

世界おもしろ昔のはなし㊵

 前回、フィリピンの一般的な話を書いてしまった。年取ってくると忘れてしまうことから、書かねばと思い、事業撤退とは関係ない話題を書いた。「事業撤退」の話題に戻す。

 

一般的な事業撤退の手順

 それまで、撤退会社が行ってきた事は、以下のようなものだった。既に説明したように、総務担当者や日本人の生命が狙われるという理由から、撤退の事実説明は撤退(解雇)日当日というのが、フィリピンでは、言わば常識化していた。説明と同時に解雇、つまり、何も分からず通常通り出勤してきた従業員が、突然1か所に集められ、撤退(解雇)の説明があり、そこで退職金の支払いが行われ、明日から来なくて良いとするのが、一般的な撤退時の手順であり、従業員との関係であったのである。

 これは、前にも述べたが、撤退説明と実際の解雇時期との間に期間を置くと、その間に、失職する従業員から危害を加えられるという事件が頻発したことから、考えられた手法であった。説明し、退職金を払ったら、その日の内に、日本人や総務関係者は、ホテルなどに一定期間身を隠し、暴漢から身を守るのである。

 

実際にとられた手法

 実際に殆どの撤退日系企業でもこの手法を取っていた。コンサルも盛んに我々を脅し(のように思えた)、身を守るためにはこの手法しかない、というようなことを、会う度に言っていた。コンサルは、ガードマンではないので身の保証は出来ない、というようなことも言っていた。

 しかし、私は、この手法は取りたくなかった。今まで7年間も会社の為に働き、辞める時にこの仕打ちは、余りにも惨いと感じたのである。と同時に、あの従業員達が、そんなことする筈が無いとも思ったし信じたかった。

 結局、8月4日撤退説明10月末撤退・解雇、と約3か月前に従業員に説明という計画にした。この決定に対し、コンサルからは、「私は努力はするが、皆さんの生命まで保証できない」と明確に脅しまがいの言葉を言われた。また、10月末の撤退後は、1週間程度、会社には出勤せず、ホテルなどに身を隠した方が良いとも、アドバイスを受けたが、実際には撤退直後の11月始めから出勤し続けたのである。

 

従業員を信じる

 結果的ではあるが、従業員を信じて良かった。仮に何かあっても、信じたことを後悔はしなかっただろうとも思ったものだった。それだけ日頃の従業員との交流に自信があったので、そんな事をする訳が無いと信じていたことも確かである。

 退職金については、親会社幹部のご協力もあり、今までの日系企業の平均値以上の額を出すことで承認頂き、大変ありがたかった。

      勤続年数にリンクする分+一定額

といった組み合わせで決まっていたと思うが、いずれにしても、7年勤続の従業員は、約1年間の給与分位の退職金が貰えた。もっとも、1年分と言っても、作業員クラスだと、月1万ペソ程度であったので、12万ペソ(約24万円)位であり、日本人にとってはそれ程大きい金額ではなかったが、彼らにとっては、見たことも無いような大きな額の金額だった。

 それまで、数万ペソの退職金で済ます企業が多い中、10万ペソ以上の退職金は、破格だった。それでも、これから1年以上も職が見つかる見通しが無いことも考えると、辞めて行く従業員には、申し訳ない気持ちで一杯だった。

          (つづく、・・・)

手術(白内障)一週間後の診察

 白内障の手術を受けたことで、眼の色々な症状を知る機会になった。白内障以外に大きな症状としては、緑内障加齢黄斑変性症などがある。視界が欠けたり、ゆがんで見えたりする症状である。そういった意味では、白内障は、一番、単純で分かり易い症状といえるだろう。

 

「やさしい日本語」が必要な医療用語 

 昨日、白内障の左目手術から一週間目で、医師の診察があった。その前に、視力検査や眼の画像を取る検査などがあった。視力検査では、レンズを色々入れ変えて、視力を検査するが、その時やった一番見える状態で、いくつくらいあるのか聞いてみたら、1.2とのことだった。度が強くなってから聞いたことがない数値だった。かっては、1.5位あったはずだが、年齢と共に度も強くなり、そうして、1.0位が普通の視力になっていた。しかし、こういった検査でも、こちらから聞かないと、何も言ってくれない。聞かない人は、何の検査をやって、何が分かるのかが、いっぺん通りの説明はするが、専門用語を駆使して説明したつもりになっている技師たちにも「やさしい日本語」が必要だとつくづく思った。かって、自分の両親が、若い人の言うことは良く分からないと言っていたが、現代語を使うので分からないという意味ではなく、日本語を易しく説明するという努力が欠けていたんだなーと今になってやっと分かったような気がする。

 

手術1週間後の診察

 いよいよ医師の診察である。これは、手術後の経過が順調かどうかを判断する診察なのだろう。今日は、あれを聞いてみようとメモ書きにしてみた。昔、母親が、病気について聞きたいことをメモ書きにして、面談時に医師に質問攻めにしていた当時を思い出した。私も、母親似かと思わず吹き出しそうになった。

 「155番の方! 155番の方!」と自分の番号を呼ぶ。診察室に入る。見知った顔だ。確か、この先生が最初に見てくれた先生だったなー、そして、手術もこの先生がやってくれたはずだ、と思い、聞いた。「先生が、私の手術をしてくださったんですよね」「そうですよ」。やっぱりそうだった。手術開始時に自己紹介をされたが、よく聞き取れなかったので、確認したかった旨を伝えた。

 一通りの問診があり、検査技師からのさきほどの報告があがっているのだろう。「手術後も順調ですね」「ちょっと、目を拝見させてください」と機器を使って、眼を覗き込む。「問題ありませんね」。

 

医師を質問攻め

 ここまで来て、やっと考えてきた質問をしてみた。何となく、質問しにくい雰囲気だし、先を急いているようにも見え、何となく、尻込みしながらの質問になった。「手術では、どうして、左目からだったのですか?」「左目の方が白内障が進んでいたからです」「ネットで調べたら、悪い方からやるって書いてありましたが、その通りだったんですね」「どちらも同程度の場合は、右目からやるのが多いようです」「利き目が右だったもので、慣れるのに大変でした」、といったやり取り。そして、その後、「水晶体を薄くしたり厚くしたりする筋肉があると言いますが、眼内レンズになった場合、こうした筋肉はどうなるんですか?」「無くなります。でも、年と共に、この筋肉は働かなくなりますので、それほど変わりがなく、気付かないほどです」という。どんな微調整か知らぬが、この筋肉(毛様体筋という)があってもなくても変わりがないという。眼内レンズにした場合、良いこと尽くめかと思っていたが、やっぱり欠点もあった。どうして、こういったことが手術前に説明しないのかよく分からないが、素人に話しても仕方ないと判断しているんだろう。

 もっと、もっと、質問は用意していったが、迷惑そうなので、たった二つの質問でやめた。今度機会があったら、残りの質問もしてみよう。

          (つづく、・・・)

 

世界おもしろ昔のはなし㊴

突然始まる、車の窓ふき

    忘れそうなので、覚えているうちに書いておく。フィリピンで、日常生活でビックリすることには何度もあったが、その内の一つである。パキスタンの空港では、何も言わないのに、到着ロビーで子供たちが集まってきて、私の荷物を持ってタクシー乗り場まで運んでしまった話は前に書いた。同じ子供でも、それとは少し違う話である。

 日本人は、フィリピンでは車の運転は禁止されていた。事故でも起きると扱いを間違うと命にかかわることにまで発展しかねないという経験則から来たのだろう。漫然と車の後尾座席に座り、外を眺める。それにしても人が多い。日本の人口は1億3千万くらいだが、フィリピンはここ数年でそれを追い越すと言われている。

 目の前の信号が変わり車が止まった。すると、子どもが近寄ってくる。突然、フロントガラスを頼みもしないのに拭き出すのだ。自分が車を運転していたらびっくりするだろうが、私の運転手はビックリもせずにそれを眺めている。そして、信号が変わりそうになると、運転席の窓ガラスをちょっと下げ、チップを渡すのである。この光景は、マニラ市内ではしょっちゅう見かけたものだった。この風習というか決まり事みたいなことは何だろうと思い、ドライバーに聞いたり、フィリピンの歴史をひも解いたりして、分かったことがある。

 

フィリピン人の生い立ち

 フィリピン人には、お金持ちと思われる人が貧乏な人にお金を分け与えるのは当然という考え方がある。しかも、「ありがとう」と言って受け取るのではなく、「黙って」受け取るのである。感謝でもなければ、慈善でもないのだ。つまり貧乏な人の「当然の権利」という考え方なのである。だから、お礼も言わない。お金をあげない人は、「常識知らず」なのである。高給どりではないドライバーも、「当然」窓を開け、何がしかのチップを渡す。

 別の項でも書くが、何人かで食事に行き、一人その中で傑出したお金持ちが居れば、その人が払うのが当たり前であり、「ご馳走になる」のではないのである。日本なら、さしずめ、「ご馳走になりました。毎回、ありがとうございます」なんて、お礼を言う場面である。しかし、ここは違う。当然であり、常識なのだ。こういった考え方は、フィリピンという国の生い立ちが作り上げたものという気がしてならない。イスラム、スペイン、アメリカ、日本と他国に統治され続けてきた国であり、だんな様に仕えるのが当然、そして、だんな様は面倒を見るのが当然、という考え方である。

 この考え方が、裏返すと、自尊心の強さになる。日本人風に言えば、「あんな奴らに、馬鹿にされてたまる(っ)か!」である。そして、良くも悪くもアメリカ文化が入り、拳銃の所持が認められた。弱い者は「飛び道具」である。それでなくてもフィリピン人は人種的に小柄な体形をしている。腕力では敵わない。勢い、殺傷事件に発展するのだ。結果、フィリピンは危険な国、ということになるのである。

 

相手の立場を尊重する

 「車の窓ふき子ども」から「危険な国、フィリピン」までの論理的な説明をしたが、もとを質せば、「相手の立場を尊重する」という基本的な考え方がしっかりしていれば、極めて住みやすい国なのである。変に威張ったり、自分が小金を持っている程度でお金持ちをひけらかしたりしない人間には、住みやすいのだ。フィリピン人は、家族思い、人間大好き、朗らかで、ワイワイガヤガヤ大好き、そして、くよくよしない国民である。お金を持っていたら、一生をフィリピンで過ごしたいという人の気持ちも分かろうというもの。でも、若い女性にほだされて人生を破滅させる輩もいるので、自分を見失わないように気を付けるのが肝心だということは、言っておきたい。

               (つづく、・・・)

 

 

 

 

利き目

 「利き目」と言うことばを聞いたことあるだろうか。一度くらいは聞いているかもしれない。先週水曜日に、白内障の手術をした。左目だった。右目は2週間おいた来週水曜日の予定である。術後の見え方、慣れは、「利き目」に関係しているのでは、という私の推論である。

 

役に立たない医師のアドバイス

 ド近眼の私は、手術後をどうやって過ごすか、手術前から気になっていて、医師にも相談した。しかし結果は、医師のアドバイスも何の役にも立たなかった。

 ド近眼の私は、手術した左目は良く見えるようになるわけだから、今まで使っていたメガネが使えなくなる。そこで、素通しに近いレンズを作り、今まで使っていたメガネを左目のレンズだけを交換する。そうすれば、右も左もよく見えて何の支障もなくなる。素通しに近いレンズは、メガネ屋で待っている間に作ってくれるので問題ない。これが医師のアドバイスだった。

 

手術後の視力検査技師の言葉

 左目の手術後、早速、同じ病院内の視力検査場所に行った。左に素通しに近いレンズ、右目に今までのレンズをつけた簡易眼鏡で、周りを見てみた。周囲を見回すとどうってことない。「床も見てみてください」の技師の言葉で床を見る。床が持ち上がり歪んで見える。技師曰く。右目、左目の視力差が大きいと、メガネを作るのが難しいという。つまり、近視の人なら経験あるだろうが、裸眼でものを見るよりメガネを通してみると小さく見えるのだ。それが、右目は小さく、左目は大きく見えることで、ゆがむということになるんだそうだ。その差が小さければ、それほど気にするほどではないという。結果、メガネは変えないこととして、裸眼のままか、今までのメガネをかけることで、2週間過ごすことにした。

 

見やすい目

 手術後2日目、3日目、4日目とだんだん見え方が変わってくるのである。3日目は、今までのメガネをかける時間と裸眼でいる時間が同じくらい。どちらかと言えば、メガネをかけた方が見やすい。4日目になったら、今度は裸眼の方が見やすくなってきたのである。パソコンなど一点集中で画面を見ていると、右目に集中しているか、左目に集中しているかがよく分かるようになってくる。そして、無意識で、見える左目で見ていることに気づく。つまり見やすい目の方に集中するようになってくるということである。この見やすい目に集中できるようになるのが、「そのうち慣れてきますから」というアドバイスの、「慣れ」の果てである。

 

利き目

 待てよ! これは利き目に関係しているのかもしれない、と思い立った。つまり、最初から「利き目」が左目の人は、左目を先に手術した方が今までのメガネを使わず、裸眼でいられて苦労しなくて済むのではないか。

 ネットで調べると、手術で右目が先か左目が先かを選択するときに、白内障のひどい方を先に手術すると書いてある。利き目とは関係なさそうである。でも、私のようなド近眼の人は、利き目優先でやってもらう方が「慣れ」が早く出るので楽ではないかと思われる。明日、医師の診察があるので、この点を聞いてみたいと思う。

 ちなみに、私の場合、事前に調べなかったので、どちらが利き目だったか分からないが、現在では、当然だが、左目が「利き目」となっている。右利きの人は右目が利き目の人が多い(75%)らしいので、私も、右目が利き目だったのかもしれない。

 今日は、今までの眼鏡をかけないでもいられそうである。

   (また、白内障の話題になってしまった。次回は? つづく・・・、)

 

 

世界おもしろ昔のはなし㊳

 前回まで、現地会社の稼ぎ頭の事業撤退が、私からの具申で親会社役員会で承認決定された経緯を書いた。それから1年半の撤退までの経緯を書く。

 

極秘の行動

 フィリピン経済の不況から、フィリピン国内で、撤退の日系(外国)企業が続出していた。会社としての撤退もあったが、当社のような一部事業撤退もあった。そのそれぞれの会社が、何らかの事件にあっていたような有様だった。

 こういった会社の相談を受ける、日本人のコンサルタント会社があり、当社も事業撤退に先立ち、この会社と契約を結んだ。トータルで契約金は、4百万円位だったと思う。この会社は、Alabang(アラバン)という地域にあった。偶然ではあるが、私の住んでいるところも、同じアラバン地域にあった。更に、偶然は重なった。このコンサル会社は、当社のビル清掃を請け負っている会社と同じビル内にあったのである。

 そんなことから、毎週一回このコンサルとの極秘打合せを持ったが、その都度、ビル清掃会社に行く、と従業員には嘘をつき、常に行動を共にするドライバーにもカモフラージュをし、打合せをし続けた。時には、私の住居であるホテルに行くなどと、嘘をつきホテル内でコンサルに来てもらい撤退の打ち合わせをした。家が同じ地区にあった事は、偶然ではあるが、非常に好都合だったのである。

 

当時の打ち合わせメモ

撤退の打合せしていた内容を当時のメモから抜粋して見ると、こんな風になるのだ。

 

5月某日

*最近フィリピン国内での退職者が多くなってきている。

        ⇨コールセンターのマーケットが給与相場を押し上げている。

*当社の退職者を抑えないと拙い。一方、採用も多くしないと 

        ⇨ 大卒でも、面接会場(工場)にお金がなく来られない人もいる。 

          何らかの対策を取らないと、従業員を増やせない。

*今年の昇給額は、大きくした方が良い。不満分子を少なくしておく必要がある。

*他の工業団地のK社が先々週、組合登録をした。動きを見守る必要ある。

*発表当日の式次第を作っておいて欲しい。

*全員の給与明細を作って欲しい。⇨ 退職金の額を検討するのに必要。

*発表当日や最終給与支払い日は、日本人全員の手伝いが必要。

*総務課長(この件は別件での話)の件、イワナグ弁護士と相談

*事務所2階の地図をコンサルに渡す 

     ⇨ 給与支払い最終日の退職者の流れに停滞がないよう検討するため

*発表当日の式次第を詳細に決める

*当日説明する弁護士には、会社近くのホテルに前泊もらうよう手配 

              ⇨ 説明会に遅刻するトラブルを避けるため

*6月の打合せ日・・5回 ⇨ やらなければならない事を一つ一つ潰す

 

事情を知らない人には意味不明の部分が多いと思うが、一つ一つ見てゆくと、当時の検討状況が偲ばれ懐かしくさえある。

また、6月最初のコンサルとの打合せでは、

 

*従業員労務問題は心配していないが、従業員家族の出方は、要注意

ブラックリストを作る。労務問題に発展するような人物がいれば、

                       事前に対応を取っておく

*(会社寄りの人間の)ホワイトリストを作る

*誕生会は、4月に遡り実施

*発表直前に辞める人がいないように努める

*残る人に対する配慮が重要

*撤退後向こう12カ月の計画を示す。景気の良い話をする。

*撤退後、11月初旬、偉い人に来てもらい、将来の事業計画を説明願う

 

労務問題に非常に気を使ったコンサルの発言が目立つ。これは、当時、日系企業で、組合が出来、閉鎖に進んでいった会社が相ついでいた為、この時の事業縮小を機に、組合結成を恐れたものであった。また、残る従業員の為の心のケア―についても、配慮している。

 

会社内の戦友 

 当初、私一人だけでコンサルと打合せをしていたが、退職金など金銭面での問題もあることから、途中から、経理担当と一緒に打ち合わせに臨んだ。そういった意味で、大袈裟でなく、この経理担当は「共に生死を掛けた戦友」であった。大分前だが、一緒に一生懸命会社の為に働くことを「戦友」という言葉を使った人もいたが、そんなものではない。我々は、正に生死をかけて、一緒に働いたのである。フィリピンに行った人なら分かるが、通常の仕事をしている分には安全である。しかし、一旦、フィリピン人の為にならないという、行動や言動を取ったら最後、いつ何時命を狙われてもおかしくない国、それがフィリピンなのだ。そういった意味で、秘密を守り切れる、信頼関係を保ち続けられる、正に「戦友」だったのである。

                (つづく、・・・)

白内障手術②

今日は、予定を変えて、昨日に引き続き、「白内障手術」について述べる。

 

翌日、起きて

 翌日が楽しみで、ぐっすり寝て、翌朝起きた。今日は、朝から先生の診察があり、そこで、いよいよ左目の眼帯が外れる時だ。楽しみである。

 病院の朝食をきれいに平らげ、部屋に戻ろうとすると、看護婦さんの呼び止める声。「眼帯外しますから、部屋にいてください」「えッ!、今、外せるんですか?」「はい」。

 

眼帯を外してみて、あれっ!

 眼帯外すと、「あれっ、何も変わらないじゃん!」。と、思ったのは、眼帯外すには、メガネを外さないといけない。メガネを外したことを忘れ、メガネをかけてた状態と比較していたのだ。つまり、メガネをかけてみる景色と、メガネをかけないで見る景色が同じに見えたっていうことである。視力が中学生時代に戻った瞬間である。

 感激! 眼鏡をかけないでこんなに見える。よくよく見てみると、右目で見る景色はボケている。左目にばかり集中していて、右目のことをすっかり忘れていた。

 

メガネのない生活

 それから、メガネを病室に置いて、病院内を歩いてみた。右目が見えない分不自由ではあるが歩けるには歩ける。当初、左目を素通しレンズに交換してメガネを作ろうと画策していたが、その必要があるかな、と思えるぐらいである。でも、しばらく慣れてくると、やはり、右目が気になりだした。2週間後に右目を手術するにしても、その間不自由ではないか。これで右目が見えたら完璧だぞ、やっぱり、素通しのメガネを作るか。

 

視力検査でどんでん返し

 素通し眼鏡を作るため頼んでおいた、手術後の視力検査に向かった。「これで眼鏡を作れば完璧だぞ」と希望に胸を膨らませながら、検査場へ。左目の視力検査で裸眼で0.7迄見えることが分かった。そして、左目に合うレンズ(少し度が入っている)と右目に合うレンズ(強度の度数)を装着した状態で、検査技師が「周りを見てください」と言う。周りを見てみてみる。普通に見える。そして「床も見ていただけますか?」と言うので、床を見てみた。少し浮き上がって見えるのである。技師が言う。「浮き上がって見えませんか?近視のメガネは少し小さく見えるんです。だから、裸眼に近い目と強い近視のメガネをかけた目では、非常にみずらくなり、場合によっては気分が悪くなることもあるんです」というではないか。「じゃー、どうすればいいんですか?」「右目にコンタクトレンズを入れれば、その問題は解消します」と。手術前、右目を手術する間、どうしたらよいか聞いたら、医者も、素通しに近いレンズを左目に入れてもらえばよいと言っていたはずなのに。医者でも、この辺の事情は分からなかったということのようだ。技師の話では、度が弱ければ、それでも良いらしいのである。ド近眼ゆえの問題らしい。

 

日常生活(二週間の短期間)

 素通し眼鏡を作る予定だったものを変えずに、メガネなしで家まで戻って来た。不自由ではあるが、そんなに問題ではない。このままでも二週間過ごせるなー、との思い。でも、車を運転しない訳にはいかないと思い、車の運転ができるかどうかが問題だ。今まで使っていたメガネをかけてみた。こちらの方が安定する。右目は今まで通り見えて左目は度の強い眼鏡をかけた状態である。それで近くに買い物に出かけた。不自由ではあるが、危険を感じるほどではない。じゃー、これで二週間行こう、と決めた。

 

新しい発見

 目が良い人、視力検査で0.7くらいまで見える人には、こんな経験はないだろう。しかし、私くらいのド近眼(視力検査0.1以下)になると、自分の素顔を見たことがないのである。信じられますか? 素顔ですよ! 毎朝、鏡を見る。自分の顔さえ見えないので、メガネをかけて見る。風呂に入る。髭をそる。風呂の中で眼鏡をかけるのである。つまり、素顔というのは、メガネをかけた素顔なのだ。でも、今日から、自分の(メガネのない)素顔が見えるのだ。

        (つづく、次回は、白内障とは関係ありません)