ミドさんのブログ

日頃思いつくことを書いてます

白い鍵盤の傷

駅ピアノ

 「駅ピアノ」という言葉はよく聞く。今までも、このブログでも紹介してきた。駅の構内に ”ご自由にお弾きください”。 ピアノを置いて、通りすがりの乗降客などに弾いて頂くピアノのことだ。私は、ピアノは弾けないが、以前のブログで、ピアノが弾ける、というのはいいものだと、イタリア・コモに出張した経験を綴った記憶がある。そういった思いもあって、「空港ピアノ」を弾いている姿に目が留まった。

 

空港ピアノ

 「空港ピアノ」というからには、同様に、空港を訪れる乗降客、訪問客の目に留まり、自由に弾けるピアノである。生まれながらにして左手首から先を無くした人がピアノの前に座る。そして、不自由な左手で、一か所の鍵盤を抑えて音を出し、右手でメロディを弾く。「みんなが喜んでくれる姿に感動して弾いています」と言うことば。様々な人がピアノを弾く。そんな中、鍵盤の一か所が傷ついていて、あの白い鍵盤の部分が剥げ、下の木の色が露出しているのに気付いた。

 

蘇ったピアノ

 2011年3月11日、東日本大震災が東北地方を襲った。そして、仙台空港も水浸しになり、長い間再開に手間取った空港として記憶が生々しく残っている。これは、仙台空港での「空港ピアノ」なのである。

 あの震災で、傷ついたピアノが東北の海岸に取り残されていた。そのピアノは、修復され、持ち主の地元、七ヶ浜町生涯学習センターに展示保管されてきたそうである。そして、その修復は困難を極めた。海岸に放置されたピアノは塩水に洗われ、金属部分は、殆どがさび付いて修復が大変で、修復を100軒も断れ続けたが、やっと、横浜の方が修復してくれ蘇ったそうだ。

 

「ローラ」のお披露目

 仙台空港は国内唯一の津波の被害を受けた空港だそうだが、それをどういう形で発信しようかと模索していた空港関係者が考えたのが、この「復興ピアノ」だったそうだ。

 持ち主の櫻井さんは、このピアノに、見た目から西城秀樹の歌「傷だらけのローラ」を思い浮かべ、「ローラ」と名付けて、今年2月にお披露目会が催され、著名なピアニスト猪俣久智さんの演奏も催された。そして、その後、約1か月間「空港ピアノ」として空港ロビーに展示されたという訳だった。

 

昔以上の音を奏でるピアノ

 櫻井さんは「直す前よりも張りのある音になりました」と言っているそうで、今となっては、ピアノが震災に遭った唯一の証拠が、「白い鍵盤の傷」という訳である。

 空港を訪れる人が立ち止まてピアノを弾く。その奏でる音楽を聴いて、周りの聞き入る人たちの拍手を受ける。そして演奏した人は、ニコニコしながらそうした観客?に深々とお礼をする。非常に微笑ましい風景が展開される。今も、櫻井さんの七ヶ浜町の実家2階にそっと置いてあったかもしれないピアノが、震災があったことで、今、ここにある。

      (つづく、・・・)