勝手に夏休みを貰った。7月中旬から下旬に掛けての暑さは、尋常ではない。サウジやクウェートの中近東を経験している私でも、それらを凌ぐ暑さである。中近東は、昼間は 50℃ を越す暑さだが、湿度が極端に低いので、 ”熱帯地方の爽やかさ” を感じるのである。そういった意味では、日本の暑さは、正に ”酷暑” そのものである。
夏休みの間、ブログは休みを貰ったが、日本語を教えることと、農業委員としての仕事はしていたので、それなりに忙しかった。しかし、車での移動はあるモノの、仕事自体は、車の中や部屋の中で出来るモノばかりなので、暑さをそれほど感じない。私の部屋にはクーラーがない。経済的な理由もあるが、襖の戸を開けっぱなしにすれば、隣の部屋のクーラーの冷気が貰え、それほど暑さを感じなくて済むからである。
毎日ワードやエクセルで資料作りをしている身にとっては、屋内作業をしているいい理由になった。そんな時、ビックリしていることが起こった。8年前にお付き合いしていた人が突然我が家にやってきたのだ。顔は記憶にあるモノの、名前を思い出せないのだ。聞けば、ある団体で、旅行などをして遊んでいる時に出会った人だった。この人、Aさんと言おう、がある依頼をしてきたのだ。

今度、Aさんは、仲間4人でレンタカーで遊びに出かけるそうで、その時のビラを作って欲しいと言うのである。聞けば、8年前にみんなで遊ぶ行事のビラを作っていたのが私で、そのビラをわざわざ持参し、「このようなビラを作って欲しい」と言う。4人で行くのに,ビラは必要ないだろうと言えば、他の人にカッコを付けたいというのだ。そんなカッコは私には不要だが、必要な人もいるもんだと思い、快諾した。
このビラ作りには1日を費やしたが、4人で、会津若松を中心にした古跡を巡る旅らしく、その資料作りだから、自分も旅行に行ったような気分になれた。
そうしている中、あの熊本地震が起きた。10年前の熊本地震の比ではなかった。起きた当初から倒壊した民家があちこちにあり、マスコミは、これでもかとそれらを映し出す。水は出ない、電気は来ない、住む場所はない、の ”ナイナイ尽くし” である。その地震が起きた時分は、隔週で仲間とするカラオケの真っ最中で、全く分からず、酒を飲みカラオケに現を抜かす状態だった。

翌日になり、実態を知りビックリ。そうこうしているうちに、イオンモールが爆発、製紙工場の煙突が折れた実態が分かり、これらが大きな死傷者を出したことが分かった。そのモールで可愛い娘さんが働いていた。この子が地震で建物から外へ逃げ出したが、働いていた責任者から「現金を金庫に入れてきて欲しい」と言われ、その要望のために、再度、モール内に戻ったところで、この爆発に遭ったとのことだった。
そのごの、マスコミインタビューで,この責任者は「出来れば」とか「モールの許可を得て」とか言ったとのことだったが、その真偽の程は分っていない。
毎度、このような災害が起きる度に、トイレや食料、飲料の問題が出て来るが、そういった問題は、全国組織で組織化し、簡易トイレや水、食料を現地に送ったらどうかと思う。そういうのが政治の役目ではないのか。1週間後に総理が現地を訪れなくても、災害の多い日本では、 ”自動的に援助する組織を作る” くらいの事があっても良いと思うがどうだろう。
我が故郷、北茨城市は、天災の少ない所である。地震も少なければ、津波も来ない。海が見え、山が見え、風光明媚な天国である。野菜も米もそして魚も獲れる、本当に良い場所である。歳をとるほど、良い場所だとつくづく感じる。なぜみんなが移り住まないのか不思議でならない。







