ミドさんのブログ

日頃思いつくことを書いてます

フィリピンの魅力(13.溢れるこども)

昭和時代の子どもたち

 昭和時代の子どもたちは、良く、外で遊んだ。そんなに遊びが好きではない私でさえ、学校から帰ると、ランドセルを家の玄関に放り投げ、学校へ行ったままの姿で、遊び仲間たちと色々な遊びをした。鬼ごっこ、かくれんぼは勿論、この地方では「パァー」と言われるめんこやビー玉(遊び)、ベーゴマ(遊び)、縄跳びなど等、男の子も女の子も、時には一緒に遊んだ。そして、1年や2年歳の差があっても同じ遊び仲間だったし、「・・・ちゃん」や「・・・やん」と呼び合ったものである。

 

核家族時代到来

 そこには、いじめなどで仲間外れにすることはなかった。勿論、不合理なことをしたときに一時的な仲間外しはあったが、そういったトラブルもじきに解消したものである。今の時代、子どもが圧倒的に少なくなった。核家族になり、若い夫婦が地域を出て都会(街場(まちば))へ行ってしまった。小さな子供たちは、残された老夫婦の元にはいないのである。都会では、受験戦争やスマホなどの玩具の影響で、子どもがいても家の中や室内で過ごす子どもたちが多くなった。

 

隣に住む子どもの顔が分からない

 昔は、隣に住んでいる人の顔も分からない、と言われたものである。ところが、今では、隣に住んでいる子どもの顔も分からないのである。学校も違う、昼間は塾通い、部活活動など等、「一緒に」という行動パターンはもうない世の中になった。

 

カタカナの時代

 日本の製造技術は、世界に誇るものだった。それは、団体行動、団体意識の賜物だったのである。今は、パソコン、スマホ、アプリ、ネットなど等カタカナの時代である。個人活動、個人の実力が試されている時代である。日本の実力が徐々に落ちているという指標もあちこちで散見されている。

 

子どもでごった返す街

 私が、フィリピンに赴任したのは、今から17、8年前であり、帰国したのは12、3年前である。その間ずっと、フィリピンは同じだったが、子どもたちでごった返していた。大都会マニラである。アメリカ文化やスペイン文化が色濃く残っているフィリピンでである。寿命が短い国のせいか、老人の姿はあまり見かけない。しかし、子どもがいる家庭に老人は必ずいるフィリピン家庭である。

 

人口は日本と同じ、なぜ?

 私が住んでいた町は、マニラ郊外にあったが、そこのアーケード街、デパート、フードコートどこにも、子どもを連れた若夫婦で溢れ、町の空き地のいたるところでは、バスケットに興ずる子どもたちの姿があった。そして、ひだまりには、こうした様子を眺めている老人(老人と言っても60代位である)がいた。日本の人口は1億2千万、フィリピンの人口は今や(2020年)1億1千万である。毎年800万人が増えているそうだ。私がいた時点では8千万位だったはずである。同じ1億越えでも社会の様相は大きく違う。

 

人口ピラミッドの形は?

 2,3年前だが、小学校で外国の話をしたことがある。オーストラリア、中近東、そしてフィリピンと三つに分けて、4年生、5年生、6年生に講義した。その折、フィリピンの人口ピラミッドを紹介したことがある。綺麗な三角形を示していたのはフィリピンだった。一方、日本は?と言えば、歪な頭でっかちの形をしていたことを覚えている。

 

 私が、5年半の任期を終え、日本に帰国し一番びっくりしたのは、「外を人が歩いていない」ことだった。

      (つづく、・・・)