ミドさんのブログ

日頃思いつくことを書いてます

はじめてのおつかい

こどものおつかい 

 昔、視ていた番組を懐かしく、昨晩は視た。「はじめてのおつかい」という番組である。事情は色々あるが、小さな子どもにお使いを一人でさせる、と言う番組である。お使いをさせるまでの、子どもを説得する親の様子、決心をして子供が自分で行くと決めてから、買い物をする道中の出来事、そして、買い物をする時の店の人とのやり取り、家に帰ってから、みんなに褒められ、満足そうな子どもの顔、何とも、「ホンワカ」とした空気が漂う番組である。

 

子どものおつかいのお相手

 前にも書いたが、私の家は、昔、田舎の小売店(何でも屋)だった。従って、私自身、一人で買い物を子どもの頃した記憶はあまりない。むしろ、買い物に来た小さな子どもを相手する立場である。よく考えてみると、我が家の店にも小さな子どもが、親から言われて買い物にやってきた。何が欲しいか、うまく言えず、これだろうと見切りをつけて持たせてやると、親が、後から、これじゃなかった、と商品を交換しにやって来るなんてことはしょっちゅうあった。

 

番組の構成

 昨日の番組の中で二つだけ印象に残っている「はじめてのおつかい」があった。小さな弟?に食べさせるバナナと家族で夕食に食べるカツを買いに、小さな女の子が買い物に出かけた。いつもはお母さんと一緒に買い物をするが、今日は一人だ。信号機や横断歩道なども途中にはあるが、そこかしこに番組スタッフを配置し、事故が起こらないように配慮しているから、安全面は問題ない。

 

親切な果物屋のおばあちゃん

 すると、近くのお兄さんが声をかけてくれた。「買い物に行くの?」 泣き顔で答える。このお兄さんが、何を買いに行くのか、色々聞き出し、親切にも、どこのお店に行ったら良いか、丁寧に教えてくれた。田舎の暖かさはこんなところにある。そして、教えられた果物屋に行ってみると、そこのおばあちゃんが相手をしてくれた。「何が欲しいの」「どうして、バナナが欲しいの?」 それと言うのも、買いたいバナナが売れ切れてしまってないので、何が代用になるか、このおばあちゃんは考えていたのだ。そして、代わりにイチゴを買った。弟がバナナ以外にもイチゴを食べると聞いたからだ。そして家に帰る。お母さんが迎えて褒める。しかし、お父さんの大好きなカツを買うのを忘れてしまった。

 

子ども心の悔しさ

 そこで、お母さんが、「今日は、カツはいいよ」と慰めてくれる。すると、この子が、「もう一度買い物に行ってくる」と。そして、再度買い物に。お肉屋さんで、カツの欲しい数を聞かれ、「お父さんが5個食べる、お母さんは、・・個、私は・・個、弟は・・個」と上手に言えた。そして、それを持って家に帰る。夕方、お父さんが帰ってきた。美味しそうにカツを食べる。「これ、・・が買ってきたの? 良くできたね。」と褒めてくれる。お父さんの喜ぶ姿を見て、嬉しそうだ。

 バナナの代わりにイチゴとか、数を聞かれて正確にみんなの食べる数を覚えているとか、買い物を忘れた悔しさを「もう一度行ってくる」と小さな子が言い出す。子どもの観察眼は鋭いもんだという思いと、「悔しさ」といった感情もこうして芽生えるのかと感じさせた。

 

おばあちゃんの教育

 そして、もう一つのおかいものは、妹と二人で、「茶道」で使う「お水」を近くの神社に取りに行く。ここの湧水を昔から使っている。途中、妹が遊園地で遊び始める。姉は、説得を試みるが言うことを聞かないので、放って、一人で水を取りに行く。そして、帰りも妹を探したが、見つからないので、そのまま家に帰る。すると、おばあちゃんがその水を使うのだが、取ってきたことは褒め、そこで、「・・・ちゃん(妹)は、どうしたの?」と聞く。顛末をおばあちゃんに話す姉。すると、「おばあちゃんは、そんなこと教えたことないよね」と、叱る。姉は、妹を探しに再度出かける。そして連れ戻す。

 こういったことを、昔の、おばあちゃんなどは、よく、教育したものである。お母さん、お父さんの目が届かないところで、小さな子供の教育をしていたのだ。祖父母は、孫を可愛がるばかりではない。

 

後日談があった

 この女の子はその後、「お茶」以外の習い事も全て習得し、その他の部活などたくさんのことを大学を出るまでにマスターしたそうだ。しかし、それから15年。この子は、24歳の時、事故で亡くなった、という後日談も含まれていた。

 三回忌には、「はじめてのおつかい」の写真もしっかり飾られていた。おばあちゃん「今でも、いなくなった気がしなくて・・・」。