ミドさんのブログ

日頃思いつくことを書いてます

錦鯉が泳ぐ川

 そろそろフィリピンの話題を、と思うのだが、散歩をすると色々思うことが次々と沸き上がる。そして歳のせいで、すぐ忘れてしまうのだ。メモでもしておけばいいのだが、それも面倒くさい。

 

歩く人のいない田舎道

 さて、昨日の散歩の話。一歩が70cmとして5,000歩で3.5km。いくら田舎と言っても、家はそれなりにある。昨日は祝日である。昼前の11時頃から歩き出した。約1時間ちょっと。その間、人間様に顔を合わせないのだ。勿論、間道を歩いても、車とは行き違える。いくら寒いと言っても、こんなもんだろうか。一昔前なら考えられなかったことである。

 

他人との交流がない今の時代

 今から10数年前、5年半赴任していたフィリピンから帰国し、成田から家に帰るバスの中から見た光景が全くこれだった。日本は人が歩いていないのだ。フィリピンは人一倍、人が溢れ返っていたのでそう感じたのかもしれないが、日本は、人が、外に出ないのだ。つまり、何でも車で出かけるのである。道すがら、「おはようございます」「こんにちは」などと声を掛ける機会もないのである。そして、電話でなく、メール、ライン、フェースブック、そして今はコロナ、在宅勤務である。会話の方法が今の若い人は分かるのだろうか、と、つい思ってしまう。

 

子どもが少ない

 気を取り直して、歩く。たった一人だけ遠くに人間をみた。小学生高学年だろうか、一人でボールで遊んでいる。バスケットボールよろしく、ゴミ箱にドリブルしては投げ込んでいる姿である。ここでも、兄弟がいない?、一人っ子、二人兄弟が殆どの世の中、友達との付き合い方、兄弟で遊ぶ遊び方、等など、大丈夫なんだろうか。共稼ぎが多い世の中、子どもを育てるのは大変でもあるし、親自身の生活は制約を受けるのは当たり前である。それが普通だと思った時代だったが、どうも今はそうでもないらしい。親も楽しむ、子も楽しむ、そんな時代なのだろう。

 

発見! 錦鯉

 そして、田んぼ道を抜けて住宅街に入る。そこに、昨日見た、鯉さんがいた塩田川の上流がある。その橋を渡るときに、欄干から川を眺めた。陽がさしていないので、鯉はいないだろうと思って眺めると。いたのだ。鯉さん。しかも、2匹だ。そして、一匹は錦鯉である。ビックリ仰天。この川で育ったわけではなく、恐らく、誰かが飼っていて、川に放流したに違いない。この川は、大きな台風などが来ると溢れる川でもある。住宅街なので、ここは溢れないが、溢れる場所にいたら、鯉さんも干上がってしまうことになる。

 

トイレに行きたーい!

 そんなことを考えながら、帰途を急いだ。トイレに行きたくなってきたのだ。そういえば、小学生の頃、この辺は通学路として歩いた場所である。この辺の方言では、「むぐす」と言うが、「・・・ちゃんがむぐっしゃったよ!」などと使うのである。「むぐす=漏らす」である。子供頃よくあった話だ。30分歩く通学だったので、小学生にはいろんな出来事が起こったし、まともに、30分で家に帰るなんて言うのは、本当に稀の稀だった。それというのも、田んぼに入り、川に入り、遊びながら帰ったからだ。だから、途中でお漏らしをする子が出てくるのだ。

 

シルバーリハビリ体操

 先週の土曜日は、鳥追いだった。「どんと焼き」とも言う。神棚の飾りをまとめて燃やす日だった。そして役員が集まった。行事が無事済んで、打ち上げを簡単にやった。その時の話がひどい話になった。歳とると、肛門や尿道が緩むという話である。おならをするときに、慎重にしないと、ちょっと漏れたりする、という話になった。聞けば、みんなそうなっているようである。みんな歳をとったのだ。だから、シルバーリハビリ体操で、特別な体操があるんだ、と合点がいった。

 そんなことを思いながら歩いて、やっと家に着いた。 トイレに飛び込んだ。