ミドさんのブログ

日頃思いつくことを書いてます

近くの親戚より、遠い他人

エリザベス女王死去

 エリザベス女王が亡くなった。日本にもかっていらしたこともある。その当時の思い出はかすかに脳裏に焼き付いている。新聞報道を見て、「そうだ、こんな風だった」と思い出した。

 もちろん、間近で見たこともないが、それでも、優しいお人柄は画面を通じても、文字を通じても分かる。マスコミが作った虚像かとも思えなくもないが、マスコミがインタビューする限りにおいて、そうしたお人柄が伝わってくる。

 チャールズ新国王が即位宣言をなされたという。また、ウィリアム新皇太子も即位された。今後、イギリス国民の英王室を見る目はどう変わるか。

 

送迎バスで、また死亡事故

 幼稚園の送迎バスで、家から幼稚園に着いて降りた時に置き去りにされ、幼稚園児が亡くなったという。発見されたときは、上半身の服は脱ぎ捨て、飲み物が入っていたボトルは空の状態で見つかったという。大人なら窓を割ってでも出られるだろうが幼稚園児では、泣き叫ぼうが暴れようが、誰も気付く人は無かったのだろう。実に可哀そうな事件が起こったのである。 

左:エリザベス女王 中:幼稚園事件で謝罪する関係者 右:幼稚園バス  

一杯付く、疑問符「?」

 この日バスを運転していたのは園長だったという。普段の運転手は休みで、代わりに園長がハンドルを握ったということだ。誰でも「なぜ?」と疑問がいくつも湧く。子どもたちが降りるときは、チェックしなかったの?最後にバスを降りるとき、バスに誰もいないかチェックしなかったの?ドアに鍵をかけるときも誰もチェックしなかったの?園児が教室に入ってきたとき、担任は、誰と誰が来ていないかチェックしなかったの?来ていなければ、おうちの人に確認しなかったの? というように、一杯、「?」が付く。

 同様の事件は、昨年も起きている(事件が起きた、写真の右下のバス)。

 

キチンとした風土を見極める

 今回の運転手をしていた園長、一緒にバスに乗っていた職員、担任等など、みんなが、「・・・だろう」などと、人任せ、無責任な対応を取っていたということである。恐らく、日頃から、こうした兆候はあったに違いない。私は会社に40年勤めたが、こうした現象は会社や組織の風土になる。「きちんとした風土」とそうでない風土は、その会社や組織を訪れただけで、雰囲気、空気感から分かるものである。

 

親としての役目も

 今になり家族が色々騒ぐが、親達だってこうした空気を感じていた人も、少なからずいたに違いない。勿論、親には何の責任もない。しかし、我が子を預けるのである。どんな幼稚園なのか自分の目で確認しておくのは、最低限の親としての義務でもある。いろいろな集まりもあったろう。その折々の職員の対応などを見れば、「きちんとした風土」か否か分かるはずだ。

 

「近くの親戚より、遠い他人」の時代

 最近、フェースブックで知った人と交信している。イエメンで医者をしているという。そうかと思えば、かっての同僚がサウジアラビアで仕事をしているという。もう現役を離れた我々が、世界中の人たちと、こんなことが出来る世の中になったということであある。

 最初の例は、言ってみれば、会ったこともない、心情も分からない世界中の人と、話ができるということでもある。日本流にいえば、どこの馬の骨ともわからぬ人と、ということになる。

 「遠い親戚より、近くの他人」ではないが、「近くの親戚より、遠い他人」の世界が広がるのである。昔は、親兄弟はもちろんのこと、親戚も、おじさん、おばさん、従妹位までなら、名前はもちろん、性格まで分かっていたものである。そして、それなりの親近感もあったし、お互い病気になったりすれば、心配もしたものだ。

 

エリザベス女王の「尽くす心」

 近くの子どもや娘さん、息子さんの顔も知り、見かけなければ、その親に聞いたりもした。地域全体が親せきのようなもので、気になったものである。そうした一種の責任感みたいな感情は、今は無くなっているということだろう。

 エリザベス女王ではないが、国民のために尽くすという感情・心を、園児を面倒見る人たちは、「園児のために尽くすという感情・心」を是非持ってもらいたいものである。