ミドさんのブログ

日頃思いつくことを書いてます

工夫と節約

ポツンと一軒家

 「ポツンと一軒家」のある場所が、先週は、茨城県だった。いつ茨城県に回ってくるかと思っていたが、やっと回ってきた。好きなテレビ番組の一つである。

 山間の一軒家であるが、昔からの一軒家ではなく、昔は部落がありたくさん人も住んでいたが、昭和の30年代から40年代になり、若い人たちが都会へあこがれて行くようになると農村地帯はドンドン寂れていった。その先鋭隊が我々、戦後っ子時代だった。そして残された老人たちは、田舎での生活が不便になり、子どもたちや親せきを頼って田舎を出て行ったのである。

 

家でやった結婚式・お葬式

 先週の対象の家には80歳代xの老夫婦が住んでいた。この夫婦が結婚したのは昭和の30年代後半。田舎の山道を3㎞も花嫁衣裳のまま歩き嫁いできたという。その頃は、この部落にも何軒もの家があり、家で、結婚式・披露宴を催し、部落民全員から祝福を受けたという。

 我々が子ども頃は、結婚式・披露宴はもとより、お葬式も各家庭で行った。そして、亡くなった人を、近所の人で担ぎ、お墓に穴を掘り埋めた、つまり、土葬を行っていたのである。

 

茅葺屋根、囲炉裏のある家

 そうした部落も、一人減り、二人減りして、とうとうこの80代のご夫婦だけになってしまったという。家は茅葺屋根。茅葺屋根の修理職人もいなくなり、80代のご主人が自分で修理をしているという。屋根ばかりではない。家の修理、水の確保、畑仕事など何でもご主人が中心となり、奥様が手伝い、何でもこなしてしまう。

 現代っ子である記者たちは、物珍しく、家の中に入り色々なものを見て回る。ご主人がコンクリートのタタキにした土間を入ると、そこには大きな部屋。真ん中に炬燵がドンと構える。この炬燵は昔、囲炉裏だったという。こたつ布団をめくると四角の囲炉裏があった。

左:囲炉裏 中・右:練炭コンロと練炭(写真は、ネットより) 

どの家庭にも、こうした囲炉裏はあった。

 

懐かしい練炭コンロ

 そして、その当時懐かしいのが、練炭コンロである。我が家では、練炭コンロに火をつけるのは子どもの役目だった。コンロの中に新聞紙を丸めて入れ、その上に小さな枯れ木を入れる。そしてマッチで新聞紙に火を点ける。その日が枯れ木に燃え移ったところで、黒い穴が一杯ついた練炭を載せるのである。しばらくすると、練炭の穴から赤い火が上がり出す。これが練炭に火が付いた証である。

 

”工夫” に目覚める

 こうして火を付けた練炭コンロの上で、ヤカンを載せお湯を作ったり、鍋を載せて料理を作ったりした。こうして、子どもは、どうやって火を点ければ旨くつくかを覚えた。新聞紙の量や枯れ木の量などにより、いくら団扇で煽いでも、火が付かない時もたまにはあるのだ。すると、子ども心にそれぞれの量を増やしたり、バランスよく配置したりと ”工夫” した。こうしたことから ”工夫” を覚えたものである。

 

”節約” に目覚める

 今の時代、何でも、スイッチ一つで火も点けられる。何の工夫もいらない。つまり考えないということである。もっとも、現代は現代で考えることは一杯ある。

 炭に火を点けるのも同じ方法である。そして、途中で火を消したくなると、火のついた炭を出し水をかけて消す。そして、しばらく置いて乾燥したら、消し炭の容器にこの炭を入れておく。そして、次に使う時に、この消し炭を出して使うのである。すると、節約ばかりでなく、火が付き易いのである。こうして ”節約” を日常生活の中から学んだ。

 

お手伝いから学ぶ、いろいろ

 今の時代、どうやって ”工夫” や ”節約” を、子どもたちに教えているのか分からないが、日常生活ばかりか、会社生活・人生においても、重要な要素である。

 昔は、日常のお手伝いから、自分でひとりでに学んでいったものである。