ミドさんのブログ

日頃思いつくことを書いてます

世界おもしろ昔のはなし㊸

解雇

 朝から予め計画されたスケジュールに則り退職金を払った。退職金の説明をする人、退職金を渡す人、そして、社長がその場に同席した。意外と、皆々、ニコニコしながら退職金を貰ってゆく。

 思い出深い出来事があった。

 3か月前の8/4の事業縮小説明会(解雇通知)の時にクレームをつけ感情的になっていたあの従業員が、退職金を貰った後、私に握手を求めてきたのだ。「理解してくれた」と思った。1年半に亘るこのプロジェクトの疲れが一度に飛び散った一瞬でもあった。

 退職金は、現金でなくチェックで払った。団地内にある銀行には、予め話を付けて特別の窓口を設け、そこで、現金化できるようにし、現金化した従業員の安全の為、マイクロバスを用意し、ガードマンを乗せ、従業員が襲われないよう配慮した。従業員の家の近くまでバスで送り届けた。そして、このマイクロバスが最後の従業員を送り届けた旨の連絡が会社に入った時は、一同、プロジェクトがやり遂げられた、という達成感・安堵感に酔ったものだった。

 

何も起こらなかった!

 あんなに心配した殺傷事件など、何事も起こらなかった。月が明けて11月から通常通り、日本人従業員、総務関係現地従業員などは出勤した。ただ、日本人従業員は、しばらくの間、定時退勤、集団での出退勤をした。コンサルのいう事件は全く起こらなかったのである。嬉しい誤算だった。

 

残った従業員の為に

 電線製造の従業員が辞め、残った従業員に安心感を与え、今後も会社はちゃんと存続するのだという事を、従業員に知らしめるための対策を取った。そうしないと、不安に駆られた優秀な従業員が他社に流れてしまう懸念があったからだった。

 親会社から、役員に来てもらい、残った事業の副本部長にも来社願い、今後の事業計画が大々的に説明された。

 こうして、1年半に亘るプロジェクトは終わりをつげ、何事もなく、事業縮小計画が成功裏に完了したのだった。

 この成功には、コンサルの適切なアドバイスがあった。そして、親会社の破格の退職金など資金的な援助もあった。何よりも成功をもたらした大きな要因は、従業員との信頼関係にあったと、今でも自負している。この事は、現地会社社長になる前の職場である工事部門で、培い、経験したことが生きた。世界はひとつ、人の心は万国共通である、との思いは、今でも全く変わらず、私の心に深く刻みつけられている。

 

事後談

 あの問題の従業員も、外国に働きに行ったそうである。ある従業員は、小さな雑貨屋を開いたそうだが、その後、スーパーマーケットで会ったら、止めてしまったとのこと。どうも退職金も使い果たして、困り果てているようであった。フィリピン人は、一般的に言われるのは、お金があると、使い果たすまで働かず、無くなってから、働き口を考えるとのことである。

83人の従業員は一体どうなった事やら。しぶといフィリピン人の事であるから、生活費位は、どこかで稼いでいるような気がする。

 

音のなくなった工場

 毎朝、会社に行くと、「ゴー」という撚り線機やら押出機などの電線製造機の動く音が聞こえてきた。そして、10/末以来、その音が、パタリと止んだのだ。非常に寂しいものだ。聞き慣れた音は、身に付いて日頃感じなくなっているが、実際に「音が消えて」見ると、非常に寂しく感じるものである。11月からいつものように出勤しても、こうした音が聞こえない。そして、電線製造部門のスタッフのいた机・椅子にも誰も座っていない。ただ、机上に何もない机が、寂しげに整然と並んでいるだけなのだ。「これで良かったのだろうか」「辞めて行った従業員には、これで良かったのだろうか」と自問自答する毎日となった。この屈辱というか無念さ、そして可愛い83名の従業員に対する申し訳なさは、一生忘れないぞ、と心に誓った。

 

 感傷的にばかりなっていられなかった。この、今や怪物みたいな鉄の塊を、費用を掛けずに撤去することが待っていた。

             (つづく、・・・)