ミドさんのブログ

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くま鉄

くま鉄

 しばらくぶりに涙した番組だった。「くま川鉄道=通称:くま鉄」の再開に関する報道だった。くま鉄とは、球磨川沿いの熊本県南部を走る鉄道で、全長24.8kmの短い鉄道である。熊本県八代駅から鹿児島県まで走る肥薩線は、熊本県内は球磨川沿いを走るが、人吉市で鹿児島方面へと南下する。人吉市から分かれて東の山の方へ入っていくのが、くま川鉄道で、令和元年に設立された「くま川鉄道(株)」で運営されている第三セクターのローカル線、しかも、山間を走る鉄道なのである。

 

九州豪雨で不通に

 その「くま鉄」が、令和2年7月の九州豪雨で鉄道・鉄橋・車両などが水に浸かり、鉄道を分断され、鉄橋は崩落し、たった5両しかない車両は、水に浸かるという災害に見舞われたのである。その後、1年5か月ぶりに一部区間ではあるが、復旧し再開に漕ぎ着けた、鉄道会社社長、社員スタッフ、沿線住民たちの努力を描いた作品だった。

 この鉄道は、平成元年に操業開始で、30周年を迎えたばかりの鉄道会社である。

 

くま鉄社長

 「くま鉄」の社長は、当初、JR出身の社長だったが、赤字続きで非難が集中する中、民間企業出身者でないとと期待されて社長になった2代目社長が現在の社長である。この社長は、美容業・飲食業などをやっていた経営者だったが、赤字会社のくま鉄社長の話が持ち上がり、断り続けてきた。しかし、今までの経営者としての力量を見込まれたお誘いでもあり、全く新しい鉄道事業ということにも興味をひかれた社長は引き受けることにしたという。

 

社長の永江さん

 社長の名前は永江さんというが、この人気が凄いのである。沿線住民に寄り添った経営を目指してきた結果であり、社員スタッフをたて、沿線住民の努力をたてる人で、決して驕る人ではない。興味がある人は、この社長のブログを眺めてみたらよい。文章の端々にその人柄が滲み出ている。ちなみに、この地は、ナンチャンウッチャン内村光良さんの出身地で、更に彼とは同級生だそうだ。

 

豪雨からの復興

 豪雨からの復興は大変だったようである。一時は、復興断念も考えたそうだが、強い住民の期待に応え、復興させたのである。千切れた線路をつなぎ、水に浸かった車両を復帰させ、そして駅舎を整備しなおした。駅舎の整備では沿線の高校生が手伝ってもくれたそうである。そして車両を整備し、一部区間復旧めざして、車両をトレーラーで整備基地から始発駅まで運ぶときに、誰にも言わないでおいたが、沿線住民が夜にもかかわらず気が付いた。運ぶトレーラーを、沿道から手を振りながら送り出す住民、雨戸をあけタオルを振りながらお見送る住民の姿、あっちの家にもこっちの家にも電気が付き、2階から手を振る姿が見える。「誰にも知らせていないのに・・・」と感動で涙する社長。

 

住民に見守られ、試運転

 そして、試運転の時である。運行前なので、何の連絡もせず、電車を走らせた。すると、また、沿線で電車に手を振る姿があちこちに。田んぼの作業を止めて、田んぼの中から手を振る姿、お墓参りの最中だったのだろう。高台にあるお墓の前から手を振る姿、姿、姿である。この線路はどれだけ沿線の住民に愛され、期待されてきた鉄道なんだろうと、思わずにはいられなかった。

 

田舎の鉄道の存在

 番組の途中で、社長が経営的に努力する色々なことが紹介もされたが、この喜びを体一杯に表現する住民の姿を見れば、どんな努力をしたか、どれだけ社長・スタッフが住民に愛されていたかが分かる。本来、鉄道はこんな存在だった。しかし、バスが走り、車が発達すると鉄道の存在は薄れてきた。

 昨日だったか、三陸鉄道が10年ぶりに全線開通したそうだ。沿線住民にとって、どれだけの喜びだったろう。1日過ぎて、今日になるとこのニュースも色褪せたような感じすらする。

 大変なことが、当たり前のようになっている日本は、これでいいのだろうかと考え込んでしまう。