ミドさんのブログ

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撤退説明当日

 2006年年8月4日(金)がついにやって来た。この日は、説明だけで仕事は休みにした。金曜日にしたのも、土曜日、日曜日と従業員が頭を冷やす日数を取るために設定された曜日だった。撤退の説明を受け、カリカリした従業員の精神状態を冷静に戻す為の計算しつくされた日取りだった。撤退の説明は、従業員を5グループに分けて行われた。辞めて貰う正規従業員、臨時従業員、残る正規従業員、臨時(季節)従業員、そして、更に、不規則雇い従業員の5パターンに従業員を分け、それぞれに資料を作り、フィリピン語と英語で説明をする事にしていた。

 

初めて発表する事業撤退の事実

 そして、いよいよ説明である。説明会場に宛てていたキャンテーン(食堂)の一部に俄かに設えた壇上に私が上がると、出席者全員に緊張感が走るのが分かった。それまで、極秘裏に進めてきた事を初めて従業員の前で公表するのである。

 英語で、社長である私から説明すると同時に、同じ内容をフィリピン語で文章を作り、スクリーンに映し出して説明を実施した。当然ながら、解雇者のグループには、退職金の額の説明を、残る従業員には、今後の事業撤退後の事業計画(売上の源泉が殆どが無くなってしまうことから不安だろうと言うことで)を説明した。社長からの説明後、この事業撤退は、法に照らし合法であるとの説明を、国の労働省の役人から説明してもらい、更に、弁護士が、従業員の質疑に答えた。

 

説明後の従業員の反応 

 これらは、今まで、1年余に亘り、コンサルと相談、議論して、準備してきた内容そのもので、周到に計算された内容のものであった。

 電線製造の関係者は、直接員、間接員合わせて83名であり、退職(解雇)対象者でもあった。1人の解雇対象者から、退職金でクレームが付いた。以前に前社長が従業員に説明していた積立金についての質問であり、少し感情的になっていた。

 ここで、メル(Mell)という、電線製造課長(勤続7年の創業当時からのベテラン)が、この従業員をなだめ、事なきを得た。製造課長には、退職金以外に、このような事態に備え、10万ペソ(約20万円)を追加で支払うことになっていた。説明から退職まで何事もなかったらという条件は付くが、これが功を奏した形になった。これもコンサルのアドバイスで計算されたストーリーだった。もっとも、メルの行動はこの特別金が無くても協力的であったかもしれない。そんな信頼できる従業員だったし、作業者に信頼されている現場の長だった。

 

計算違いの反応 

 計算違いも沢山あった。8月4日の説明が一応無事終わり、残る従業員が、退職する従業員から退職金の額を聞き、辞めたらこの退職金を貰えるのか、辞めさせて欲しい、と申し出てきたことだった。当然拒否した。また同時に、辞める予定の従業員が、辞めない予定の従業員と交換し、居残りとして貰えないかという逆の申し出もあった事である。これは、嬉しい話であるし、色々と協議し条件を付けて受諾した。

 

協力的だった現場責任者 

 この日は、日本人も、総務関係者も、フィリピン人管理者も、早めに帰宅した。後で、聞いた話だが、メルが辞める従業員の中で苦情を持っているような人を集め、自宅に引き連れ飲みながら、ガス抜きをしてくれたと聞いた。

 日本人の従業員もさることながら、こうした協力的な従業員を持って本当に幸せ者だと思ったものだった。日頃の従業員との交流がそうさせたとも思っている。大将だけではなく、信頼できる傍臣が必要なのである。

            (つづく、・・・)