ミドさんのブログ

日頃思いつくことを書いてます

夏が終わる

4回目接種の後遺症

 今月の19日に、4回目のコロナ予防接種をやった。当日、翌日と倦怠感に襲われたが、それはそれで何とか終わった。ところが、その翌日辺りから、頭の奥深いところで ”ズキーン、ズキーン” と頭痛が起きだしたのだ。風邪ひく前兆でも起こるあの症状だ。常時するのではなく、時々、襲ってくる。その時は、思わず顔をしかめ、時には、涙まで出るときもあった。それが先週1週間続いた。そして、昨日あたりから、頭の中の遠い彼方での、”ズキーン、ズキーン” に変わった。余り気にはならなくなった。いつになったらこれが無くなることやら。

 

セミの抜け殻

 さて、夏も終わりだ。子どもたちの夏休みも終わりである。毎日、日曜日の私も、今日は、ゴミを出す日なので、家じゅうのゴミ入れに入っているごみを集め、外にもって出る。縁側のところに出しっぱなしになっているサンダルを履き、外へ出ようとしたら、「キュッ、キュッ」と水を含んで鳴る。そうだ! 昨日は結構すごい雨だった。

 すると、途中で、セミの抜け殻に気付いた。腹を空に向けコンクリートのタタキに転がっている。秋だなぁー、俳句の一句も詠いたいところだが、そんな能力もない。

 

「夕焼け酒場」

 私のテレビの三大番組の一つに、「夕焼け酒場」という番組がある。”きたろう”が、お酒の飲めるアナウンサー?、女の子と夕方から夜にかけての酒場でお酒を酌み交わす、ただそれだけの番組である。若い女の子と話しながら酒場に入っていく様子、そして、酒場の主と言葉を交わす。酒場を始めたきっかけ、主の生い立ち、珍しいメニューが出てくれば、それを作り出した経緯などなど。さりげないやり取りではあるが、何とも ”ホンワカ” とさせる番組なのである。

 

かっての、アパート

 もう、40年以上も前に遡る。北品川に私の職場があった。電車なら、山手線品川駅で降り、京浜急行に乗り換え一つ目の駅、北品川駅で降りる。昔は、駅口は第一京浜に面していた。そこから7,8分ほど歩けば、我が家の社宅アパートである。そのアパートには、会社の同僚が数人住んでいた。職場は、このアパートから第一京浜の信号を渡り、京浜急行の踏切を渡り、北品川商店街を通って、海の方へ向かって約15分ほどである。

 最寄駅は、先ほどの北品川駅の一つ先の南馬場駅だが、今では、この部分が高架になり、その間に新駅(新馬場)も出来た。

 

職場、工事センター

 会社は、工事センターで、事務所の人間、約10人ほどと現場の人間数十人の所帯の事務所である。仕事が終わると、会社の先輩(事務所内では、私が一番若かった)たちと、麻雀や酒飲みに付き合った。その場所が、アパートに帰る途中の北品川商店街である。職場も家も同じ場所だから、家族ぐるみのお付き合いという訳である。お互いの奥さんも子どももよく知っている。家庭事情だって良く分かるご近所さん同士だったのである。

 

私のとっての「夕焼け酒場」

 そして、飲みに行く場所が、多分 ”牧野” という名前だったような気がする。会社帰りに、先輩たち、3,4人と酒を飲みかわすのである。まさに、「夕焼け酒場」である。

 7割は遊びだが、3割は仕事の延長のようなものだった。職場の話もたくさん出た。人間関係の話も出た。今は、コロナである。リモートでの仕事だってある。ああいった、「夕焼け酒場」のような話をする機会は、今の若者にあるんだろうかと考え込んでしまう。(ネットで調べたら、”牧野”は、まだ、あった!!!! 下の写真)

私の昔の「夕焼け酒場」、北品川 ”牧野”

中国人受験生

 夏休みだけという約束で、中国人の受験生に日本語・数学を教えてきた。それも今日で終わりだ。日本語が全く話せない子である。少しは慣れたかな、と心配は尽きない。

 でも、今どきの子だ。何とかするだろう。笑顔が少ない子だ。今日は、友達との会話の仕方を教えてみよう。上手に会話し、日本人の友達ができることを期待して・・・。

 日本での新しい学校生活も始まる。