ミドさんのブログ

日頃思いつくことを書いてます

あいまいが結論

 もう大分、裏金問題は結論が見えてきた。流石、政治家。皮肉を込めて言わせて頂く。安部元総理が、裏金を環流させるのはもう止めようと言った、というニュースが大分前の安部元総理の没後流れた。このニュースが流れたとき、今話題になっている政治家たちは焦ったはずだ。

 これに関し、何通りかの政治家がいるはずである。このニュースを聞いて、やはり、安部さんも悪いこと、違法なことと思っていたんだ、止めようと即座に止める決心をした政治家。そして、そう言ったって、派閥から流れてくるお金だ、皆がやっているんだ、大丈夫だろうと高をくくる政治家。

 そして、更には、安部派幹部達。皆で意見交換会をやったじゃないか。誰からも止めようと話は出なかったじゃないか。それが結論だ。問題ない、と高飛車で構える政治家。言い訳が出来るように会議を仕組んだ政治家たちである。 

次々と意見を聞かれる安部派幹部達

 会社生活でも色々な場面があった。中に、「結論を出さない」ことを申し合わせる会議もあった。今回の例が正にそうだ。会社の場合、会社の利益のためにそうするが、今回のケースは、個人の利益のため、個人の都合良さを求めるためにそうしたのだ。流石政治家と言わざるを得ない。皮肉を込めて言わせて頂く。

 この新聞記事のように、それぞれが「自分に都合の良いように解釈する」のが結論で、「1つの結論を出さない申し合わせ」がされたと解釈できる。

 今、野党は、安部元総理が止めようと言ったことを、誰がそのまま続けると結論づけたのか、と躍起になっているが、同じ政治家同士で、このような申し合わせをする会議が昨年8月5日の会議だった、と分らないのだろうか。誰も結論づけた政治家はいない。「裏金はもう止めよう」というのは元会長の言葉である。この言葉は重い。重いだけに、誰も否定する結論は出せない、というのも本音だろう。

 国家の最高議決機関で、何時までもこんなことに時間を潰すことは税金の浪費でもある。「裏金議員」をはっきりさせることで十分ではないか。結論を出した人間はいないのだから、どんな委員会を開いても無駄だ。「裏金議員」と烙印を押したら、さっさと止めて、他の重要な議題を議論して貰いたいモノだ。

農地の広大化

 前にも同じようなことを書いた気がするので3年前まで遡ってチェックして見た。無かった。それでは、と思い書くことにした。

 農業委員になったのは、7年前のこと。当時、地域の役員をしていた関係で、市役所によく出入りしていた。私が行くのは、農林課と建設課が主な訪問場所。その途中でいつも気になる小部屋があった。ドアには、「農業委員会」の表示。

 ある時、入ってみた。すると、「何かご用ですか」と60過ぎくらいの方が尋ねてきた。「農業委員会って、何をするのですか?」と聞くと、「じゃ、そこにお座りください」。そして、一通りの説明を聞くことになった。そして、その方の説明で”農業委員”を7年もすることになった。

 というのは、「どうやったら農業委員になれるんですか?」と聞いたことから始まった。「この4月から、各市の農業委員会には、中立委員を一人以上置かなければいけなくなり、農業をやっていなくても農業委員になれます」と言うではないか。具体的に聞くと「自分で自分を推薦する推薦状を書いて提出すれば良い」というではないか。何でも首を突っ込む習性が顔を出した。早速提出すると、市議会の承認が必要とは言うモノの、そんなモノ好きはいないらしく目出度く農業委員になってしまった。

 それから7年。3年任期なので改選が2回入った。主な仕事は、月一回の農業委員会に出席すること。農地の権利や用途を動かす場合、農業委員会の承認が必要になるので、農地の所有者が、売ったり貸したり、更には農地から宅地にする場合などは、所定の書類を作り委員会にかけて承認を貰うことになる。しかし、事前に事務局が審査するので、おかしな申請はまず出てこない。従って、殆ど「異議なし」と挙手すれば良いことになる。

 たまたま、私の担当は、農地から宅地の変更するような開発地を担当していたこともあり、毎月審議対象農地が申請された。その場合、その地域を担当する農業委員など(5名)が事前にその場所を所有者や不動産屋などと一緒に見ることになる。

 その当時から、”耕作放棄地”を無くそうという動きが出ていて、どこが農地で、どこが放棄地になっているのが分らないのも困ったモノだと思い、農地リストを事務局から貰い、その全てを見て歩くことにした。その結果が下の図面である。緑色は耕作地、赤色は放棄地、灰色はその中間である。我々世代の農家は、そろそろ農業から卒業する時期にさしかかっている。従って、子ども達が農業を引き継がない限り、他人に耕作を依頼するか、廃業、すなわち放棄地になるのである。耕作に条件の良いところは、基盤整備といって、碁盤の目のように四角の農地になっている。ところが山間部や条件の悪いところは放棄地が目立つ。

我が町の農地耕作状況        隣町で始まった農地広大化

 昔、手作業の時代は、1反歩(300坪)単位や形状が地形に合わせた変形でも良かった。しかし、今は機械化がドンドン進むと1つの田んぼから次の田んぼへ移る時間が無駄になった。そこで、1枚の田んぼを大型化するようになってきた。基盤整備の段階では、形状を四角に、そしてレベルを合わせる程度だったモノが、隣町でやっている広大化(写真右)は、一町歩(10反歩)単位の広さなのである。

 今後農業を辞める地主が続発する。するとそれを借りて経営する農業者が出てくる。今では我が町でも70町歩、80町歩を経営する農業者も出てきている。今後もこの傾向は続くとみられる。いつまで農業委員を続けていられるのか、出来る間は、乗りかかった船である、やってみようと思っている。
 

 

第四、”四半世紀”

 昨日、人生で4番目の四半世紀を迎えた。76歳である。子どもからお酒のプレゼントが届いた。注文していた掃除機が届いたのかと思い、”代金引き換えですね”と言うと、配達人は”いえ違います。・・・からです”と良く知れたネット通販の会社の名前を言う。「配達元」という欄があり、そこには、そのネット通販の名前だけが書かれており、差出人の名前がなく分らない。恐る恐る開梱してみると、良く知れた美味しいお酒の名前が・・・。よく味わって、配慮に感謝しながら飲むことにしよう。

銘酒”久保田”の文字    かっては一杯あった”連れ込み宿”の朽ち果てた様相                                         


 最近のテレビや新聞などのマスコミを見ていて、自分は何をしてきたのだろうかと自問自答することが多くなった。そして今朝の新聞。大学のレポートでAIの回答をそのまま丸写しにする学生が多くなったそうだ。丸写しにしないまでも、文章の順番を入れ替えたり、難しい表現を易しい表現に変えるなどして作る学生もいるらしい。本来大学は、考えることを教える場のはずだが、ネットが発達して考えることや調べることをさせない世の中になりつつあるようだ。

 「運動を」とあちこちで騒ぐので、そういえば、最近滅多に歩かなくなったと思い、2,3日に1回程度なら出来るかと思い、ここ2週間ほど続けている。すると色々な思いをする。2,3日前、地区の役員をしていたときに時々訪れた老人の家の前を通った。その前にも通ったことがあるが、その時は敷地内に雑草が腰ぐらいまで伸び、生前訪れた時の昔の面影はなくなっていたが 、更に、その雑草が伸び、そしてそこには”売却予定”の文字が。我が家もいつかこんなことになるかも知れないと、後、四半世紀の間に来るかも知れない将来の我が家を思った。

 そんな昔を回想していたら、いつもの歌謡番組で八代亜紀の特集番組をやっていた。

   「人生歌がある」の 「”八代亜紀”特集番組」

紹介する歌手、司会進行役に野口五郎が出席していた。彼は番組を進行しながら涙が一杯。2時間番組が終わる頃には目を真っ赤に泣きはらしていた。

 彼女が出ていた歌番組は沢山見ていたが、確かに ”優しい” と歌仲間が口を揃えるように番組内での彼女の発言、言い方から察しはついたが、本当に優しい心の持ち主だったらしい。追悼番組では、かってデュエットした時の映像が流れたが、相手の声質、トーンなどに合わせ、自身の歌い方を変えて歌ってたらしい。そうした配慮からも優しさが伝わってくると野口五郎が ”変幻自在の歌い方” という表現で話していた。

 現役で30,40代の頃、八代亜紀が好きという大先輩がいた。その頃、演歌歌手も一杯いたので「厚化粧の八代亜紀」として余り良いとも思えなかったが、最近は、やっと彼女の素晴らしさが分って、よく視るようになっていた。

 確かに歌が旨い。二十歳前、故郷の熊本のキャバレーで親に内緒で歌っていたそうだが、八代亜紀が歌い出すと、お客が一斉に彼女の歌に集中したそうである。ソレがばれて父親には大分叱られたそうだが、そうした亡くなった父親を番組内でも紹介していたときがあった。

 残りの四半世紀を変幻自在に生きていきたいと思う。

世界のやくざ

 三寒四温とはよく言ったもの。今は、寒い日が続くが、今日あたりからは暖かい日になりそうだ。この言葉は、冬から春にかけての言葉のようだ。

 日本では、いろいろな事件が目立つ。幼い子こどもが親に、なんて事件が後を絶たない。子どもを殺めるくらいなら子どもを作るなと言いたいが、そんな配慮もできない親がこうした事件を起こすのだろう。他の子でも可愛いのに自分の子が可愛くないはずがないと思うのだが、カッとなる自分の感情が抑えられないのか、可愛いと思わないかのどちらかの感情からくる事件なのだろう。

 新聞に面白い記事を見つけた。読売新聞、「編集手帳」である。

読売 ”編集手帳” と "四首脳"

  日本のような民主主義国家に住んでいると、不思議に思うが、こうした国に住む国民は、どんな感情なのだろう。特に分からないのがアメリカである。ご存じの民主主義国家の代表的な国、アメリカ。そのアメリカで、今共和党予備選挙でトランプ人気が沸騰している。前に事件を起こした時もトランプが有権者を煽って乱入事件を起こした。こうした人は一部なんだろうが、それでも、トランプ人気が沸騰しているのが不思議だ。

 こんな人間が世界をリードする国家元首になってしまったら、記事にもあるように「ダメだこりゃ」である。それを応援する有権者も「ダメだこりゃ」のような気がしている。

 そして、プーチンウクライナ国民、ロシア国民の何万人が死亡したのか。何の権利があって、他国に侵略するのか。何もなけりゃ、死ななくても良い一般市民、戦士が亡くなっているのだ。かっての第二次世界大戦の日本と同じようなことをしているロシア。日本のように資源のない国ではなく、資源が一杯ある国なのだ。それが、それ以上何を望もうとしているのか。全く訳が分からない。

 同じようなことが中国にも言える。南シナ海東シナ海での領有権を主張するのは何が根拠なのかさっぱりわからない。台湾ばかりか、その内、沖縄も自分の領土などと言い出しかねない。ロシアだって、当然のような顔をして領有している北方領土。日本が、ウクライナのように反旗を翻したら、今すぐにでも日ーロ戦争が起こる。

 現代の世の中でもそうだ。”土地持ちは境界にうるさい”という土地持ち市民の感情は、この人たちと根っこは同じような気がする。

 そして、北朝鮮。子どもに権力を持たせたようなもの。自分のやりたい放題である。他人のことは構わない子どものようだ。まだ、ロシアのように資源がないから、まだあれで済んでいる。

 この四人は、”世界のやくざ四人組”である。なかでもプーチン大親分。ナワリヌイ氏が反旗を翻したが、獄中で殺されてしまったらしい。その他にも反プーチンの人たちが次々といなくなっている。その内、ロシアはやくざ国家となってしまうのかもしれない。困ったものである。「素人には手を出さない」という不問律が働いている、日本のやくざの方がまだましだ。

紅梅、開花

 テレビを点けた。80台のおばあちゃんが、「私が死んだら、お父さんの食事の面倒を誰がみてくれるのかしら、と心配になるんです」と言う。”そうか、そうか、世の中の女性は、何時までも、ご主人の食事の世話が気になるんだなぁ” と、そのままにしていたら、何と、薬のコマーシャルだった。

 そんなことがあり、最近の朝食の写真を撮っていなかったと気がつき、写真を撮った。女房が作る食事ではなく、自分で作る朝食である。

 女房が私の食事を作らなくなって、10年にはなるだろうか。それまでは、長い間会社勤めで苦労した事への感謝の気持ちがあったのだろうが、どこかで、何かのきっかけで、”どうして、私は、「好きでもない食事作り」を、亭主のためにしなければならないのか” などと気が付いたのだろう。冒頭のおばあさんのような優しい、甘い女房ではないのだ。最近、女房の食べている食事を見ていると、8割は手抜き食事。余程、食事作りが嫌だとみえる。女房が食事作りを止めるまで、そんなに、女房が食事作りが嫌だということに気付かなかった。そういう意味で、大発見だった。世の中にはそんな女性もいるんだと改めて気付かされた。

 さて、昨日、今日と非常に暖かい。明日からまた寒さがぶり返すようだ。庭を見ると、早咲きの白い小梅の木が満開になっていた。一方、普通の梅の木(紅梅)は、やっと芽吹き始めたばかりである。 

   手作りの朝食         早咲き白梅の木     普通の紅梅

 昨年の夏から、ここのところ、とにかく気候が変だ。全体的には気温が高くなっている。このままいったら、10年後、20年後には、”常夏の国、ニッポン” なんてキャッチフレーズができるのだろうか。その頃、私はこの世にいないだろうが、今の孫世代は、我が家が、朝、零下になったなんて信じられないだろう。

 「車の横に、水仙の花が沢山咲いているから、あとで、見えるところに移し替えて」という女房の声。自分は足が痛くてできないのだそうだ。毎日、遊びに出掛け、フラダンスなどに興じているのにである。全く都合の良い足(膝)である。風呂掃除も ”膝が・・・” で拒否。

 今日も、自分のモノだけを洗濯し干している女房を見て、よく考えてみれば、女房の若いときからやっていることは、子どもための行動だったと気付かされる。亭主はその「次いで」の存在なのだ。亭主のためにやってくれたのは、結婚して子どもが生まれるまでの1年間だけだった気がする。その間だって、お腹の子のためにだから、殆どないといっていい。そして経済的には亭主が働いたお金で生活していた。

 そう考えると、女房は、常に、自分に都合良く生きてきた感じがするし、亭主は、女房が喜ぶことで満足していたようなところがある。世の中の男なんてそんなモノかもしれない。   

 生きている間は、そんな関係が続くのだ。

サービス残業、残業規制

 1週間ほど前に、いつも行っているかかりつけのクリニック。『身体に何か異常ありませんか』「いえ、特に」『暖かくなってきましたから、運動もして下さいね』「ハイ、分りました」「なんて言って、やらないからダメなんですよね」という会話。

 そんな思いもあって、”やらなきゃー”と、暫くぶりに隣町(一駅間)まで歩いてみた。気付いた時に写真も撮った。 

   「畳店」の文字           自治体が管理する道路脇のベンチ

 途中に、昔の街道筋に宿場町があった地域を通る。小さな地域だが、畳店が2軒もある。私が子どもの頃(50、60年前)には、畳店が繁盛した。しかし今では、畳の部屋がない家屋も多い。夏、畳の上に寝転んだ時の爽快感は格別だ。そして、道路脇の小さな空き地がある。新しい国道を作った時、道路脇に余った土地ができたので、そこを公園にとでも思ったのか、ベンチが草むらの中に3,4つ隠れている。

 そして、更に暫く行くと、江戸(東京)から160㌔の道標。そして川には白鳥の群れ。冬の風物詩でもある。そんな懐かしい思いがした1時間弱の歩きだった。その後、飲みながらのカラオケで気持ち良く酔え、飲んで歌えた。

 今朝の新聞。「H3ロケット打ち上げ成功」の記事。

H3ロケット打ち上げ成功の新聞記事

 そこには、苦労したプロジェクトマネージャーの写真も添えられていた。ロケット屋の35年と比べるのはいささかオコガマシイが、かっては自分も「プロマネ」と称した仕事を世界中を駆け巡ってしていた。今、その経験が年老いても良い思い出、良い経験、自信に繋がっている。羽田や成田から、まず一人で赴任地へ飛び立っていく。そしてお客の所への挨拶を済ませ、海外で仕事準備を始め、段取りができたところで会社の作業者を呼び寄せる。その後、工事(プロジェクト)を終わらせ、作業者を日本に帰し、仕事仕舞いをして帰国するのである。

 プロマネになると、残業などという言葉は死語に近い。必要な仕事は、残業になろうがなるまいがせねばならない。プロマネにならなくても、会社(工場)においても、かっては残業100時間、150時間は当たり前の時代だった。毎日帰宅は夜中の11時。毎日が4時間、5時間の残業だったから、週30時間、そして土曜か日曜かは休日出勤だったから、8時間が4回。合算すると、150時間程度にはなるのである。

「貪欲な仕事、残業規制」の文字

 そんなことを考えていたら、上記のような記事を見つけた。残業時間は45時間云々と書かれている。そして、「貪欲な仕事」と書かれていて、意味は、「労働時間が不規則でかつ長く、代わりに高額な対価を得られるような仕事」と書かれている。全部がそうだったとは言わないが、我々は対価が目的で仕事をしたことは一度もない。自分で考え、”お客に迷惑がかかる” とか "もう少し良いモノを作り上げたい" とか、"お客に喜んで貰いたい" といった目的で時間を惜しまず仕事をしてきたのである。

 そういう事から、当時は、サービス残業という言葉も生まれ、企業や労働法の関連から残業が規制され、それでも仕事をしたいといった人たちの集まりだったから、対価がなくてもボランテアのようなつもりで仕事をしたモノである。

”AI”とは?

 ”AI”のことはよく分らない。人間に代わって何かをやってくれる、程度の理解しかない。そして、人間の経験を沢山入力し、それから最善の方法を導き出すという方法を使う。その程度だ。しかし、最近のAIは大分違うようだ。

”AI”に関する新聞記事    将棋界の全タイトル奪取の藤井竜王

 藤井聡太竜王が、20連覇を成し遂げたのは、上記新聞記事の通りだが、”AI”を使っての将棋の研究で強くなってきたとして、”AI”を有名にしたのも藤井竜王である。今回この記事を書くのにあたり、藤井竜王についてのネットに公開されている種々の記事を読んだ。豊島将之プロの名前が出てきた。藤井竜王が勝てない相手として最後まで苦しんだのが豊島プロらしい。

 豊島プロは年上のこともあり、藤井竜王より数年前に”AI”による研究を始め、将棋に取り入れていたらしい。そして数年後に取り入れだした藤井竜王が、豊島プロを破りタイトルを奪い、同じように他のタイトルも次々と奪い、ついに全タイトル保持者になってしまった。しかも”最年少”というオマケまで付いてである。

 藤井竜王の勝負後のインタビューは常に同じだ。”新しい課題が見つかった。もう少し研究したい”という内容である。この思いは、謙遜から出ている回答ではなく、彼に関する色々な記事を読んで感じるのは、藤井竜王自身が本当に思っていること、と確信したことだ。意識して謙虚に振る舞っているのではなく、そのように心から思うのでそうしているに過ぎない。21歳にしてこの思いは素晴らしい。

 ”AI”に関する、他の新聞記事。写真の左の二つ。”AI”に対する向き合い方の問題である。”AI”を信じ切るのではなく、”AI”を参考にして自身をより高いところに押し上げるという考え方である。左の記事のように、”AI”の解に修正をかけてしまうような行政・政治まで現れているからである。”これが正解”と思ったら、政府の意向が反映されていたとしたら、自分の行動が間違ってしまう可能性がある。正しいと思うか正しくないと思うかは、各個人に委ねられているということを自覚すべきでもある。 

少子化の新聞記事

  この少子化の記事は一部である。現代の女性には色々な意見があるらしい。子どもが欲しい人ばかりではない。当然と言えば当然であるが、一方で、子どもが欲しいという人も多い。この記事を読む限り、子どもを要らないというひとは、お金と時間を自分達のために使いたいという人が圧倒的なようだ。

 そして、下記の記事である。

子どもに元気づけられた、という記事

  投書した方は、私と同世代(大分若いが)の女性である。子どもにかける思いが強い分、子どもから受けるこうした気持ちは男性よりは強いようだ。若い時は子どもにかける”お金と時間”を考えるが、歳をとってからもらうお金と時間も、このようにして得られるという良い例でもある。若いときは、60過ぎの年寄りの事は考えられないだろうが、自分が元気でなくなったときに、受けられるお金と時間もある、ということを、若い夫婦には是非知ってもらいたい。