ミドさんのブログ

日頃思いつくことを書いてます

2050年

 お題は、2050年とした。今から25年後である。逆に、遡って、私が25年前、つまり50歳のとき何をしてなにを考えていただろうかと考えると、そんなに現在とかけ離れた時代でもなかった。

 ところがである。3,4日前に読売新聞に載った記事が下記。

25年後の2050年を思い描く有識者

  そこには、「電気と水の自給」「自給自足」「物流・交通革命」「人口1億人」の文字が並ぶ。想像は出来るが、現在と結構かけ離れているタイトルとなっている。

 先週、地域の役員仲間とやっているカラオケがあった。隔週で開催している楽しいカラオケである。午後4時半位から午後8時までの3時間半の結構長丁場だが、その内、2時間から2時間半は地域の話などで盛り上がる。先週は、6月に行なう地域の一斉清掃の話題だった。家の周りの雑草や排水路の清掃である。排水路の清掃では、水路内に貯まった泥を流すために消防団を動員して高圧の消防ホースで水を流す作業が行なわれる。

 その水の使い方の話になった。この時、消防で使う水は一般の水道水だそうだ。川から取水すれば問題はないが、一般の家庭で使っている水道水を使うことで問題となった。構造はよく分らないが、水道水を使って下水の泥を飛ばし流す場合、高圧にしなければならず、水道管に高圧な圧力がかかるのだそうである。すると、水道管の管壁に付着した錆が赤い水となって出てくる可能性があるらしい。出てくるだけなら良いが、老朽化した水道管が破壊しないかと懸念しているそうである。

 消防関係者は、水道管の破壊を心配するが、管理している市役所となると若干視点が変わる。赤い水を見た市民が、水道管の老朽化を心配して市に対し陳情に走るのではないかという懸念である。誰がどう発言したか定かではないが、一斉清掃で排水路の掃除をする、しないで揉めたらしい。結果的に、今年は実施することにはなった。

 これまでの25年間は、時間の推移、時代の進歩が早いように見えたが、結構ゆっくりで想像の範囲内だった。しかし、今後の25年は時間の推移が早そうである。「水と電気」は自給と言っても、そう簡単に自給にはなるまい。その間に水道管の改修だってあるはずだ。電気に至っては、地中化などする前に電気の自給が始まりそうだ。一番簡単そうな食料の自給は、田んぼで米を作り畑で野菜を作れば良い。

 しかしだ。最近、農業委員として、地域の農地の耕作状況チェックを始めた。2年前にも実施したが、確実に農地の放棄地化が進んでいる。年寄りになり農地の耕作が出来なくなっているのと同時に若い人たちの数も少なくなり、しかも農業をしたがらないことが原因である。

 私は、あと、25年長生きするとは思えないが、どんな世の中になるのか見てみたい気持ちもある。

気流

 今日の投書欄「気流」のお題は、”カレー” だった。小学生のクラスにカレーが嫌いな子がいて、急遽話題を変えた担任の先生の話とか、家庭科の授業でカレールーの担当になった子が買ったカレールーを家に忘れて困った話とか、今は何処でも黒いカレーだが、その昔はどこの家庭も黄色いカレーだったというような、いろいろな話題が載っていた。昭和生れの私にはどの話題もニヤニヤしながら見るようなモノばかりだった。

 私の家は、昔、田舎の小売店を営んでおり、母親が全てを取り仕切っていた。その関係で、決して裕福な家庭ではなかったが、夕ご飯や掃除洗濯などは、近所の奥さんが家でお手伝いさんとして手伝ってくれていた。小学生の頃、カレーとなると所謂 ”黄色いカレー” が出てきた。これが抜群に旨く大好きだった。小麦粉とカレー粉だけを混ぜたカレーである。

カレーの話題の”気流”  ”ミスや過ち、お客様は神様”の話   庭に咲いたのアヤメや花

 編集手帳には、誰にでもある”ミスや過ち”の話。ミスや過ちと言えば、最近物忘れが酷くと言うより、物忘れが酷くなったとの思い込みも含まれているようだ。こんなことぐらい昔は忘れなかったという思いが、ヒョンなきっかけで判明すると、何もかも「また忘れてしまった」と思い込むようになり、「物忘れが酷い」と思い込むような気がする。また、それに、耳が遠くなり、人の話が声の質によって聞きにくいことも「物忘れ」に加わり、より一層「高齢感」が出てしまうのだ。対面で話を聞くことが苦手になってきている。

 そんな中、昨日はいつもの外国人に日本語指導。ジャマイカ人とカナダ人相手の指導である。片言の会話は出来るモノの、ひらがな・カタカナは読めず、通常使用している教科書が使えないのである。殆どがつたない英語での会話である。今まで相手にしてきた学習者は、殆どがベトナム人などの技能実習生。彼らは、母国を離れる前に、ひらがな・カタカナを勉強し、全員が覚えてきているので、教科書を読むことは早い遅いの差こそあれ出来る。

 ところがこの2人は全く読めないのだ。勿論漢字も出来ない。そこで教科書をひらがな・カタカナで書き直し、更に、ローマ字を加え、そこに英訳を付け加えるのである。この作業が多くの労力を使う。しかし、だれとも会話しない作業なので、聞き取りにくいことは何もない。むしろ得意分野でさえある。

 そして、今度はどうやって、ひらがな・カタカナを彼らに覚えさせるかの手法である。こういった方法を考えるのが実に面白い。この方法ではダメか、今度はどうだ、といろいろな方法を試し、思い巡らすのである。

 英語はアルファベットは重要だが、単語で覚える。「s(エス)」の発音には何の意味も持たないが「school(スクール)」という組み合わせは意味を持つ。日本語の「がっこう(gakkou)」は当然意味を持つが、「が」「っ」「こ」「う」の一つ一つが読めないことには意味が理解できない。つまり、「あいうえお」の51音が読めないことには文章は読めないし、意味も分らないことになる。これを覚えないとダメだということを理解させることが重要なのだ。

 今日も、25課ある教科書のローマ字変換に精を出す。やっと3課まで終わった。ふと庭に目を移すと、ツツジ(サツキ)が2輪ほど咲き出した。その手前には紫のアヤメが綺麗に咲いている。これから庭の沢山あるツツジの季節である。

 

 

「現代危機」

 ゴールデンウイーク真っただ中。子どもが小中学生の頃は、この時期になると、「何処へ行こうか」と遊びの行き先を考えていたモノである。ところがこの歳(76歳)になると、毎日日曜日で、毎朝、今日のする事を考える日課となった。

 先月30日に新聞記事が出てから、書こう書こうとしてきたことがあったが、それも日課に埋もれ今日になってしまった。

3補選、自民全敗の記事

 前から、この人には自分の主義主張があるのだろうかと不思議に思っていた。「人の意見を聞きます。人の意見を採り上げます。」これは、自分の主義主張とは異なる。政治手法のことだ。今も国内のそうした空気をよそ目に海外出張を繰り返している。点数稼ぎには、かっての外相時代に培ってきた地盤・看板しかないのである。

 会社生活39年で一番重要だと思ったこと、それは自分の主義主張である。人の意見は重要だ。でも、”長”に着いたら、自分の主義主張を持たないと部下が路頭に迷う。今や部下は多くの国会議員であり国民である。百の意見を採り上げてその中の良さそうな1つを方針にしてもダメなのだ。百の意見を聞き自分の主義主張を勘案し、自分の案を考え出さないと、部下は付いてこない。やはり、外相の器であったかと考えざるをえない。

 話は代わって、ここ何日かは農地チェックに奔走。丁度、田植え時期と重なり、田に水が入り、稲苗が水面からチョコンと顔を出す時期でもある。農地チェックに回り出したのには意味がある。今まで耕作していた耕作地が荒れ地と化す農地が増えつつあるのである。

小学生の”昭和”の投稿記事      川のせせらぎ(左)と荒廃する農地(右上)           

 予想通りだった。調査開始初日に見つけた荒廃地。ここは約5反歩(1500坪)ほどの農地であり、昨年調査した折は、稲作をしている田んぼだった。ところが2,3日前に現地を訪れた時は、田んぼまでの進入路が高い雑草に阻まれ入れない状態になっており、昨日改めて、作業衣・作業長靴に身を固め再訪し写真に収めてきたモノである。調べてみると地主から借りて耕作していた耕作者が、今年初め心筋梗塞で亡くなり、耕作が出来なくなったため耕作放棄した農地だそうである。

 今、元気で農作業をしている大部分が60過ぎ、70過ぎの老人である。何時病に倒れてもおかしくはない。更に、かってはどんな小さな田んぼでも大事に米を作ってきた。しかし、今は大農業時代。耕作機械は大型になり、農機具をトレーラーやトラックに積み込み搬送し、田を耕したり、稲を植えたりする時代である。大型車が入れない農地は耕作者が敬遠する。それに加え、耕作者の高齢化である。そこで、農地の集約化が叫ばれている。そんな中、ふと川面に目をやると綺麗な川の水が流れている。

 今朝の新聞記事。”昭和を想像できない”小学生の投稿である。携帯電話やインターネットのない時代は想像できないと言う。そんな現代機器に翻弄され「現代危機」になりつつある。

日本は天国

 昨日配信された ”農業新聞” に、農業委員同僚の新聞記事が掲載された。前もって、先月の農業委員会総会で農業委員全員に紹介された話題である。我々農業委員は、時々農地をパトロールし、田んぼや畑に変化があった場合、農地地主に疑問を投げかけ、農地の退廃を防ぐ仕事も担っているのだ。その過程で、徘徊老女を見つけ、一時保護し、警察に引き渡した、という記事である。一緒に農業委員会会長も映っている。立派な行動である。そういう境遇に接すれば、日本人なら当然だと思うが、最近はその当然(の親切)が当然でなくなっている。

農業委員の大金星       Youは何しに日本へのテレビ番組

 外国人が日本の何かに魅せられて沢山やってくる。その外国人に ”どうして日本へ来たの?” と聞く番組がある。”Youは何しに日本へ”という番組だ。ここでは、自国の日本レストランで食べた「餃子」と「カツ丼」が忘れられないと2人の外国人が来日し、美味しい料理や自然を満喫する番組だった。

「餃子」と「カツ丼」の旅

 私は、数十か国を現役時代訪問した。年オーダーの駐在/滞在から数日の訪問まで入れての話だが、それぞれの国でその国の料理を食べた。勿論、日本人が当時は愛したフランス料理も旅行者がよく行くフランス国内のレストランで食べた。そういったときにいつも思うのは、”日本料理は旨い” ということである。今まで食べた料理で、その日本食に匹敵するのは、中国料理の ”北京ダック” しかない、と私は思っている。

 自然もそうだ。中近東は砂漠が多いので自然を満喫すると言ったって、砂漠で夜中を過ごすキャンプくらいだが、定年間際に滞在したフィリピンで、棚田の有名な場所があった。ネットで検索して貰えばすぐ分る。こうした風景も日本には一杯ある。

 私たちは「日本は小さな国だ」と学校時代教わり、その情報が刷り込まれている。しかし、日本は、イギリス・ドイツ・イタリア・ギリシャスウェーデンなどより広い国土面積を持つ。他のヨーロッパの何処の国と比べても比較できる程度の国土の広さなのだ。それともう一つの大きな理由は、南北・東西に長い国土を持つ。北は北海道の(北緯45度31分22秒)稚内、南と東は沖ノ鳥島(北緯20度25分、東経156度04分)、西は沖縄与那国島(北緯23度27分、東経122度56分)で、東西/南北に約3000kmである。

 ちなみに、よく知るアメリカ本土と比べると、アメリカは南北に約3000km、東西に4500kmで、面積では1/30であるが、広さとなれば匹敵できる位であり、寒い/暑いなどの風情のある国になっている。

 そして何より違うのが、日本人の親切な思慮深い気持ちだろう。アジア人は一般的に「親切/家族思い」であるが、一般論として、「家族思い」の国民性は何処の国でもあるが、他人に対しても日本ほど「親切」な国民はいない。昨日の番組で紹介があったが、電車から乗客が降りた後、車掌が全車両残った客がいないか見て回る国はなかなかないそうである。これも親切心の典型だろう。

 こうした目に見えない「親切」に外国人は、日本は住み易いと感じるのだろう。寒さを知っている、(蒸し)暑さを知っている、こうした環境に育った自然と同時に育まれた日本人の国民性にバンザイである。

大きな喜び・満足感

 いつもこの時期になると、他のツツジの花に先駆けて、”霧島” が咲き出す。見事な紅い色だ。もう10年ほどになろうか、余りに綺麗なのでいずれはと思い、株を分けた。その子株も咲き出した。この霧島には思い出がある。会社勤めの頃、庭に色々な木があった。会社の同僚が、「・・・さん家の庭で、何の木が欲しいと言われたら、この霧島にする」と言われたことがあるのだ。我が家の庭の中でもインパクトのある木である。

   我が家の ”霧島”            10年ほど前, 株分けした ”霧島”

 労働力不足が巷で騒がれている。その不足に、日本語を教えることで貢献している事例を紹介したい。

 ベトナム人の女性がスーパーで働き出した。昨日、彼女が働いている職場を訪問し会ってきた。あの、スーパーのスカーフと作業服に身を包み、商品を陳列棚に並べていた。彼女は数ヶ月前から我らの日本語の教室で日本語を習っていた。そして彼女の旦那さんは、もう数年前から我らと一緒に日本語を習ってきた仲間である。彼の実力は今やN1(日本語能力検定試験1級)を合格できる程である。

 半年ほど前に来日した奥さんは、当初は日本語を習うことで気を紛らしていたが、近所の人との会話もままならず、暇を持て余し困り果てていたようだ。日本語教室の近くにスーパーがあった。ここで働けないかと考えたらしい。旦那が、このスーパーで従業員募集をしていることを嗅ぎつけ、1週間ほど前に、店長に会い、交渉し雇い入れて貰うことにしたそうだ。当然、このスーパーでは初めての外国人採用である。

 彼女が働き出したことにもビックリしたが、一番ビックリしたのは、旦那が、店長に会い彼女(彼の妻)を雇ってくれるように交渉したことである。この旦那は、つい1週間前も1泊2日か2拍3日で名古屋へ出張していた。もう、一人で日本中を日本人と同様、飛び回ることが出来るようになっていたのだ。

 私が現役時代、中近東、東南アジア、オセアニア、中国と出張・駐在で飛び回っていたのと同じレベルである。頼もしいと感じると同時に、この日本語を教えた人達が日本社会に貢献していると妙な満足感を感じた。

 今は、ジャマイカ人とイスラム系カナダ人に日本語を教えている。教室には14,5人の学習者がいるが、入会前にひらがな・カタカナは履修済で入ってくるのが一般的であるが、この二人はそれが全く出来ない。仕方なく、日本語の教科書にローマ字のルビを振り、ひらがな・ローマ字・英訳の三つを書いた資料を作り始めた。これが以外と時間を取られる。出来るだけ日本語を使って説明したり試みるのだが、まだ、英語90%,日本語10%位の比率である。2ヶ月後には、この比率が逆転出来るよう努力したいと思う。

 自分の作った資料で分って貰えると、これも大きな喜びや満足感に繋がる。外国生活で外国人に助けられた恩返しにと始めた日本語指導だったが、今や、自分の喜びや満足感に浸っている。このブログを見ている方々にも是非お勧めしたい。

気になる言葉

 最近、寝るのが早くなった。4,5年前までは、夜9時には布団に入ることにしていた。今ではそれが1時間早まった。というのも、昔のように熟睡できないのだ。恐らく、これは昼間テレビを見ていてはウトウト、と言うような状態が続いており、ある程度の睡眠が取れているので、睡眠が深くならないせいだろうと思っている。父親も言わなかったが、多分同じ状態だったのではと思う。こたつに入っていてはウトウト、テレビを見ていてはウトウトだった。よく母親が、布団に入っても眠れないと言っていたモノだ。

 私の今の状態は、この母親と同じ心境である。ただ少し違うのは、布団に入って眠れないのではなく、知らず知らずの内に寝ているせいだと最近気付いた。夜中に目が覚め時計をみてテレビを点ける。ずっとテレビを見続けていたような感覚なのだが、いつの間にか1時間が経っているのだ。この感覚が母親が感じていた ”眠れない” 状態だったのだろうと推察する。歳を取ると色々な面白い現象が出没するものだ。 

今朝の新聞記事(左から、看護婦さんの 初心に返る言葉、四国で地震岡潔の言葉)

 そんなわけで、今朝も早く目が覚め、台所の流しの片付けをして、朝刊に目を通した。訃報欄だけではなく、たまには隅から目を通してみるかと考え、記事欄で興味を覚えたのは四国の地震。「四国で初」という言葉。記事を読んで見ると、震度6弱というような震度階級を導入してから初めての四国での地震なのだそうだ。1996年に導入だから、何とこの地震の多い日本で28年間も震度階級に表現されるような地震が無かった、というのは俄に信じられないが、何か前提が違っているか。まァ、ともかく珍しい地震だったらしい。

 そして、いつもの「編集手帳」。面白い言葉が載っていた。「私は数学なんかをして人間にどういう利益があるのだと問う人に対しては、スミレはただスミレのように咲けば良いのであって、そのことが春の野にどのような影響があろうとなかろうと、スミレのあずかり知らないことだと答えてきた」。別のページに小学校の数学の試験や国語の試験問題が載っていた。数学はなんとか分るものの、国語は分らない問題が満載。今時の小学生はこんな問題が出来るのかと唖然としてしまった。

 初心に返る言葉では、「出世や金だけが目的の人間になるなよ。人は品格だ。」会社生活39年、私もこの言葉通り生きてきた。同感である。そして介護施設の厨房で働く77歳の女性。「水分補給した方がいいわよ」と温かいお茶を差し出してくれた看護婦さんに感激の記事。差し出さないまでも「水分補給って大事よね」「水分補給したら」「水分補給した?」なんて言葉はあるだろうが、実際に出してくれるのと,言葉だけとは全く異なるよなァー、なんて感じた今朝の朝刊だった。

時間の有効活用

 筍(たけのこ)の季節がやってきた。我が家の竹林は、家から歩いて数分の場所にある。竹林と言っても200坪程度のものだ。それでも一軒で食べる筍の量は遙かに超える。毎年、4月末から5月初めにかけてのゴールデンウイークが収穫の最盛期となる。この時期に見に行くと既に数本は竹になりかけているほど伸びた筍に出会う。今年はそれを避けてみようと、2週間も早い昨日見に行った。普通なら採り頃の筍が数本見つかった。

 今年の初物を記念して、少し早いが2本採ってきて、筍ご飯用に出汁・醤油・みりんで煮た。今日は、これで ”筍ご飯” を炊こう。

           筍が頭を出した!           昨年買った桜が咲いた!

 あと2週間もすれば、あちこちに筍が頭を出し採りきれなくなる。この竹林は、昨年、近所の人が綺麗に下刈りをしてくれたお陰で、筍がどこにあるか一目で竹林を見渡せるようになった。この季節になるとその方に何かお礼をしなくちゃーと考えるが、時期が外れるとその恩もすっかり忘れてしまう。困ったモノである。今年は忘れず何か贈り物をしよう。

 昨年買った桜の木。時期が外れた今の時期に桜の木を買うと半額で買える。ホームセンターに昨日出掛けたら色々な花の木が半額で売っていた。除草剤を買うついでに見てきた。庭の草が伸び放題に伸び、酷い状態。少し暖かくなってきたので草取りをしようと思い、草を取った後に蒔く除草剤を買ってきたのである。

 草取り前                草を取った後

 草取りも、以前は午前中一杯出来たモノだが、今では2時間続けると腰が痛くなり限界になった。年々この時間が短くなる。70歳の頃は、午前中も午後も出来たが今では何をやっても1,2時間というところである。僅かな庭の広さだが、一気に出来ないので、今日はここまで、と決めてもうちょっと出来そうだと分っていてもそれで終わりにし、翌日その続きをすることにしている。

 毎日、根気よく続ければ、若い時期と同じ成果が生まれると信じ、この方法で全て処理している。年寄りには若い人にないものがある。それは ”時間” だ。パソコンで日本語教育の資料を作っても、こうしたブログを書くのだって、時間を数回に分けることで、若いときと同じように、時間はかかるが出来る。”時間の有効活用” である。若いときのような少ない時間の有効活用ではなく、あまたある時間の有効活用法である。