ミドさんのブログ

日頃思いつくことを書いてます

待ち遠しい!

涙、涙、涙・・・

 久しぶりに涙、涙、涙の番組だった。

「日本へ行きたい人応援団」という番組。昭和30年(1955年)頃、ブラジルに渡り、開拓・開墾をして、新開地を開いた人たちの子ども、日系1世たちが、私と同世代なのである。話題になった老人も、私と同じ75歳。6歳位の時、まだ赤ん坊だった妹と一緒に両親に連れられブラジルに渡った。やがて、2男2女をもうけ、その子ども達のうち、2人は、生活のため、高校卒業するとすぐ日本に渡った。

 その子ども達と75歳の日本人の物語だった。

 

地球の反対側に移住した日本人

 日本とブラジルは、正に、地球の裏側。2日も3日もかけて行く地である。そして、電話もまともにつながらない。末娘の女の子(リアさん)も日本でブラジル人と結婚し、子どもをもうけ、日本に住んでいる。末娘が日本へ行って18年。一度も会っていないという。年老いた父は、末娘に会いたいという感情が日に日に強くなる一方だった。そんな状況を捉え、番組スタッフがこの老人を日本に招待することにしたのである。

移住が始まった1929年 サンパウロまで2日  目的地まで4日   草野恒雄さんの家系 

子ども(娘)への思い

 父の果樹園を引き継いだこの老人、草野恒雄さん。今では広大な土地に季節季節のフルーツを植え、その収入で生活している。奥さんはブラジル人だったらしいが、奥さんのことは番組では触れられていない。作業者を1人雇い、広大な農園を2人で経営して、今では1人で暮らしている。75歳ともなると、体も思うようにならなくなり、子どもへの思いも強くなる。そんなときの招待状である。

 恒雄さんの家    栽培するフルーツ  日本へ着いた恒雄さん リアさんと温泉へ                   

念願の日本へ帰国

 恒雄さんの妹と一緒に日本へ。リアさんやリアさん家族、孫たちと楽しむ恒雄さん。恒雄さんによく似ているリアさんをみて、血は争えないと感じた。10年会えなくても、20年会えなくても、父は父、娘は娘なのである。

リアさん家族と  母親の写真を求め福島へ  母の思い出が   母の写真が・・・・

 

母の面影を故郷で探す

 リアさん家族と一緒に写真に収まる恒雄さん。そして、日本訪問二つ目の目的、恒雄さんの母の生前の写真を見つけることだった。日本を発った頃の写真である。恒雄さんの生まれ故郷の福島へ。親せき知り合いを通じて、親戚の家で古い写真を見つける。母親と一緒に写る子どもの恒雄さん。正に、日本を発つとき船上の2人を撮った写真である。母親と息子のつながりの強さも感じられた。

 

愛娘のブラジル訪問サプライズ

 そして、その訪問から3年が経った今年。75歳の恒雄さんの誕生日にサプライズとして、リアさんのブラジルの実家の訪問も番組で招待したのである。 

懐かしいブラジル料理  誕生日に向かう実家 感激の父との再会 子どもの頃書いた絵 

親子の絆

 この番組を通して、「親子の絆」や「血のつながり」を感じた。ネットが普及し、そうした家族のつながりが希薄になった世の中ではあるが、涙、涙で見られる番組が、まだ、あることがありがたい。

 

 今日は、息子たち家族が来るという。待ち遠しい。

妻は朝から「何時頃、来るだろうか」とうるさい。日頃、動かない妻も、今日だけは特別だ。タケノコご飯を作り、「甘すぎたかな」と。可愛い孫たちも来る。