ミドさんのブログ

日頃思いつくことを書いてます

昭和は輝いていた!

茨城県潮来市、アヤメ園

 昨日の新聞に、茨城県潮来市のアヤメ園で、花菖蒲が綺麗に咲いており、それを見学に訪れる観光客の話題が載っていた。

 我が家の花菖蒲も、綺麗に咲いた。ただ、1本で悲しげである。この花菖蒲は、母方のおばさんの家で花菖蒲が群生して綺麗だったのを思い起こし、我が家でもやってみようと、株を買ってきて植えたのが始まりだった。

左:新聞記事の潮来のアヤメ園・花菖蒲 と 右:我が家の花菖蒲

おじさんの家の庭園

 そのご主人のおじさんたち夫婦に子どもがいなかったせいもあり、非常に私たちを可愛がってくれた。事あるごとに家に来ることを勧めてくれ、何度も訪問しては泊めさせて頂いたり、食事をごちそうになったものだった。そして、その庭は、綺麗に整えられ、池には鯉、庭には花菖蒲と、この初夏の時期には見るものがたくさんあり、高級な庭園だったことを思い出す。昭和の末期頃の話だ。

 そのおばさん夫婦も今は亡くなり、おじさん方の甥っ子が家を継ぎ、事業を受け継いでいる。あの庭園のような庭はどうなっただろうか。昭和の佳き思い出である。

 

昭和は輝いていた

 時々見る番組 ”武田鉄矢昭和は輝いていた” を、しばらくぶりに見た。作曲家、三木たかし特集で、2時間番組だった。この番組は、何と言っても、武田鉄矢のコメントが光る番組だ。ネットで調べた、番組紹介を下記する。

 

番組紹介記事 

 『演歌、歌謡曲、ポップス、アニメソングと、ジャンルを超えて名曲を生み出してきた、昭和歌謡のヒットメーカー、作曲家・三木たかし。手がけた楽曲は、2000曲以上。そんな彼の作曲家人生に大きな影響を与えた、4人のレジェンドを軸に三木たかしの名曲を振り返る。10代で出会った作詞家・船村徹、新人時代を共に歩んだ、なかにし礼

そして、スランプを救った阿久悠とアジアの歌姫、テレサ・テンの名声を共に日本に広めた荒木とよひさ。それぞれのドラマとは? テレサ・テンの不朽の名曲「つぐない」「愛人」「時の流れに身をまかせ」の三部作に秘めた、計算された作曲術について、自ら語る生前の三木たかしや、岩崎宏美本人が語った、名曲「思秋期」に隠されたレコーディング秘話を貴重映像とともに紐解いていく。

また、声帯切除の前に自身の歌声を収録した音源も。悩み、苦しみながらも自分の才能を信じ昭和から平成へと駆け抜けた三木たかし。今回は、波乱に満ちたその作曲家人生を2時間スペシャルでお送りする。』

武田鉄矢の ”昭和は輝いていた

昭和時代の50年、60年頃

 若い頃、昭和の50年から60年の頃にかけて、残業、残業、休日出勤の忙しい合間を縫って、飲み歩いていた時代だ。そうした時代に流行った歌が、次から次へと出てきた。思わず、口ずさむ。

 最近、昭和時代のことが結構取りざたされる。私が年老いているからだけではないと思うが、確かに、昭和は輝いていた。明らかに今の時代と何かが違う。その大きな違いは、まず、人口構成だろう。とにかく、若い人(20代、30代)が多かった。

 そして、何もかも揃う今の時代と違い、不便な、そして不親切な時代だった。それだけに、労力を掛ければかけただけの見返りもあった。未知の部分が多い時代だったとも言える。

 

不便な不親切な時代

 なんでもかんでも、至れり尽くせりの世の中が良いもんじゃない。未知があり、不親切があって、初めて、便利なことが光るのである。

 確かに、パソコンの、携帯の画面を見れば、相対で顔を見て話しができる。でも、それでは、混雑する道を1時間も2時間もかけ、途中休憩しながら、おじさんの家にやっと辿り着き、そして、ホッとして眺める、花菖蒲の庭の光景の感激は得られない。