連日暑くて何もする気がしない中、テレビばかり見ていたら、老化する筋力が益々老化してしまう。これじゃーダメなんだよなぁ~、なんて考えながら、いつも通りチャンネルボタンをあちこち回す。気になる番組があった! 始まったばかりだった。
”俺は最強だ”とラケットの握り部分に書いてある映像。顔を見て分った。国枝慎吾、車椅子プロテニスプレーヤーである。国枝慎吾氏の人生を描いたストーリーだった。

小学校の頃は、野球少年だった。小学校高学年になり脊髄腫瘍を発症、下半身麻痺となった。その後色々な大会で優勝を重ね、パラリンピックでも金メダルを含め数々のメダルを取得、世界一位のまま現役引退を表明したのはご存じの通りである。

このテレビを見ていて、われわれ社会人にも役に立つなと思うところが多々あったのでそれを紹介したい。
色々な試合を重ねて行くうち、試合前のドキドキ感が試合の行方を左右する時も多々あった。そこで、このドキドキ感はどうしたらと考え、メンタルトレーナーのアン・クインさんの指導を仰いだ。それが、あのラケットグリップの”俺は最強だ”に繋がるのである。つまり、メンタルはテクニックであるということ。メンタルは鍛える事が出来、そのテクニックを上手に使うことも出来るという点である。漫然と緊張感でドキドキせず、それを鍛えることで、試合に影響を及ぼすことのないようにしようという考え方である。

緊張感は、五感が研ぎ澄まされている証拠で、最高のコンデションである事を示すと考えるプラス思考の考え方をするのである。緊張感が出てきた時は、その闇をルーチンで埋めた。それは汗を拭くことだったり、グリップの汗を拭い去る事だったりした。そうすることで緊張感を高めたまま試合に臨めた。

そうこうしているうちに、東京パラオリンピックまであと3年と迫ったある日、肘に痛みが走った。手術をしたり、色々なことをしたが、思うようにならず、肘に負担をかけないフォームに改造する事を決断。3年のうちに何とかモノにする。全ては、”東京での金”のためだった。その3年間は負け続けた。しかし、フォームを自分のモノに出来れば、との思いで踏ん張った。
そして、東京パラリンピックでは、ついに金メダルを勝ち取った。

その後、世界一位のまま、競技生活に終止符を打ち、現在はアメリカで選手の指導育成を行なっているという。しかし、引退後、スポンサー企業の社長に言われたひと言が気になっているという。「副業ではなく、本業を探せ」という言葉。

こうして書いてくると、国枝慎吾の生き方、考え方も参考になるが、特に、最後のスポンサー社長の言葉は気になる。われわれ、現役を退くと、"現役”という言葉が醸し出す印象は、”どうでも良い副業感覚”で色々な活動をしていないかという点である。現役を退いたら悠々自適に結果に一喜一憂せず、のんびりと活動したら良い、と言う感覚である。それでは付き合ってくれる仲間はタマッタモノではない。でも、人生にはいろいろな生き方があることも確かだ。