ミドさんのブログ

日頃思いつくことを書いてます

廃れる②

「廃(すた)れる」は、「廃墟」の「廃」を使うらしい。辞書で調べると、①こすれる ②原型が損じ、または尽きる ③純真さを失う、と、三つの意味があるらしい。よく使うのは、②と③のような気がする。

 

農業委員会

 農地が耕作放棄地になるのを防ぐのも、農業委員の仕事である。また、農地が農業以外の目的に使われる時に、その農地を農業委員会で、適正かどうかが審議するのも、農業委員の仕事である。毎月一回開かれ、その俎上にのる農地は、後を絶たない。ある地域に集中してこうした案件が増えているのである。

 こうした土地は、委員会の前に事前調査をするが、現地を見に行くと、数か月前に承認した農地に、もう家が建って住んでいるのである。昔、分譲住宅として売り出した宅地の状況と全く同じ様相を示している。農地の所有者が、もう、農地を維持していくことが出来ず、宅地として売り出しているのである。

 

ドンドン家が建つ

 昔は、鉄道、バスなどの交通機関が発達しているところに町が出来たし、家も建った。都会は今でもそうなんだろうと思うが、田舎では、不動産やさんの、「駅から何分」というキャッチフレーズはもう古い。今や「大型量販店、スーパー、学校など」から何分、である。一昔前から車社会になった。それでも、駅と駅との中間点付近は、なかなか家を建てる若者は増えてこなかった。でも今は違う。駅の近くに住むより、買い物に便利、通学に近い、などが、家を建てる条件になっているのだ。

 

銀座通り

 かっては、駅前近くの繁華街を「銀座通り」と言った。でも、今や閑古鳥が鳴き、シャッターが下ろしっぱなしになっている商店街が続く。そして、そのシャッターにも錆が目立つようになってきた。バスの時刻表を見ると、その昔は、1時間に2本も通っていたバスも、午前中に何本、朝晩に何本と数えるほどになってしまった。

 こちらは、家が建つどころではない。空き家状態なのだ。かっての商店街と言われた場所には、商店は一軒も無くなった。駅前通りとは名ばかりの通りである。

 

60年の歳月

 たまには、運動不足解消に町を歩いてみよう。海岸に出て、堤防の上を歩く。海や砂浜と海岸線にあった松林との間に出来た堤防である。なぜか、砂浜が少なくなった感じがした。近くの住民に会った。そのことを尋ねてみた。すると、意外なことばが返ってきた。堤防のすぐ脇にある松林は後で出来た松林だと言うのだ。その奥にある大きな松林がその昔、私が見ていた松林だそうだ。

 なるほど、そう言われてみれば、直径10センチ位の背の高さも2mあるかないか位の松の木である。そして、この松は黒松で、昔からあった松は赤松で種類がちがうと言う。10代最後の頃は故郷を離れ、定年後にかっての故郷に戻って来た。そして10年である。その間の60年の歳月は長い。

 

その後どうしているか

 海に近い家々が並ぶ集落を歩いてみる。こうした道も、子ども頃、駆け回った場所だ。この人とは、ゴルフを一緒にやったなあー、どうしているかなー。この人は、どこからか引っ越してきて、地域のボランテアを一緒にやってくれたなー。この家の主とは、カラオケを一緒にやったっけ、その後亡くなって、奥様は元気にしているかなー。この畑をよくやっていたあの人は見かけないけど、畑もやらなくなったのかなー。次から次へとその家の人たちが思い浮かぶ。

 そうした家々の中に空き家も目立つ。この家の住人は、この前亡くなったなー。子どもさんでも来るのなかなー、でも、庭も草だらけだし。この家の塀は壊れたままだなー。

 

実家より、便利さ優先

 そんな中、両親の家は、そのままにして、近場に新しい家を建てて住む若者がいる。どうしてなんだろう? かっては便利だった駅に近い両親の家に住むより、何かと便利な場所に家を建てた方がいい、という計算だろう。これには、おそらく、嫁さんの意見が大きく左右しているように思える。夫の思い出などより、妻として便利な方がいいし、子供の教育にも便利な方がいいという選択である。

 かくして、空き家だらけの地域が誕生するのだ。空き家の処分に関する法律が、こうした田舎には必要である。景観が悪くなるばかりか、保安上も良くない。

 

 タイトルを考えて、「廃れる」としたら、4月だったか、5月だったかに同じタイトルのブログをアップしていることに気付いた。もちろん、書いてあることは異なる。面倒なので、「廃れる②」とした。

     (つづく、・・・)