ミドさんのブログ

日頃思いつくことを書いてます

学校へ行く意味、休む意味

図書館は、冷房完備の事務業務に最適

 昨日面白いことに出会った。

家で、パソコンをたたいているのもいいが、少し環境を変えてみようと、車で10分程度の市の図書館に出かけた。勿論、冷房完備を見越して、涼しいところで資料作りをしてみようと思い立ったわけだ。

 外の川や海が見える窓際に陣取ってパソコンをたたき出した。木製の椅子に難点はあるものの快適に仕事は進んだ。2時間ほどして、さて帰ろうかと振り向くと、そこには円テーブルが、、、、そして、なぜか、”不登校” 関連の本が並んでいた。

 

たまたま見た本

 たまたま、その中の一冊の本を取る。パラパラとめくると、目次が目に付く。12章、学校へ行く意味、休む意味というのが目に付き、最後の章である12章をめくる。図1の「民間給与所得者 平均年収の推移(国税庁調査)」のグラフが目に付く。97年が最高値で、以降徐々に下がっている図である。自分の97年当時は何をやっていたか、給与はどれくらいだったかを想像してみる。私の現実とは大分かけ離れていることに気付く。そして、文章も、と思って、斜め読みしてみると、どうも、この本は、世の中の流れと「不登校」を関連付けて書いている本だと思われた。他の章も覗く。11章図4「一人当たり国内総生産の推移」のグラフが目に付く。

 

暫くぶりに本を読む

 ここまで来たら、なんか面白そうだ。借りて行って家で読んでみようと借りた。本の名は、「学校へ行く意味・休む意味」(著者:滝川一廣)で、1947年生まれの著者で、初版発行が2012年となっている。私が退職した年とも生年月日とも重なる。同年代の人が書いている本だ。団塊の世代の人たちは、同じようなことに興味を持つということか。

「学校へ行く意味、休む意味」の本と目次

 久しぶりに、次から次へと興味が湧いて読み進む。まだ、読み終わっていないが、じきに読み終わるだろう。私が現役の頃、「不登校」とは、”学生(生徒)の精神的な疾患” くらいの理解だったが、それを分かり易く、社会との関係を紐解いている。

 

校長先生募集

 現役時代、勉強に明け暮れ、仕事に明け暮れ、そうしたことを考えようもしなかったことを、この70歳代になって、考えさせられている。

 それというのも、数日前に高等学校の校長先生の募集が新聞に出た。年齢制限でもあるんだろうかとみるとどうもなさそうである。連絡先へ電話して、こちらの年齢も話し、確認したが、ないという。じゃー、申し込んでみるか、と申し込んだ。ダメもとである。いつ、連絡が来るのか分からない。しかし、それにしても、なぜ、今、校長先生を一般公募するのだろうか。

 

二匹目のドジョウ狙い

 今やっている農業委員も、5,6年前に、たまたま市役所で農業委員会の表札をみて、飛び込み、応募できるかどうか確認し、応募したのがきっかけだった。そして今、農業行政に少し係わり出し、色々なことを勉強させてもらいながら業務をしている。

 つまり、二匹目のドジョウを狙って応募したという訳である。しかし、それがきっかけで「不登校」に興味を覚え、こんな本を読むことになった。

 「縁」とは、面白いもんだ。