ミドさんのブログ

日頃思いつくことを書いてます

こころの風景

今は亡き高田市の先輩

 もう40年以上経つだろうか。会社で仲良くしてもらった先輩がいた。一つ年上の高校卒の先輩だった。つまり会社生活という意味では5年も先輩だったこともあり、何でも教えてもらった。当時の会社は、今とは高卒と大卒の会社の処遇が大きく違っていたこともあり、高卒者と大卒者では、心のどこかに隔壁みたいなモノがあったが、この先輩は分け隔てなく付き合ってくれた。その先輩の出身地が新潟の高田市出身だった。

 いつものようにチャンネルを回していたら ”高田” というナレーションに私の脳が反応した。暫く見ていると、高田の街の長い雁木作りのアーケードが出てきて、雪深い様子が見て取れる。あの先輩はこんな街から出てきたんだと改めて画面をしみじみと見てしまった。その先輩が若くして亡くなってから40年である。

 

にっぽん縦断、こころ旅

 見ている方もいるだろうか、NHKBS放送、3チャンネル。たまたまチャンネルを回せば見るチャンネルと言うこともあり、興味を持てば見る番組である。

 
 

NHK番組 ”日本縦断 こころ旅”

 全国の視聴者から「懐かしい風景のお便り」をもらい、そのお便りを頼りに、その視聴者に代わり現地を訪問するという番組。キャスターは火野正平と一緒に自転車で訪問するスタッフ4,5人である。昨日は、先ほどの高田市の高田駅からほど近い新井駅の近くの思い出の場所を訪問する。

 

お母さんの帰りを待つお地蔵さん前

 視聴者の手紙によれば、中学校の頃だろうか、毎日お母さんが働きに出ており、夕方お母さんが帰る時間になると、いつも田んぼの中のお墓の一角にあるお地蔵さんの前でお母さんの帰りを待つという。このお地蔵さんが待つ間の話し相手。当時は雨ざらしであったそうだ。火野正平が現地を訪れたときは、お地蔵さんの家が出来ていた。

お地蔵さんの前で手紙を読む火野正平  遠くからお母さんの姿を探した

 自転車でお手紙の現地を探し出し、お地蔵さんの前に座って、お便りを読みだす。道の遠くにお母さんの姿が見えるのを待つという、長い真っ直ぐな道。やがて、お母さんの姿が見えると、「お父さんお酒飲んでる?」「飲んでる」と言うと少し暗い顔になり、「飲んでないよ」というとお母さんの顔が明るくなったと言う。

 周りは田んぼに囲まれた田園風景である。今も変わらなかった。

 

私のとっての ”こころの風景”

 私の家は、それほど貧しくもなかったし、裕福でもなかった。また、小売店をやっていた関係から、家には両親ともにいた。このお便りのようなお母さんがいなくて寂しい思いもしたことがない。学校から家に帰り、お母さんのいない家が、子どもにとってどんなに寂しモノか経験はないものの凄くよく分るお便りだった。

 今、自分にとって何が懐かしい風景だろうかと考えて見る。田舎の海や山、かって汽車が走っていた鉄道、駅前にあった練炭工場などなど思い出の場所は沢山あっても、懐かしい風景と言われると、生まれ故郷に住んでいる私には、”懐かしい風景”としては思い出せないでいる。