ミドさんのブログ

日頃思いつくことを書いてます

出来ることを精一杯やろう!

雨に濡れる、庭の木々

 今日は、久しぶりの雨。雨に濡れる庭を見つめる。雑草が取られているところと伸び放題のところと両極端である。数年前だったら、「よし!やろう!」と草取りを決めたら、それから毎日4,5時間やり、1週間で蘇った。

 しかし、今はダメ。体力もなければ気力もない。せいぜい、畳、1畳ほどの面積を綺麗にすると嫌になって、”出来ることだけをすれば良い” から ”やりたいことをやれば良い” に変わっていく自分があるのだ。

 それも人生の1ページかと。

左:手前は草引き前、奥は草引き後       中・右:一部草引き完了       

70の手習いとお節介
 それでも、昨日は、中学生に勉強を教える約束をしてきた。自分に出来るという保証はない。しかも、中学校時代不得意とした国語を習いたいという学生にである。今日は試験問題を買って、中学生の試験勉強で60年前の勘と知恵を働かせないとと考えている。中学校時代、勉強しなかった分、今、取り戻そう。

 ”70の手習い” もいいところだ。なぜこんなことになるか。中国人の中学生が日本に来て、日本の勉強について行けないという。難しくてではない。書いてある日本語が分らない、先生の言うことが分らないからついて行けないのだ。そんなことを聞くと、見過ごせない。可愛そうに、何とかしてあげないと、と考えてしまう。お節介なのは分っている。でも、でも、、、である。

 

中学生の国語と日本語能力検定

 中学生の国語といっても、古典や詩などは別にして、文章を読んで要点をまとめたり、自分の意見を書いたりすることは、日本語能力検定試験の”読解”のようなものであり、外国人に日本語を教えることと共通点が大いにあり、である。

 多分ではあるが、そうして考えれば、何とかなるだろうと気軽に考えている。相手は勉強が嫌いだという。でも、訳の分らぬ日本人の老人に教えて貰っても良い、と考えるということは、満更、勉強が嫌いなわけでもなかろう。

 

古木が若木を育てる

 それにしても、我が家の柿の木は、不死身だ。昨年2月に大きな枝を切った。1/3位の大きさになった。そして、その年、即ち、昨秋には実を付けた。そして、今年である。5月の今、昨年より更に枝を伸ばし、大きく繁茂している。今年の秋にはたくさん実を付けるだろう。

 この木は、私が小学生の頃、枝に縄を付けブランコにして遊んだ木だ。それから60年は優に過ぎている。100年は超えた古木であろう。それでも、若い枝を伸ばし、これからを生きている。

我が家の柿の木(左2枚:昨年10月のブログ掲載、   右:現在の状況)       

 

出来ることを・・・

 私も古木である。でも、まだ若木を育てられるかもしれない。やってみなければ分らない。昨年より今年、今年より来年と成長できることもある。出来ないことは諦めて、出来ることを精一杯やろう!

 

今日は何を書こうかと考えたが、なんとかまとまったァー。