ミドさんのブログ

日頃思いつくことを書いてます

親が子にしてあげられること

やってきた、孫たち

 やってきた!! 息子2人と嫁1人そして孫3人である。もう1人の嫁と孫1人は、生まれて間もないため、自宅で留守番となった。昨年末、今年生まれた孫たちにに会いに、それぞれの息子たちの家は訪れているので、会うのがしばらくぶりと言うことはないが、我が家へ迎えるのは、コロナ下の状況の中、3年ぶりである。と言うことは、孫たち同士が会うのは、いとこ同士、3年ぶりなのである。

 

孫同士、旧交を温め合う

 遠くから、「・・・ちゃん!」、「・・・ちゃん!」と名前を呼び合いながら、孫同士しばらくぶりの旧交を確かめ会う。彼らは、今年、二人とも新 小学校1年生同士なのだ。

息子2人孫2人でトランプに興じる 玄関に飾った鯉のぼりのミニチュア 昨年末誕生の孫

歓声上がる、タケノコ掘り

 到着したばかりで、目的の一つとしてた ”タケノコ堀り” に孫二人を連れて息子と共に近くの竹林に。「あった!あった!」と歓声を上げる子ども達。スコップ、唐鍬を持って掘ろうとするが、コツが分らないし腕力も未熟だ。当然である。竹林も初めてなら、生えているタケノコを見るのも初めてなのである。でも、長男が孫にタケノコ掘りをさせたいと実現した企画だった。

 一緒に採った筍の皮を剥ぎ、妻に渡す。すぐ茹でる。茹でた筍は、息子たちが帰るときのお土産となった。

 

遊園地状態の、我が家

 それからが大変だった。

 家の中では鬼ごっこで駆け回り、また、孫・息子・嫁が混ざってのゲームやトランプ。お陰で、知らないゲームを教えて貰った。そうかと思えば、庭に出て追いかけっこ。道路に出ないかと見守りに庭に出る親たち。庭の砂利で小山を作ったり、虫を捕っては、親たちに見せに来る。家の中に虫を入れちゃダメと外に出す。ともかく、1日中大騒ぎだった。

 

勝負事ゲームに悔しがる、孫たち

 今度は家の中で積み木のゲームが始まる。勝った、負けた、の大騒ぎ。そのうち将棋も始まる。駒の動かし方が書かれた将棋が売っており、来る前に買ってきてもらった。その将棋を、ルールも分らないまま実践教育。そのうち、だんだん慣れてくると、負けると悔しくて泣き出す始末。特に同級生同士だと特に悔しくなるらしい。

 それを見て親たちは、悔しい思いをさせるのも子どもには勉強だと。

 

親は忘れる、子は覚えている

 二人の息子たちとも、昔の思い出を話した。クウェート駐在で家族とともに過ごした3年間の出来事。「風呂場で転んで足をけがしたとき、・・・・なった」「釣りに行ったとき、お母さんが釣り針を手に刺した」「・・・・・」など、私がすっかり忘れたことを、子ども達が話すのだ。外国へ連れて行ったことなど、小学生の低学年と高学年だった二人は、すっかり忘れているだろうと思っていたら、こちらが忘れたことも、子ども達はしっかり覚えていた。嬉しかった。

 

五月連休に、感じる

 貴重かどうかは分らぬが、良い経験になったことだけは確かだ。よく考えて見ると、子どもの世話は、妻に任せっきりで、殆どと言っていいくらいやらなかったし、仕事、仕事で出来なかった。たまの連休などは、少し遠出もして子ども達を楽しませることはあっても、今の親たちのような楽しませ方は、しなかったように思える。

 そういう意味では、仕事人間が、子ども達にして上がられる唯一のことが、生活拠点を変えることであり、そこでの経験でもあった。

 今更、反省しても仕方ないが、孫の面倒を見る息子二人を見て感じた、5月連休、

”こどもの日” であった。