ミドさんのブログ

日頃思いつくことを書いてます

大きな喜び・満足感

 いつもこの時期になると、他のツツジの花に先駆けて、”霧島” が咲き出す。見事な紅い色だ。もう10年ほどになろうか、余りに綺麗なのでいずれはと思い、株を分けた。その子株も咲き出した。この霧島には思い出がある。会社勤めの頃、庭に色々な木があった。会社の同僚が、「・・・さん家の庭で、何の木が欲しいと言われたら、この霧島にする」と言われたことがあるのだ。我が家の庭の中でもインパクトのある木である。

   我が家の ”霧島”            10年ほど前, 株分けした ”霧島”

 労働力不足が巷で騒がれている。その不足に、日本語を教えることで貢献している事例を紹介したい。

 ベトナム人の女性がスーパーで働き出した。昨日、彼女が働いている職場を訪問し会ってきた。あの、スーパーのスカーフと作業服に身を包み、商品を陳列棚に並べていた。彼女は数ヶ月前から我らの日本語の教室で日本語を習っていた。そして彼女の旦那さんは、もう数年前から我らと一緒に日本語を習ってきた仲間である。彼の実力は今やN1(日本語能力検定試験1級)を合格できる程である。

 半年ほど前に来日した奥さんは、当初は日本語を習うことで気を紛らしていたが、近所の人との会話もままならず、暇を持て余し困り果てていたようだ。日本語教室の近くにスーパーがあった。ここで働けないかと考えたらしい。旦那が、このスーパーで従業員募集をしていることを嗅ぎつけ、1週間ほど前に、店長に会い、交渉し雇い入れて貰うことにしたそうだ。当然、このスーパーでは初めての外国人採用である。

 彼女が働き出したことにもビックリしたが、一番ビックリしたのは、旦那が、店長に会い彼女(彼の妻)を雇ってくれるように交渉したことである。この旦那は、つい1週間前も1泊2日か2拍3日で名古屋へ出張していた。もう、一人で日本中を日本人と同様、飛び回ることが出来るようになっていたのだ。

 私が現役時代、中近東、東南アジア、オセアニア、中国と出張・駐在で飛び回っていたのと同じレベルである。頼もしいと感じると同時に、この日本語を教えた人達が日本社会に貢献していると妙な満足感を感じた。

 今は、ジャマイカ人とイスラム系カナダ人に日本語を教えている。教室には14,5人の学習者がいるが、入会前にひらがな・カタカナは履修済で入ってくるのが一般的であるが、この二人はそれが全く出来ない。仕方なく、日本語の教科書にローマ字のルビを振り、ひらがな・ローマ字・英訳の三つを書いた資料を作り始めた。これが以外と時間を取られる。出来るだけ日本語を使って説明したり試みるのだが、まだ、英語90%,日本語10%位の比率である。2ヶ月後には、この比率が逆転出来るよう努力したいと思う。

 自分の作った資料で分って貰えると、これも大きな喜びや満足感に繋がる。外国生活で外国人に助けられた恩返しにと始めた日本語指導だったが、今や、自分の喜びや満足感に浸っている。このブログを見ている方々にも是非お勧めしたい。