ミドさんのブログ

日頃思いつくことを書いてます

どこの馬の骨

大きな封筒が舞い込んだ

 大きな封筒が郵便受けに入っていた。手書きの宛先から、個人からの郵便である。差出人を見てみると、昔懐かしい ”従弟” からの手紙らしい。中を開けてみてビックリ。A4サイズの手紙と家系図らしきものが入っていた。

 手紙を読み進むうちに、彼の家系と私の家系、更に彼の父親母親等など関係する叔父、叔母、従妹等などの家系まで手に入る資料を調べ上げ資料にしたものだった。

 

懐かしい従弟の声

 思わず唸ってしまった。そして、電話を入れお礼を述べ、昔話に花が咲き、私には珍しく長話をしてしまった。何十年かぶりに彼の声を聴いた。昔懐かしい声だった。昔の、人懐っこい顔や立ち居振る舞いまでが頭を過った。

 そう言えば、亡くなった両親が、「・・・ちゃんが、こんな家系図を調べて送ってきてくれた。・・・ちゃんは大したものだね」などと褒めていたことを思いだした。聞けば、平成3年(1991年)のことだった。今から30年も前の話だ。言ってみれば、その続編である。

 

家系と家格

 家系、家格などを再度考える機会になった。昔は、「家柄」とか「誰と誰が親せき」とか「あの嫁はどこどこの立派な家の出」とかと言った話題が各家庭の中で話されたものだった。天皇家の跡継ぎ問題などで論じられるように、各家庭で同様のことが論じられていたのである。だから、「お見合い結婚」というものが存在もした。「家と家の格が合う」ことを求められたのである。

 我々の団塊の世代からであろうか、「恋愛結婚」という言葉がもてはやされ、お見合い結婚は古い形と決めつけられた感もあった。ひどい親では「どこの馬の骨と結婚するんだ」とまで言われる始末だった。

 

家系に係る結婚の形

 それぞれに一長一短があり、どちらが良くてどちらが悪いとも決めつけられるものではないが、我々が結婚する当時は、「お見合い結婚」は分が悪くなりつつある時代だった。私は、典型的な恋愛結婚だが、お見合い結婚の最大の利点は、お互いの幼少期の育った環境が似通っていること、そして、親同士も話がよく合うということであり、嫁姑問題も比較的軽微で済んだという利点があった。何かあれば、親同士で話を付け、それぞれの子どもに苦言をと言う形で納められもした。

 

跡継ぎ問題

 そうした家には、跡継ぎ問題と言うのもあった。誰が家督を継ぐかである。家格を論ずるような家庭は、家屋敷は勿論のこと、田畑・山林などの財産が多くあったことからそうした財産の跡継ぎ、両親の面倒、お墓を守るなどの「・・・家」として誰が引き継ぐかという跡継ぎ問題である。昔はそうした財産が、高価でもあり、「財産目当て」になどと揶揄される人たちまで現れるようなことさえあった。

 しかし、今や家も比較的簡単に手に入る上に、処分するのが難しい財産などをもらい、挙句の果てに年老いた両親の世話までしなければならない立場というのを敬遠するようになってきたのも分かるような気がする。そして更に、少子化問題も加わった。

 

喪主が変わる訃報欄

 毎日、新聞の訃報欄をいつしか見るようになったが、喪主の記述がその複雑さを表している。長男の嫁に始まり、次男、長女、次女、長女の夫、孫なんてものまである。昔は余程の事情がない限り、「長男」だったのである。

 我が家は幸いにして、子どもがいる。男が二人である。どちらが跡継ぎになってくれるやら、誰が私の喪主になってくれるのか、「妻」にだけはしてもらいたくないと思っているが、それも「あり」かもしれぬ。