ミドさんのブログ

日頃思いつくことを書いてます

フィリピンの魅力(25.いのちの値段)

  今日も書くことは一杯あるが、しばらくぶりにフィリピンの話題を書いてみよう。命に値段は付けられないが、表現上、「いのちの値段」とさせていただく。

 

混んでいる一般道路

 自分が住んでいるマニラに近いコンドミニアム(マンション)から会社まで、朝なら車で1時間半という所だ。その間、殆どが高速道路だが、一部未開通で一般道路を通る部分があった。会社まであと30分というようなところである。そこで、道路が混みだした。当時は、一般道路には殆ど信号機はついていない、センターラインはないという田舎の、日本で言ったら県道のような道路である。

 

従業員が絡む交通事故

 やっとの思いで、会社へ着いた。その後、会社内で、この道路で交通事故が発生したらしく、それが理由で混んでいたいたようなのだ。それだけなら大してニュースにもならなかったが、大衆車であるジープニーの事故絡みだったらしい。しかも、そのジープニーには当社の社員が乗車し、事故に巻き込まれたということが分かってきた。

 

見舞金の募金活動

 そして、その後、その従業員のために手術代を捻出するための募金活動が、社内で始まった。なんでもそうだが、お金のことになると、まずは、日本人である。理由は簡単。従業員の寄付は、10ペソ、20ペソのレベルに対し、日本人は、1000ペソ、2000ペソのレベルである。仕方ないのだ。給与は、月1万ペソもらっていても、借りているお金もありその返済に充ててしまうと、給与日と言えども、手元に残らないのである。そんな生活をしている人たちに、降って湧いたような事故の募金に数百ペソなんてお金は求める方が無理というものである。

 

手術代に届かぬ見舞金

 400人いる従業員全部が100ペソとしても4万ペソ。日本人が2000ペソとしても5人で1万ペソ。合計5万ペソ位のところである。聞くところによると、従業員のケガは瀕死の重傷ということで、脳の手術が必要になるそうで、30万(60万円)ペソかかるそうである。仲間を思う心意気は良いとしても、当初から無理と分かっている募金である。でも、仲間として、やってあげなければ、という思いなんだろう。

 結局、手術代には足りず、見舞金として家族に差し上げることになった。結果は推して知るべしである。

 

日本人絡みの交通死亡事故

 もう一つの事例。同じ工業団地の日本人が乗る乗用車、運転手は勿論フィリピン人。その乗用車で、老人を跳ねて死なせてしまった。勿論、日本人には何の罪もなく、運転手の責任である。しかし、この場合、同乗していた日本人が知らぬを通していては、どんな報復があるか分からないということで、自宅に出向き示談で済ませたということだった。その示談金が5万ペソ(10万円)だったということである。

 

感謝された示談金

 一般論として言うなら、フィリピン人が運転手で事故を起こした場合、被災者は一銭も手に入れられないという事例もたくさんあるらしい。ところが、日本人が同乗していたということで、この老人の家族は、5万ペソもの大金を手に入れることが出来たのである。5万ペソの現金ということは、1年分の従業員の給与に匹敵するのである。この日本人は、被災者から非常に喜ばれたという話である。事故に遭って喜ぶというのもおかしな話だが、現実はこんなもんだという事例である。

 

いのちの値段

 最初の事故の事例なんかは、従業員が亡くなってしまう事で、家族として、今後の働き手を無くす。つまり、生活の糧が無くなってしまうのである。見舞金も日本人にとっては僅かであっても、従業員の家族にとっては、今後の生活資金でもある。

 人を大事にする、家族を大事にするフィリピン人だ。悲しくないはずがない。だが、生活できる出来ないとこの感情とは別問題なのだ。

 日本では、香典を目当てに葬式を挙げる人はいない。でも、貧困とはこんなものなのだ。表面だけを見て、人を判断しちゃいけないとは、こういうことを言うのだ。

   (つづく、・・・)