ミドさんのブログ

日頃思いつくことを書いてます

演歌の巨匠たち

 大好きな演歌の話である。今年もカラオケ仲間で演歌を楽しめたらと思っている。演歌を楽しむ人と言うのは、「心」を大事にする人だと勝手に思い込んでいる。そして、なにがしかの「心の歴史」を持っている。

 

巨匠、作曲家、作詞家

 「ザ・偉人伝」という番組で、作詞家 阿久悠、作曲家 三木たかし、作詞家 岩谷時子を取り上げた。この番組を見るまで、岩谷時子の名前もも知っていたが、人となりは分からず過ごしていたことに気付いた。 

  作詞家 阿久悠      作曲家 三木たかし      作詞家 岩谷時子  

  番組では、対象者があっちこっちして、年寄りの頭ではなかなか切り替えが出来ず、作品名で、これは阿久の話か、三木の話か、岩谷の話か聞き分けたりしていた。ブログを書くにあたり、ネットで色々調べて書くことにした。

 

岩谷時子

 まず、女性ファースト、岩谷時子から入ろう。岩谷はいわゆるいいとこのお嬢さんのようだ。「岩谷」と言えば、加山雄三の歌を思い出す。ともかく、加山の歌と言えば、「作詞 岩谷時子、作曲 加山雄三!」というフレーズが前振りで必ず始まったことを覚えている。意外と、越路吹雪の付き人、マネージャーだったことは知らない人も多いだろう。

 越路吹雪の影響で、シャンソンなどの訳詞などもしていたが、歌謡曲・演歌と言えば、「恋のバカンス」「君といつまでも」「良いじゃないの幸せならば」「恋の季節」など、訳詞の「愛の賛歌」とは違った、楽しく明るい歌が多い。性格がそうさせるのだろうし、幼い時の歴史がそうさせるのかもしれない。

 

阿久悠

 演歌の王道、阿久 悠だが、生まれは淡路島。警察官の父のもとで育ったらしい。兄であり長男である深田太郎は作曲家で、阿久 悠とのコンビの楽曲も存在するらしい。親に反発し家を飛び出した阿久は、明治大学を卒業後広告代理店に入社し、テレビ関係の仕事から作詞の道に入ることになる。「父は警察官で、何も残さなかったが、自分の障害になるようなことはしなった」とも言っている。

 現在でも、若い人の歌では、感性や実体験の歌が流行り、阿久のような叙情的な歌(演歌)は、一部の若者や年寄りに受けることになっている。しかし、言葉足らずの、詞のそれぞれに想像させる文言があり感心させられる。

 

三木たかし

 三木たかしは、貧困家庭に育ったようだ。妹に歌手 黛ジュンがいることは有名である。亡くなる3年前に喉頭がんで声帯の一部を切除したことも記憶に新しい。

 ともかく作風は幅が広い。阿久悠とのコンビで「君よ抱かれて熱くなれ」や「津軽海峡冬景色」、荒木とよひさとのコンビで「メダカの兄弟」「つぐない」「愛人」なども三木の作曲である。

 

創造の産物

 作曲も作詞も想像の世界の創造物なのろう。独身を通した岩谷時子が、「恋の季節」や「君といつまでも」の楽曲を残したり、阿久悠荒木とよひさとのコンビで「津軽海峡冬景色」や「愛人」などの楽曲を作れるのも創造の産物である。

 そして、阿久悠が、シンガーソングライターに対して「自分のことや自分に近いことしか歌っていない」と終生批判的だったのも分かるような気がする。叙情的で創造の産物でなければ歌ではない、と言わんが如くである。

 私も、ブログではなく、自分で創造した小説などを一度書いてみたいと思っているが、いつになるやらであある。一流でないので仕方ないか・・・。