自分の身は自分で守る
「自分の身は自分で守る」。この原則はどこへ行っても同じだ。自然災害だけに適用されるものではない。「警備態勢を敷いていなかった警察が悪い」と言ったって、亡くなった人は戻ってこない。「俺の、私の人生をどうしてくれる」とあの世から叫んでみても今やどうにもならない。子どもを思って急遽現場へ向かう親たち。日本人も二人犠牲になったらしい。
韓国繁華街で起きた「群衆雪崩」による犠牲者である。
本当に予想できなかった事故か
150人以上の死者が出たという。今朝の読売の編集手帳。「人生は予想できない多くの部分から組み合わされている」と詩人リルケの言葉を引用し、「そこに危険があるとわかって、わざわざ出かける人はいない」と言い切り、警備当局の責任を述べている。
私は、いささか意見が違う。人間の危険予知能力が落ちていると警鐘を鳴らしたい。
群衆雪崩と満員電車
群衆雪崩の小さいのは、満員電車の中で起こっている。東京勤務だった時期、朝のラッシュ通勤を経験した。あの状態は、群衆雪崩がいつ起きてもおかしくない状況にある。つまり、電車が揺れると隣の人にもたれかかる。そしてその隣の人も更に隣の人にもたれかかる、という現象である。満員電車と今回の事故の違うところは、「手すり・つり革」があるかないかである。もたれかかられても、3人に1人、4人に1人が手すりやつり革を持っていれば、雪崩は防げるのだ。
群衆での歩き方
満員電車では誰もがこういった現象を経験している。ではどうするか。電車なら、ドア側や「手すり、つり革」のある所を陣取る。しかし、今回の事故は、小さい路地とは言え、壁は両側しかない。従って、両側を歩くしかないのである。そうした避難できる場所がないところへは近づかないというのが鉄則である。勿論、「群衆」になっていない露地・道路では真ん中を歩いてもよい。
今回の事故はの原因は、小さな路地に「つり革・手すりのない満員電車」を作ったことだ。ラッシュアワーの時に、群衆雪崩を起こさないためには、満員電車に乗らないことである。しかし、若者は乗りたくて仕方なかった。じゃー、それでは、両側を歩くことである。それも出来ない。じゃー、そんなところへは行かない決断をすることである。
自分を守る「自分の意志」を持つこと
冒頭述べた。「危険があるとわかって出掛ける人はいない」という「編集手帳」記事である。「今や、そういうところが危険だとわかる人がいない」と言っているのも同然である。犠牲になった、日本人は10代、20代の人だったそうだ。
改めて、「犠牲」の意味を辞書で調べた。「自分の意志によらず、戦争・天災・事故の巻き添えなどで生命を失ったり傷ついたりすること」とある。「自分の命を守る」という意味で、「自分の意志」を磨くことである。
可愛い子には旅をさせろ
親になり、子供が可愛いとと思うなら、「自分の命を守るためにどうするか」をしっかり教え込むことである。満員電車を経験させることである。まかり間違っても、子どもの頃から専用車で通学させるような真似はさせていけない。過保護もそこそこに、と言うことである。
「可愛い子には旅を」と思い、留学させた親もいたかもしれない。それが仇になった。ご冥福を祈るしかない。