ミドさんのブログ

日頃思いつくことを書いてます

枯れすすき

船頭小唄 

       おれは河原の 枯れすすき

          同じお前も 枯れすすき

       どうせ二人は この世では

          花の咲かない 枯れすすき

                    森繁 久彌

 

 隣町、北茨城市磯原町 磯原駅前に碑がある。そこに書いてある文言。ご存知、「船頭小唄」の一番の歌詞である。この歌は、野口雨情が作詞、中山晋平が作曲した大正時代に流行った歌で、我々が子どもの頃に、森繁久彌が歌ったことをよく覚えている。

 野口雨情は、色々な童謡の歌詞もたくさん書いている。この磯原町の海岸近くに生家や、野口雨情記念館などもあり、一大名所化している。

 

電車で隣町へ

 昨日は風が強く、歩くのが億劫になり、隣町に用を見つけて電車を使って行くことにした。我々が子どもだった頃は、隣町へ行くことは、いわゆる「お出かけ」で、一張羅を着込んで、出掛けたものだ。ところが、今や、ジャージを着て運動靴を履いての出で立ちである。クリーニング店、携帯ショップ、スーパーの3か所を回る予定だ。

 そして、磯原駅を降りて歩き出したら、駅前広場の船頭小唄の碑に出くわしたということである。磯原町と私が住んでいる町境には大北川という一級河川がある。台風などには河口付近は氾濫することで有名だったが、最近は堤防が整備され、そんなニュースもトンと聞かない。しかし、水量のわりに川幅は広い。従って、雨が降らないと、中州が出来、そこには葦やススキが一杯生える。

 この地に生まれた雨情が、どうして、大北川を題材にせず、利根川を題材にしたのかは分らぬが、潮来地方のように船もないし、船頭さんもいないので、歌の文句にはなりにくかったのかなー、と考えると同時に、故郷、大北川のススキを思い出して、歌詞を作ったような気がしてならない。

 

街歩きで、以外と伸びる歩数

 そんなことを考えて、隣町を歩く。いつもは車で2,3分のところも、10分、20分とかかる。目に入るものも多い。昔歩いたときは、色々な人に出会った。もちろん子供も多かった。時々、携帯に表示される歩数をチェックする。街中を歩いているだけなのに、意外と歩数が伸びる。店に入る。最近はスーパーと言っても大型店だから、あっちへ行ったり、こっちへ行ったり、買い忘れて戻ったりなんてやっていると、ここでも歩数が延びる。そうして、また、電車で家に帰って、ビックリである。5000歩は優に超えた。

 

車は必要悪?

 さて、ここで、車は年寄りには必要なんだろうかと。車は、時間節約もあるが、”らくちん”だから車に乗るという側面もある。車で隣町へ行って買い物をし、帰ってきて、家の近くを運動のために歩くのである。楽して運動しようとしている。若い時のように、昼間は働き、夜買い物をするのとは訳が違う。昼間、いくらでも時間はたっぷりある。じゃー、車は何のため? ガソリンを消費するため? 時間つぶし? そりゃー、いざとなれば、緊急性が要求されるときは、こんな頼りになる乗り物はない。でも、普段は何なんだ?と。

 

歩くって、本当に健康になるの?

 でもおかしいよね。健康のために歩くなんて言うが、昔の人は、毎日、田んぼに行くにも、買い物に行くにも、とにかく歩いた。30分歩くなんて、歩くうちに入らなかった。当時、万歩計があったら、2万歩位毎日歩いていたのではないだろうか。

 でも、早死にだった。子どもの頃定年は50歳だったような気がする。今では60歳に伸び、70歳まで働かせてくれる企業もあると聞く。50歳のおじちゃんおばちゃんを見ると皺くちゃな年寄だった。でも、今は違う。「50歳? まだ、若いねー。」である。

 そんなに運動してても、早死にだったのは何なのだろう? 医療が発達した? 食べ物が良くなって栄養が行き届いた? 健康器具や施設が出来て、健康を維持できる? 一体何なんだろう??? と考えているうちに眠くなって寝てしまった。