ミドさんのブログ

日頃思いつくことを書いてます

”定職のない時代”に生きる

激しい寒暖差

 ここのところの寒暖差は激しい。一日の中での寒暖差も激しい。暑いときは半袖になり、寒いときはジャンパーを着込む。こんな気候では庭の木もさぞや困り果てるかと思いきや、土中の寒暖差は余りないのか、今年もいつもの時期にいつもの花が咲いた。

 でも、タケノコは出るのが早かった。毎日 ”ツマミ” にしている。

ツツジの一種”霧島”     アヤメ      ツツジ      藤の花  

”定職”問題

 最近のテレビのニュースを見ると、コロコロ話題が変わる。まるで”気象予報”のようだ。鉄板話題は、ウクライナスーダンなどの武力衝突。

 そして、最近のコロコロ変わる話題は、”定職”の話。全国で問題になっている”人手不足”の話とも、人口減少問題、即ち、”子ども問題”とも複雑に絡む。

 

就職難だった団塊の世代

 私は、1948年の ”団塊の世代” 生まれである。我々が高校・大学と進む頃、学校の数を増やすという問題があった。小学校・中学校は一クラス50人以上というのは当たり前の環境だった。そして、就職する頃には、学校を卒業しても就職できない人が一杯出たのである。いわゆる ”就職難” 。

 そうした訳で、学校に入る時から就職するまで ”団塊の世代” の人たちは、常に ”競争” に巻き込まれた。

 

人手不足の時代

 それが、今は ”人手不足” である。元々人口が減り人手不足の要因はあった。しかし、それに拍車ををかけているのが、”働き方” である。

 子どもが小さいと夫や妻のどちらかが子どもの面倒を見ることになる。昼間、保育園等に預けても、夕方引き取りに行かなければならない。そこで、その時間会社を抜け出し、その抜け出した時間の後は、家でリモートで仕事するという労働形態もあるらしいのである。

 

”定職”が全盛の時代

 逆に言えば、そうした働き方を許容してくれる働き場所を選び、労働時間や労働場所のフレキシブルな職を見つけるという行動に出る若者も増えているらしい。

 かっては、働き口が少なく、労働者が一杯いたため、就職するには、良い学校を出てと言われ、猛勉をしたもの。その一環で大学を目指し、高学歴を目指したモノである。そして一端、就職すれば、その会社にしがみつき一生を終えるという ”定職” が全盛の時代だった。

 定年を迎え、会社を終えれば、「どこどこにいて40年働いた」などというのが勲章になった時代であり、「真面目、立派な人生」と思われた人物像だったのである。

 

”定職のない時代”に生きる

 これからの人たちは、何で評価されるのか。そして、何のために勉強するのか、が問われる時代になった。今考えれば、大学は何のための4年間だったのか。大学で教わった専門的な知識は、私の場合、職場では全く役に立たなかった。しかし、「モノの考え方」「モノや仕事に対する姿勢」などが形成された時代であったような気がする。

 これからの人は、”定職”のない時代に生き、どんな人生を歩むのだろうか。もっとも、定職がないのは、ごく少数の気もするが・・・。