編集手帳、うそつき村
「方便」と辞書で引くと、「目的のために利用する便宜の手段」とある。
今朝の新聞の「編集手帳」から、引用する。「落語の『うそつき村』を思い出す」から始まる短い文章である。そして最後に「うそつき村の比喩はここにきて、プーチン大統領をはじめとする政権幹部の面々には生ぬるいかもしれない。虐殺者が集う村だ」で終わっている。
「うそ」もたまに使うから、方便であって、うそつき村の住民のように、いつも使っていたら、「本当も方便」になってしまう。今や、ロシア発表の死傷者の数も、信じるに値しない。
3回目、ワクチン接種
いつもいつも、ウクライナのことばかり書いてもいられない。今日は、3回目のワクチン接種だ。副反応が出るか出ないかが問題。それほど副反応は気にしていなかったが、明日、ボランテアの日本語を教える日なので、これに欠席すれば、仲間たちに迷惑をかけてしまう。それで気になる副反応である。
忘れる年齢
接種を受けた人は、ご存じだろうが、簡単な質問状に記入し、提出しなければならないが、そこに生年月日とともに年齢を記入する項目がある。年齢を記入するにあたって「あれ? 何歳だっけ?」と思い、2022年から自分の生まれた西暦を引き算して、年齢が間違っていないか確認したのは、今までで、初めての出来事だった。「歳取ったなぁー!」と改めて感じた。こうした書き物をしていると、特に感じるのが、「度忘れ」であるが、すでに度忘れの度を越している。年がら年中である。「あれ、あれ」の域はとうに越した。
テレビのインタビューで、「お歳は何歳ですか?」と聞かれて、「とっくに忘れた!」と回答するお年寄りがいるが、その領域に入ったということなのだろう。気持ちは若く保とうとするが、何せ、体が動かないのだ。
「散歩」の「仕事化」
最近、大学の友人の話を聞いて、散歩もいいかも、と思い始めた。散歩と言えば、「若い人たちが働いているのに、のんびり散歩とはいい身分だ」と、嫌な印象を持っていた「散歩」。今では、散歩しながら写真を撮り、その思い出を綴る。そして歩いた道路を地図に書き込む、など一連の作業を散歩後するのだ。「仕事化」になりつつある。そして地図を広げて、次は、どこを攻めるか検討する。
道路脇の神社仏閣、石碑
思い出に残った、気になった写真については、ネットで調べ、その経緯を写真付きで調べて記録したりしている。昔は、皆が歩いたせいか、神社仏閣、石碑などが沿道に多い。これらを眺めながら、拝みながら、旅をしたのだろう。特に、山の中の道ともなれば、こういったものしか、心を癒す材料がなかったのかもしれない。
鯉の泳ぐ川
心を癒すと言えば、昨日散歩したところの川に、1m位まで大きくなった錦鯉が悠然と泳いでいた。私の家の近くの川位かと思っていたら、そんなことなかった。この川にはもちろん錦鯉ばかりではない。黒い鯉も1m位まで成長し、泳いでいるのだ。今の時代になると、こういう「錦鯉が泳ぐ川」が癒しにはなる。
まだまだ、錦鯉の泳ぐ川はありそうだ。探してみよう! 新たな目標になった。