ミドさんのブログ

日頃思いつくことを書いてます

最年長メダルは何度でも取れる

 パラリンピックの自転車のロードレース杉浦選手が50歳、最年長メダルをとられた。彼女の言葉、「最年少メダルは、人生で一回だが、最年長メダルは何回もとれる」。

 

ブログを始めた

 ブログって、どうやって作るのかって、ネットで調べたら、「Hatena Blog」という名前に当たった。70歳をいくつも超えて、芸能人のやっているブログとはどうやるのかと興味があった。そして、名前も素性も分からない人に、自分が書いたものが読んでもらえるって、何か神秘めいていて、素敵だと思いませんか? そして、今年の2月から始めた。最初は、数年前から自分のホームページを立ち上げ、色々な情報をそこに入れ込んでいたが、誰も訪れる人がいないと言うのは張り合いないもので、ブログをやり始めることにした。

 

自叙伝のすすめ

 当初は、数日に一度というペースで書いていたが、その内、退職してすぐに書いた、自叙伝をなぞって書いてみようと思い立った。でも、それだと読む側にとっては、他人の自慢話を読んでいるようで嫌だろうからと、日頃気付くことも1日おきに書くようにしている。もっとも、私の自叙伝は自慢話でも何でもないし、そうならないように気を付けて書いているつもりである。

 

自叙伝の始まり

 そもそも、自叙伝を書くきっかけは、自分の孫たちに、祖父の思いや生き様を知って欲しいと書いたものだった。理由は、自分の祖父や祖母が4人いるが、その内3人は、生まれた時に既に他界していた。一人残った祖母は、母方の祖母だった。従って、自分の家がどういった経緯で今に至ったのかといった歴史は両親以外からは聞けなかったのである。そうしたことがあって、自分の知っている家のことを書いてみようと思った。そして、次に、自分の今までの人生を書いてみようと思った。これも、30数歳で亡くなった自分の祖父が考えていたことなどが知りたくても、父親が小さいときに亡くなってしまったので、父親経由でも聞けなかった。そこで、自分の人生を書いて、孫たちが知りたいときに、分かるようにだけはしておきたいと思ったからだ。

 

定年退職からの挑戦

 定年退職してから、いろんなことに挑戦した。しかし、今でも続いていることは、日本語を外国人に教えることだ。15年も海外をあちこち歩いた時に、外国の方々には大変お世話になった。そのお礼の意味合いもあり、始めたものだが、やってみると、完全にハマってしまった。何が面白いかって、外国人がどんどん日本語が上手になっていく姿を見るのも楽しいけど、その日本語を教えるときに、使う資料を作るのがまた楽しい。お陰で、会社員時代、若い人にやってもらっていた、パワーポイントも覚えたし、外国人と会話するためにラインを使うようにもなった。そして、Zoomまで使って、リモートで教えるようにもなった。正に、”70の手習い” である。

 

最年長ブログへ

 こうしてブログもやりだした。人間の脳は際限がない。一方で物忘れが激しくなると思えば、こうして新しいこともドンドンできる。

 是非、「最年長のブログ」への挑戦を続けて行けたらと思っている。

   (つづく、・・・)