ミドさんのブログ

日頃思いつくことを書いてます

庭木の伐採

 毎日気になって仕方がない。庭の草と木である。性格が性格だから仕方ないのだが、気になるのである。気になっても、体が言うことを聞かないから仕方がないと諦めていたが、昨日は、”やっと”その気になった。庭の草取りではなく、生い茂った植木の枝打ちを思い切ってやり始めた。元々、こういう作業は嫌いな方ではないので、やり始めればその気になるが、体に言うことを聞かせる気持の方がほんの少し勝ったところで、”えいやっ!”と始めたわけだ。

 大分前に買ったハンディチェーンソーの潤滑油をホームセンターで買い求め、機械に充填してから始めだした。剪定ばさみとこのチェーンソーを駆使して進めるのだ。チェーンソーはもう数年前に買った物だが、ソーの部分の刃こぼれなどで切れなくなり、その代替え品を買った2台目のものだ。この機械は、我々のような素人には本当に使いやすい代物である。

 あっちの木、こっちの木とドンドン切り詰めてゆく。すると、伐採した枝が山のように増えてゆく。我が家は、2面が道路に面しているので、伐採した枝も放置するわけにも行かない。そこで、軽トラに積み出したたら、荷台がすぐ一杯になった。それと同時にチェーンソーのバッテリーも切れた。充電が必要になったのだ。一台目のチェーンソーよりバッテリーの無くなるのが早い。安物買いの不良品かな、と思いつつ伐採をやめて、トラックを焼却場へと運ぶ。

 もう4時半近くになるが大丈夫だろうか。焼却場へ急ぐ。まだ大丈夫そうだ。受付で「何時まで?」と聞いて見た。「日曜日を除く毎日やっています」「4時半までです」と言う。良かった良かった、もう少しで搬入がダメになるところだった。この搬入前にシャワーなぞ浴びて時間を潰したからギリギリになってしまった。でも良かった。伐採した枝を下ろして、精算する出口に向かう。料金は300円だった。意外と安かった。

 家に戻り、バッテリーの充電器の様子を見るが、まだ、充電が終わっていない。これは不良品では?という確信が募る。通信販売というのは安いがこれだから困る。もっとも、1万円で買った機械なので、仕方ないと言えば仕方ないか。だましだまし使うことにしよう。すぐ疲れる年寄りには、体を休める時間が出来て、良い機械だと思えばいい。

 しばらく、体安めをしていると、カラオケ仲間から、明日の夕刻、飲み会のお誘いである。明日は、日本語を外国人に教える日だが、夕刻は空いているので、二つ返事でOKした。また、楽しみが増えた。

手前の木、4、5本の枝切りを実施

 

 

告別式

 ここ2、3日は、ボランテア同僚の記事ばかりである。昨日告別式だった。今まで何十回と告別式に出席してきたが、初めて出会ったことだったので、このブログで紹介したい。自分の時は、別の形で同じようにしたいと思ってきた。

 亡くなった本人の家からはかなり離れた場所での告別式だった。恐らく、会場の都合でそうなったのだろう。どこでもそうだが、会場入り口には、亡くなられた同僚の名前の大きな表示。生存中はこんな大きな字で自分の名前を書かれたことがあったのだろうか。

 そして、会場入り口を入り、普段通り、お香典を受付に出しお返しの引換券を貰う。そして会場へと思ったら、会場は一杯なのでロビーでとの表示。小さな会場を覗くと満杯の会葬者。止むなくロビーへ。すると、そこにあったのが今日紹介する初めてのケースである。こういったケースは姿を変えた事例はいくつかあったが、その中でも際立っていたので、それを是非紹介したいと思った。

 ロビーにあるテーブル7、8台あろうか、それに加えに、追加テーブルを壁際にいくつか配置したロビーだった。そして、その全てのテーブルに、絵を描いた色紙と人生訓のような文言を書いた色紙が並べられていた。その文言の色紙には「(名前)母からの言葉」と書き加えられ、亡くなった ”彼女の字” で人生訓が書かれていたのである。

 彼女の字と分かるのは、書道を嗜んでいたらしく、普段から、日本語の教室に来ては紙に良く筆で字を書いていたから、字体など良く知っていた。あたかも、彼女が今日の日を予想していたように、準備していたかのようだったのである。一つ一つの文言を読んでいくと、まるで、彼女がそこにいるように感じた。

 そのいくつかをココで、絵や色紙と共に紹介したい。

 信じる週間のある人                

  ・信じること、祈ることで免疫力が高まる   

  ・自分が信じられることを見つける      

  ・生きようと強い意志を持つこと       

  ・他人を思いやり、祈ることも大事      

 歌うこと

  ・歌うことで快感ホルモンの分泌が増える

  ・血液がよくなり老廃物が排泄される

  ・エネルギー消費量が増え、ダイエット効果

  ・風邪、インフルエンザ、アレルギー性鼻炎の改善

 私の予想を遙かに上回った会葬者だった。これは、生前、活動範囲の広かった証拠だろう。とても、素敵な告別式だった。  安らかに!!

3/700の確率

 4、5日前に亡くなったボランテアの同僚のお葬式だ。しっかりお礼を言ってこよう。実は、一昨日も地域の方のお葬式があり喪服を着たばかりだというのに、今日も喪服のお世話になる。今年はやけに喪服にお世話になる。毎年、8月にはこの1年で亡くなった方々の新盆参りをするが、今年は去年の倍もの数の新盆がある。

 更に、昨日は、35日毎のかかりつけ医師の診察日であった。女房が数週間前に1日入院で、多数の大腸ポリープを取った。そのことをこの医師に聞いて見ようと思い立ち、どうしてそんなに多数のポリープが出来るのか、また、その発見をする為にどのような検査をしたら良いのかを聞いて見た。

 すると、予想通りの返事が返ってきたのだ。つまり、大便を検査して血液が認知されれば、ポリープを疑うと言うことだった。なぜ、医師に聞いて見たいと思ったのかだが、女房にどうして、大腸ポリープが発見出来たかを聞いて見たところ、CT検査で見つかったと言う話しだった。そんなバカな? と思ったが、素人にそれ以上聞いても仕方なので、かかりつけ医に聞くことになったわけだが、女房の場合、人間ドックで見つかっているので、他の検査で分かるのか知れない。

 かかりつけ医から、便検査をしますか?と聞かれてので、結構です、とお断りし、人間ドックを受けてみようと思っている。「間質性肺炎」も人間ドックで見つかっているので、何か、検査項目に大腸ポリープを発見できる検査項目があるに違いないと思っている。

 そんな体の健康のことを考えていたら、最近、散歩が疎かになっていることを思い出し、隣り街まで歩いてみようと思い立った。80も近くなると色々なモノに気付くものだ。

 歩く歩道の両側の草が歩くのに邪魔になるほど伸びていること。だれが綺麗にするのか、今まで、こんなに伸びていることは、無かったよなァ~、と線路の両側に草が繁茂し、駅構内にも草が繁茂している現象と同じかな、と思った。こういった、一見無駄に思える作業は、省略する世の中になったのだと妙に納得してしまうから不思議である。

 そうして歩いていると、田植え作業をしている農家の人たちに出くわした。それも、私所有で、この農家に耕作を頼んでいる田んぼである。この農家は70も80ヘクタールも耕作している大農家である。つまり、700反歩も800反歩も耕作している農家の、たった3反歩の私の田んぼの田植え作業に出くわす確率はいくらくらいかと考えたら、非常に不思議な気がした。たまたま散歩に出て、3/700の確率の偶然に出くわしたのである。何か、良いことがあるような気がした。

私所有の田んぼ          遠くに見える阿武隈の山並み

 

突然死

 前回、パソコンの整理をしたと言う話しを書いた。それも、日々老いてゆく自分を感じる機会が多くあることからの行動である。そして、友人・知人などの葬儀に出ると、実に素敵な遺影に遭遇することがよくある。それを見ながら、自分の時は、どんな遺影になるんだろうかと他人事のような思いで眺める自分がいたりする。そんなことを考えていたら、とんでもないことが起こった。

 一昨日のことだ。日本語を外国人に教えるボランテアの仲間が、一人、突然亡くなってしまったのだ。詳しくは分からないが、旅行先の浴室サウナで倒れていたと言うことだそうだ。つい先週まで、元気に一緒に、ボランテアで日本語を教えていたのにと、なにかキツネにつままれたみたいな心境である。年齢は、恐らく、70歳をちょっと超えた位だろう。78歳にもなった私よりは、遙かに若い女性である。

 昨日、今日と新聞の訃報欄を見ているが、出ていない。今、流行の親族だけの葬儀になるのだろうか。教えてくれた方を頼って、様子を聞いてみた。すると、色々のことが分かってきた。亡くなった彼女は、シルバーリハビリという運動のボランテアもやっていたが、よく、日本語のボランテアの場所でも、外国人に、「こうやると、・・・に良いのよ」なんて言いながら、運動を教えてあげるような方だった。とても、突然、亡くなるなんて、全く考えもしない方だった。訃報欄も葬儀が9日だそうなので近くなったら、訃報欄に掲載するのではと思っている。

 今日も、いつもの ”気流” 欄に目を通した。自分と同じ78歳の方の投稿に目が行った。孫娘から、看護学生になり病院実習に夏休みに行くことになったという知らせに、「頑張ってね」と知らせたと言う話し。そして、もう一人の78歳の女性。自分の遺影をキチンと撮っておきたいと髪をセットして写真屋さんで遺影を作って貰ったと言う記事。

 最近、葬式が多い。それだけ、自分の最後も近づいているという証拠だろう。そんなこともあり、前回のブログ記事は、パソコンの整理だった。今度は、遺影をどこで作って貰うかと言う課題である。カラオケ仲間に電話して、ボランテア仲間が亡くなった話しと遺影の話をした。私より5歳も若いので、まだ、そんな準備はしていないらしい。「自分で撮ったら」という返事が返ってきた。それもそうだと合点がいった。

 人間、いつ、人生の終わりが来るかも皆目分からない。元気だと思っていても、血圧、心臓などには気をつけよう。妻や子ども達に慌てさせないように、突然死にだけはならないように気をつけたいと思っている。

パソコン整理

 さてさて、今日は何を書こうか。残りの人生を考えると、パソコンも整理しておかなきゃーと、パソコンに入っている”ドキュメント”を眺める。一杯入っている。自分でも何を入れたかさえ分からなくなっているのだ。一つ一つ見ながら、さて、どう整理しようかを考える。取りあえず、USBに、それぞれのタイトルに合わせ整理してみようと、今まで整理したつもりになっていた保管してあるUSBを眺める。

 ここで、さて、と又もや考え込んでしまった。と言うのも、どのUSBに何が入っているのか分からない有様なのだ。そこで、パソコンではなく、USBから整理しようかと思い立った。大きなタイトル毎にUSBに格納し、USBにタイトル票を付ける。まずは、ドキュメントそのものである。容量が入るか心配だったが、今は、USBも32GBと大容量なので、問題なく格納出来た。そして、その後、中タイトル毎にUSBに格納しては、タイトル票を付ける操作が続いた。

 ただ単に、取りあえず ”保存しておこう” と言うデータの多いことか。一つ一つ吟味することは諦めた。中分類のタイトルを見てUSBに保管することを決め、やっと、昨日、整理がついた。そして、今日、パソコンのドキュメントに入っている色々なデータを消せると思って、ドキュメントを眺める。ここで、”もし、USBが、どうにかしちゃったら全部データが無くなっちゃうなー”などと、余計な囁きが聞こえる。

 結局、この囁きを尊重して、ドキュメントの中のデータも取捨選択して消すことを考え、その整理は2,3日待ってやることに決めた。

整理したつもりのデータを格納したUSB

 そういえば、自分の親たちの遺品の整理で、こんなに神経を使ってやった事があっただろうかと考えた。結構、おざなりにやってきた記憶がある。つまり、こうして整理したUSBも、パソコンのデータも、自分が生きている間だけの儚い運命だと気付いた。つまり、生きている間に見る予定のないものは消しても、捨てても良いものと見切りを付けて整理すべきと割り切ることにした。どこからか、また、悪魔の囁きがないことを期待して。

 今朝起きてテレビを点けたら、いつもの、「テレビ寺子屋」である。教育評論家の尾木直樹氏が出ている。為になることを話していた記憶はあり、ブログに書こうと思っていたが、すっかり、内容を忘れてしまった。いつもの現象である。これが、残りの人生続くのである。

 さてさて、今日は何を書こうか。残りの人生を考えると、パソコンも整理しておかなきゃーと、パソコンに入っている”ドキュメント”を眺める。一杯入っている。自分でも何を入れたかさえ分からなくなっているのだ。一つ一つ見ながら、さて、どう整理しようかを考える。取りあえず、USBに、それぞれのタイトルに合わせ整理してみようと、今まで整理したつもりになっていた保管してあるUSBを眺める。

 ここで、さて、と又もや考え込んでしまった。と言うのも、どのUSBに何が入っているのか分からない有様なのだ。そこで、パソコンではなく、USBから整理しようかと思い立った。大きなタイトル毎にUSBに格納し、USBにタイトル票を付ける。まずは、ドキュメントそのものである。容量が入るか心配だったが、今は、USBも32GBと大容量なので、問題なく格納出来た。そして、その後、中タイトル毎にUSBに格納しては、タイトル票を付ける操作が続いた。

 ただ単に、取りあえず ”保存しておこう” と言うデータの多いことか。一つ一つ吟味することは諦めた。中分類のタイトルを見てUSBに保管することを決め、やっと、昨日、整理がついた。そして、今日、パソコンのドキュメントに入っている色々なデータを消せると思って、ドキュメントを眺める。ここで、”もし、USBが、どうにかしちゃったら全部データが無くなっちゃうなー”などと、余計な囁きが聞こえる。

 結局、この囁きを尊重して、ドキュメントの中のデータも取捨選択して消すことを考え、その整理は2,3日待ってやることに決めた。

整理したつもりのデータを格納したUSB

 そういえば、自分の親たちの遺品の整理で、こんなに神経を使ってやった事があっただろうかと考えた。結構、おざなりにやってきた記憶がある。つまり、こうして整理したUSBも、パソコンのデータも、自分が生きている間だけの儚い運命だと気付いた。つまり、生きている間に見る予定のないものは消しても、捨てても良いものと見切りを付けて整理すべきと割り切ることにした。どこからか、また、悪魔の囁きがないことを期待して。

 今朝起きてテレビを点けたら、いつもの、「テレビ寺子屋」である。教育評論家の尾木直樹氏が出ている。為になることを話していた記憶はあり、ブログに書こうと思っていたが、すっかり、内容を忘れてしまった。いつもの現象である。これが、残りの人生続くのである。

歌で思い出す母

 「母~さん、母~さん、お元気ですか~・・・」鳥羽一郎の、”海の匂いのお母さん”という演歌である。昨日は、新旧役員仲間との隔週でのカラオケだった。前回からの課題曲であり、昨日は、その発表会。なかなか点数の出ない曲だった。

 ひとしきり、四方山話に花を咲かせ、お酒を飲みながら、酔うほどに、いよいよ歌を歌う時間になった。”あみだくじ”で歌う順番を決める。6人メンバーがいるうちの私は3番バッター。なかなかイイ順番だ。

 まず、みんなで一回ずつ練習をする。これは席順である。5番目に順番が回ってきた。今まで隔週火曜日で3回の練習で、自身の最高点は89点なにがしかの点だった。今日は何とか90点台に乗せたいものだ。この歌の今までのトップは、2番目に歌うKさんと6番目に歌うOさんで、いずれも89点台。兎に角、90点台の出ない歌だった。

 練習でKさんが歌う。やはり89点台である。いつも最高点を出すKさんでも89点台。そして5番目の私に順番が回ってきた。今まで、画面に出る音符(実際には音符ではない)の高低に気をつけ歌っていたが、昨日は、歌詞を見ながらこの音符は出来るだけ見ないようにして歌った。果たして・・・・、出たー! 90点台。今までの練習を通して最高点だ! やった! よし!。本番もこれで行くぞー! この歌の点数の良いOさんが、私の後に歌った。やはり、89点台。やっぱり。

 さて、いよいよ本番の発表会。1番バッター、2番バッターと続く。89点台に届かない。よし! 私の番だ! と気合いを入れて、立って歌う。歌い方は先ほどと同じ音符を出来るだけ見ずに感情を込めて歌った。さア~、どうだ! 機械の点数表示に注目。出た~、91点台、今までの最高点だ! 良し! これなら、今日は優勝だろう! でも、4番バッターに、毎回、優勝のKさん、そして5番バッターにこの歌得意のOさんと続く。侮れない。

 そして、Kさんが歌う。いつも通りだ。89点台か。と思っていると、点数が出たー!な、な、何と、92点台だ! 彼も今まで出したことない、そして、過去にも出したことのない点数が出たー! 

 こうして、Oさんの点数も、90点台は出たものの、92点には及ばなかった。また、いつものKさんの優勝で決まりだ。そんな訳で、カラオケ発表会は楽しく幕を閉じた。

 それにしても、この歌は、歌詞が良い。暫くぶりに、母のことを思い出した。晩年、一人で家にいた。何となく寂しそうだった。毎週土曜日か日曜日には実家へ行き、母の話しを聞いた。そして、いよいよ病院に入院し、1月3日に最後を迎えた。母は、幸せだったのだろうか。

 今、母が庭師に頼んで、手をかけていた庭を眺めながら、母の思い出に浸った。