ミドさんのブログ

日頃思いつくことを書いてます

フィリピンの魅力(2.携帯電話)

 前にも書いたが、フィリピンの魅力を書いたつもりの拙書「サラマッポ」。この本を出版したら、購入してくれた人がいて、今のフィリピンは違う、とSNSで言ってきた。恐らく、この人は、自称フィリピン通の人で、自分を超えてフィリピンの話題を先に本にして出されたくやしさからの発言だったのではと私は思っている。

 日本だってそうだが、10年も経てば、世の中色々変る。変わるところもあれば、変わらぬところもある。その辺を一つ一つ取り上げたら、そりゃー変わったところもあるだろう。そういう目で、このブログ「フィリピンの魅力シリーズ」を見て頂きたいと思う。

 

自動車電話から携帯電話が普及

 さて、フィリピンに赴任して、もっともビックリした一つに携帯電話がある。昔は明らかに携帯の普及やレベルが日本は落ちていた。でも、今のレベルは分からない。かって、1990年代初頭、シンガポールで海底ケーブル工事をしたことがある。約30年前だ。この当時、日本では、自動車電話がやっと普及し出した頃で、私がいた工事センターで会社車両に携帯電話を据え付け、みんなで、これは便利だと賞賛した覚えがある。多分、この当時、個人が携帯電話を持つなんてことはなかったし、そのような携帯電話はなかったのだろう。

 

アジア諸国の携帯電話事情

 ところが、この1990年代初頭に、シンガポールでは、海の上の船上から、日本へ海底ケーブル工事完了の電話が携帯で出来たのである。もっとも、今のように小さい電話ではなく、弁当箱ほどではないにしろ、大きな図体をした携帯電話だった。

 私がフィリピンへ赴任した2003年、つまり、シンガポールでの携帯電話の後、10年後である。日本でも携帯電話が使われるようにはなっていた。でも、日本では今のような使われ方はしていなかったし、恐らく、機能もそれほど発達していなかったのだろう。

 

手足のように使われ出した携帯電話

 しかし、フィリピンは違った。会社員は老若男女全てが携帯を持っている。そして、携帯メールが盛んにつかわれていたのである。2003年と言えば、今から約20年前である。その時、日本ではそれほど利用されていなかった携帯が、手足のように利用されていたということである。つまり、他のアジア諸国では、30年前携帯電話が使われ出し、20年前に手足のように携帯が使われ出していた。その後、日本も手足のように利用される現在の姿までなったということである。

 日本人は、フィリピンをはじめとしたアジア諸国をなめてかかるところが、我々の世代にはあった。しかし、こうしたシンガポールやフィリピンのように時代の先を行く国々がアジアにもあることを忘れてはならない。

 

日本人の国民性

 日本という国は、日本人の国民性から来ているのだろうが、慎重で取り掛かりが遅い。そして、一旦始めると、みんなが一斉に使い出す、という国民性がある。こうした現象は、今の新型コロナでも現れている。ワクチンの開発にしてもそうだ。ワクチンの普及にしてもそうである。最初の頃にやり出すのは慎重で、みんながやるかやらないか様子を見る。そして、一旦みんながやりだすと一斉に(真似をして)やり出すのである。こうした国民性は、30年前も今も変わってはいない。

 

新技術の普及の速いフィリピン

 そして、当時のフィリピンでは、携帯電話の中古市場が発達していた。私は、会社支給の携帯電話を持ち、更に、個人用に中古の携帯電話を持ち使っていた。帰国するまでの5年間、この中古携帯電話は全く問題なく使えた。

 携帯電話のところで書くことでもないが、最近白内障の手術をして、裸眼で0.7ほどまで見えるようになったと、数か月前このブログで書いた。この手術、15年前、フィリピンでは、近眼の手術として、日本人の間で流行っていた。日本円で5万円位だったと思うが、メガネを掛けていた人が、突然、メガネなしで登場するのである。多くの知り合いも手術をしてメガネなしになってびっくりしたが、私も、とはならなかった。

 生粋の日本人の性格を持つので致し方ない。

     (つづく、・・・)