ミドさんのブログ

日頃思いつくことを書いてます

パラリンピック

パラリンピック

 オリンピックが終わり、24日からパラリンピックが始まり、色々な障害を持つ人がたくさん出場する。生まれながらにして障害を持つ人、子どもの頃に、また、大人になってから突然障害になってしまった人、そして病気で障害になった人、さまざまである。

 色々なテレビ番組で、オリンピックでメダルを取った人の華々しい活躍ぶりが紹介される。その裏で、パラリンピックに出場する人、障害を持つ人の特集も同時並行的に流れている。突然、片足を無くし、歩くこともままならなく悲嘆に暮れていた人が、義足という光明を見出し、歩くことから、そして、走ることへ、更に、スポーツ大会、パラリンピック出場へと突き進んでいく様を放映する。

 

好感持てる性格の障害者

 その喜びたるや、何とも形容しがたいものであろうと思われる。偏見かも知れないが、こうした障害を持った人には、明るさと人懐っこさがある。だれにも好かれる性格が備わっているようにさえ思える。人の助けがなければ生きていけないという自覚がそうさせるのだろうか。人間そうあるべきだとも思わせる。

 

心臓弁膜症だった少年・青年時代

 私も、身体の障害ではないが、小学校6年の時に心臓弁膜症と診断された。通学に不便があったわけではないが、それでも、「運動」は全て禁止され、中学・高校と体つくりには大事な少年時代の体育授業は全て、「見学」で過ごした。障害者が学校で体育授業はすべて見学だったと言っているのを見て、同じだったなー、私も一種の障害者ということかもしれないと思った。

 人間おかしなもので、その当時、毎日、毎日、人と同じことが出来ず、嫌な思いをしていたはずだが、そうした嫌な思いや辛い思いは消えて、楽しい?懐かしい思い出となっている。その心臓弁膜症も、30歳くらいだったろうか、会社内の検診で突然「治っています」と医師に言われたときにはびっくりした。それ以来40年、何の障害?もなく過ごせた。

 

二重苦の障害者

 一方で、昨日、同じ障害でも二つの障害を持つ人のドキュメンタリーが放映された。両手と視覚がない二重障害の人の話である。子供時代に不発弾で遊んでいて、爆発し一緒に遊んでいた弟は亡くなり、本人は二重障害になったということだった。小学校は何とか行けたが、中学から引き取ってくれる学校がなく、学校に行けずに20歳まで過ごした人だった。現在80歳を超えているから、その少年時代は、障害者をバカにしたりした時代だった。子供たちが、何も考えず、「・・・も出来ないだろう」などと、出来ないことを揶揄していた時代である。子供だから、それが本人にどれだけ心の傷を負わせるかなんてことは考えず発言していたし、また、それを大人が何やかやと言うほど暇でなかった時代である。しかし、この障害を持った人にとっては、そうした何気ない子供の仕打ちが、非常に大きなショックだったはずだ。

 

学校の先生に

 この二重苦の障害者が、高校・大学と苦労し、また、受け入れ学校も色々な決まりを曲げて、受け入れてくれることにしてくれたそうである。そして、受け入れてくれた母校の先生になった。この方は、二重障害ではあるが、聞くこと、話すことは出来、また、両足も健在だった。そんな中、点字が読めるようになったことは、画期的な喜びだったと言っている。目が見えない中、点字で文章を作り、他人の点字の文章を読む。どうして読むのかと思ったら、唇の感触で点字の感触を読み取るのである。

 

80歳の残りの人生

 結婚し、子どももおり、孫もいる。孫には、色々な人生体験を聞かせる。そして80歳を過ぎ、奥様を亡くし、今では、ヘルパーの助けを借りて、一人で生活を続ける。時々講演に講師として呼ばれたりもするらしい。一人で人生を生きようとしない方が良い、みんなの助けを借りて人生を生き続ける、ことが重要とも言う。この方にとって、今や障害が苦労ではなくなっているような気がする。頑張れ!障害者!

          (つづく、・・・)