霧氷
いつものように昨日の土曜日は、”人生歌がある” の歌謡番組である。
我々世代と若い時代を過ごした”演歌”歌手である。当時は、まだ”演歌”という言い方がなかった時代でもある。その中でも、”霧氷”という歌が好きで、なんとか覚えようと北品川の会社の社宅アパートで、一生懸命、練習した記憶が残る。
「霧氷~、霧氷~、思い出は帰らない~、・・・、僕を、僕を、泣かす~」
と言う歌詞だ。今でも覚えている。
引退セレモニー
その橋幸夫が、この5月で歌手を引退するという。昨日の”人生歌がある” では、その思い出を綴って、橋幸夫メロディーを、後輩たちが歌い繋ぐ番組だった。実に、思い出深い、裏番組の ”寅さん、男はつらいよ” に、ひけを劣らない、心のこもった良い番組だった。もう80歳だから、出演している若い歌手たちは、橋幸夫の全盛時代この世には生まれていない。
その橋幸夫が、五木ひろしの巧みな司会に、若手の歌う、かっての自分のヒット曲で送られている。
誠心誠意
前にもブログで書いた記憶がある。この引退番組を見ていて、自分の定年時と思いを重ねた。
お世話になった会社だ。恨みがましいことを言うつもりはないが、思い出として語りたい。会社での仕事はきついモノがあった。でも誠心誠意尽くしたつもりである。今でも”誠意”というジャンルでは、誰にも負けない自負がある。儲けに走り会社のためとやっていた時代もあったが、それでも誠意を尽くした。
寂しい定年退職
そんな会社を定年で辞めるときの話だ。会社生活として、その5年半前にフィリピンの関連会社・社長という形で、元の会社には在籍していない処置が取られていた。定年を迎え、帰国し日本の元の会社に戻って来て、各部門、お世話になった人たちに挨拶をして回った。かってあった自分の机も椅子も、もうない。
それまで、元の会社では、部門長として何人もの定年退職者を華やかに見送ったし、心のこもった送別会も企画した。しかし、そうした誘いも全くなかった。
救う神があった!
ただ一つあったのだ。私をフィリピンの社長に推してくれた、かっての親会社、元副社長である。「・・・君、ちょっと、軽く一杯やろうか」と誘ってくれた。本当に有り難かった。それまでの同僚も、お世話になった上司もではなかった。たった一人である。
そんな会社も、退職後、他の系列会社に吸収合併されてしまった。今や会社の名前が存在しない。つまり会社というのは、たくさんの人たちの集合体である。一人が何を思っても、会社全体の人たちが、会社の風土・環境として”誠意”を受け継がないと集合体は崩れてしまうのである。
社会風土、企業風土
歌謡界として、橋幸夫の業績を称え、みんなで送り出さないと、歌謡界そのものが廃れ、消滅してしまう。歌手は一人の実力で歌謡界を生き抜いているかのように見えるが、歌謡界という集合体が支えているのだ。
たまたま、五木ひろしという、立派な司会者がいたことが幸いした。今後は、歌手・橋幸夫を継承する若手歌手を探すという。立派な後継者を作ることが、経営者・事業家にとっても、社会にとっても重要なことである。
その思いを強くした番組だった。