ミドさんのブログ

日頃思いつくことを書いてます

よーい、ドン!

引っ越し手伝い

 大分、ブログを書くのが空いてしまった。言い訳もしたくはないが、先週3日ほど息子夫婦の転勤に伴う引っ越しの手伝いで家を留守にしたのだ。浦安市から福島市への引っ越しである。第1日目は、浦安市で引っ越し荷物出し。2日目は孫の卒園式があることで、子ども夫婦は浦安市、私たち夫婦は、その荷物の受け取りで福島市へと言うわけで、2夫婦が必要になるわけである。

 

茨城から福島へ

 実は、コロナの始まる3年前は息子夫婦は孫と一緒に福島市に住んでいたが、転勤で千葉に移り住んだ。その当時、行ったり来たりしていたので、ある程度道も分かっている。変わったのは我が輩が3年、歳を取ったと言うことである。若い方にはなかなか理解できないが、70歳過ぎての3年は大分違う。記憶力も運動能力も根気力も、・・・力も何もかもである。

 

安達太良の山並みが

 常磐自動車道路から磐越自動車道に入る。三春を過ぎて磐城から郡山までの中間点あたりに来ると、安達太良山系の山々が見え出す。

安達太良山系の山々(ネットから)

まだ雪が被り、実に綺麗だ(写真を撮るのを忘れたのでネットで探した同じような写真)。自分の写真でないので、綺麗にとれていないのが残念。毎回、福島までの途中、この風景が見え出すと、中間点に来たと感じるのである。そういえば、若い頃会社の同僚と猪苗代のスキー場に行った時もこの風景をよく見た。

 

福島市の息子たちの住居へ

 福島市の息子たちの家は、3年前に住んでいた家から歩いて10分ほどの距離にある近くだそうである。土地勘もあり、車のナビもあるのですぐ分かった。前はアパートだったが今度は、"貸家”として建てた一軒家である。不動産やさんを探して挨拶にと向かったが、水曜日は生憎の定休日。仕方なく、早いがホテルにチェクイン。息子が予約してくれたいつものホテルである(費用も出してくれて、息子夫婦に感謝)。

 

引っ越しに持つ到着

 そして翌日、9時半。荷物が到着。2トン車に一杯積んで引っ越し専門業者がやってきた。基本的には業者が全てやってはくれるものの、「この荷物どこの部屋ですか?」「この荷物どこへ置きますか?」等々、質問が飛び交う。前もって、息子に配置図をもらってはいたモノの、梱包されたものの姿形が分からないことや、一つの荷物を開けて見たら表示と中身が全く違うなんてことが次々と明らかになった。

 次々と到着する引っ越しに持つ。「あと何台??」に「6,7台くらいかな?!」なんて、いい加減な返事。業者も正確な量が分からないのだ。

 

子どもたち、孫たちと再会

 夕方になって、子ども夫婦と孫たちがやってきた。家の中は梱包された箱だらけ。老夫婦2人では、箱を空けるにしても、箱を運ぶにしても、パワー不足である。疲れてしまい途中休憩も何度もして、分かるものから片付けが始まってはいたが、ともかく、そこら中、箱だらけの様相。

 そして、初めての(孫)娘も到着。皆、小さい孫娘にお母さんもおばあちゃんもかかりきりである。息子は仕事があるとかで夜の便で浦安市に帰って行った。明日夕方また帰って来るという。我々も同じだったが、サラリーマンは辛い稼業である。

 

寂しがる長男孫

 翌日も片付け。そして、嫁は、朝から市役所・銀行・学校と、金曜日でないと出来ない手続きなどに出回る。その間、孫娘は女房が子守する。私は出来るモノからと片付け継続。そうなると寂しいのが卒園したばかりの孫息子である。

 「散歩の行こう、散歩に行こう?!」とせがむ。「運動不足かも、よし、行こう」と決心して、孫に同行。「危ない!」「危ない!」と手をつなごうとすると、手を振りほどいて駆け出す。この時期は、どこの子どももそうだ。

 

ふたつやま公園で

ふたつやま公園で遊ぶ孫

 すると、「ここ、前に来たことある!」「ふたつやま公園って言うんだよ」と教えてくれる。「えッ!」「前とは?3歳の時?よく覚えているなァー」と感心しきり。もうとっくの昔、3歳の頃の記憶なんてないものだと思っていたら、しっかり覚えていたのだ。これにはビックリした。次々と「ここで、前に遊んだよ」なんて言うのである。

 やはり年寄りとは違う。「よし!あそこまでどっちが早いか競争しよう!」「よーいドン」「今度は、あの山のてっぺんまで競争だ!」「いくぞ!」などとやったが、もう、孫にも叶わない」。

 孫の不満が解消できたかなァー。